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『三四郎』夏目漱石

今更ながら、夏目漱石の前期三部作を読み始めた。三四郎を読み終え、怠惰な夏休みを正当化すべく、感想をつらつらと書き連ねていく。

一番印象に残った文章は、三四郎が大学の図書室に入って、その書物の上に塵が積もっているのを見た場面。

それから凡ての上に積った塵がある。この塵はニ三十年かかって漸く積った貴い塵である。静かな月日に打ち勝つ程の静かな塵である。

本に被った埃をこんなにも美しく表現できることってあるんだろうか…。と、軽くショックを受けた。
なんでもない情景描写や心理描写の一つ一つが、この上なく上品で、奥行きがあって、少し張り詰めた空気感で満ちている。
んー、たまらん。

夏目漱石を越えられない

高校生の頃、学校で『心』を読んで考察するという授業があった。全部は読まなくても良かったのだが、その文章に衝撃を受けて、祖母の家から古びた文学全集を引っ張り出してきて読み耽った。
人間ってもっと矛盾だらけで複雑じゃないか、とそれまで小説に対して抱いていた感覚を跳ね除けてくれた。

夏目漱石の素晴らしさを確かな言葉で語れるほど知識も経験もないが、この文豪の小説以上に惹かれる作品にまだ出会えていない。

主人公との適度な距離感

古典文学だから惹かれるのだろうかと考えたことがあるけど、そうではないらしい。一つに、主人公と自分とに適度な距離感があるというのが大きい。

『三四郎』では特に、あくまで事実だけを淡々と書き、第三者が主人公の内面に立ち入り過ぎることなく表現されているように感じた。
これによって生み出される、主人公と読み手である自分との絶妙な距離感がたまらなく心地良かった。

私は主人公に立ち入りたくない。彼らの感情の機微を情報として知るのではなく、自分の感性で捉えたい。あくまで一観客として、赤いベロアの椅子に座りながら、登場人物たちが織りなすストーリーをただじっと眺めていたいだけなんだな。

次は前期三部作の二作目を読もうっと。

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