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たびじたく

こんにちは、中野志保です
打楽器を演奏しながら、音楽教室の先生、中学・高校の吹奏楽指導者、福祉施設のパート職員としてはたらいています
旅するたたき場のほかに、エリア51というチームでも活動しています

こんにちは

2024年1月29日
電車の中で記事を書き始めます

急行電車の1人あたりの面積は1㎡くらい
満員電車だとグッと閉じている口も、昼下がりの電車では自然と緩みます
いい天気だなぁ
東京の空の色も急に濃くなった感じがします
駅までの道中、寒椿が綺麗に咲いてるのを見つけました

椿と寒椿は花弁の落ち方が違うらしい

ここ最近は満開を過ぎた寒椿が多かったから
ついついパシャッ
昨日から見かけるようになったメジロは、今日も元気に飛んでました
春、近づいてる

上京して10年目
人よりも自然の多い田舎町で培った網膜と
可能性と情報が溢れる東京で培った網膜で
今日も過ごしています


芸術とはなにか

ということに取り憑かれていた時期があります。
社会人1年目の2月、コロナがはじまり、芸術分野が不要不急と言われるようになったことに「はぁ?」と半ギレの姿勢でいました。
当時の私は、特に「不要」という言葉にかなり敏感でした。

芸術の重要性を説明できるようになる必要があるなぁ…
(ほんとは「わたしがやりたいから」の一言で十分な気がするんですけどね)

そこから「芸術とは何か」ということを考え始めました。そんな大きな問いに、まだ人生1/3しか過ごしていないまったり人間が答えられるはずもなく。いまも相変わらず頭の片隅で探しながら生きているわけです。

でも、なんとなく勇気が沸いて、大事にしていきたいと思っている考え方が一つだけ見つかりました。

『芸術は個人から全体を捉えるためのものである』

この考え方、もともとどこで得たのだっけ…と思い返して探してみると「medium」という電子出版プラットフォームの以下の記事に辿り着きました。

芸術への入門 — 第1章 芸術とは何でしょうか? — Japanese translation of “Introduction to Art: Design, Context, and Meaning”

ちらっと読んだだけで翻訳もすごく んん?んん?となる記事ですが、文はともかくこの図がずっと頭に残ってます。

知覚:芸術と科学(Perception: Art and Science), Author: ジェフェリー・レミュー(Jeffrey LeMieux), Source: Original Work, License: CC BY-SA 4.0

地球🌏に住む人間にはそれぞれに知覚している「いま💭」があります。
科学(観察)の分野では、地球🌏で起きている現象を研究することで「いま💭」の一部を捉えることができます。一方、芸術(表現)の分野では、「いま💭」から地球🌏で起きていることの一部を捉えることができます。

地球と「いま」を認識するためには科学と芸術の両方が必要_______つまり、科学と芸術の両立によって、はじめて全体が捉えられ、ミクロ/マクロな視点からの問題解決が可能になるのです。

(伝わった…?)


ふーっ、ひとやすみ

基本的に楽器を使って表現活動をしてるので、言葉で表現するのにすごくエネルギーがいります

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ただいま
9畳の我が城に帰ってきました
上京して3軒目の今の家、自分の居心地のいい場所になりつつあります

我が家の癒しスポット

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おはようございます
また電車の中にいます
旅するたたき場の稽古(?)に向かっています
メジロを探しながら歩いていたらカワセミをみかけました 
自分の目を疑いましたが、あのコバルトブルーはカワセミに違いないです

お散歩はとてもよい

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こんばんは
夜を越えて、夜です
あらあら1月が終わります
今日はマリンバの先生として働いてました
80代の生徒さんが「マリンバが私の今の生き甲斐なの」と言ってくれました
明日の私は福祉施設職員になります


旅するたたき場でわたしがやりたいこと

科学技術はどんどん発展し、数字で「いま」を捉えていく一方、芸術活動はどんどん下火になっているような気がします

科学と芸術の両立によって、はじめて、ミクロ/マクロな視点からの問題解決が可能になる

どうしたら科学と芸術のバランスが取れるようになるのでしょうか
そんなことをかんがえながら、わたしがたたき場でやりたいことを書いていきます

①網膜を獲得しにいく

芸術において大切なのは個人の認識する「いま」を表現し、作品という形で共有すること。

科学とバランスを取るためには、より多くの、異なる「いま」を表現することが必要です。
「いま」とは、見たもの・感じたもの・触れたもの・関わったものなど個人的な体験から作られた世界です。しかし現在の日本では、表現者は都市部に集中しており「いま」に偏りが出てしまっているのではないかと考えています。書籍やインタビューの情報などからリサーチし、作品作りをすることも可能ですが、実際の体験なしに自分の「いま」の捉え方が変わるとは思えません。
私たち表現者は、新しい網膜を獲得して表現する必要がある。そのためには、都市部を抜け出し、旅先でその土地の人と生活をすることが大事なのではないかと思います。

一緒にお茶を飲んで、ご飯を食べて、散歩して、遊びたい

②作品を持ち歩く

芸術において大切なのは個人の認識する「いま」を表現し、作品という形で共有すること。

演劇や演奏の場合、共有することの多くが都市部の劇場で行われている、それはつまり問題解決への距離が、物理的な劇場との距離になっているということだと感じています。

もっと身軽に、作品を持ち歩きたい

③一緒につくる

芸術は個人から全体を捉えるためのものである。

芸術が、表現のテクニックを持つ者のためのものになってはいけないと思います。科学のように、誰にとっても身近な存在であり、温度のあるものであってほしい。
そのために、より多くの人と一緒に作品創りをしたいと思っています。

旅先で出会った人の温度を携えた作品を創りたい


ふーっ、またこんどね

いまここで提示した「旅するたたき場でわたしがやりたいこと」は、これから見える景色によって少しずつ変わっていくかもしれないなぁ
変わるたびにちょこちょこ更新しますね

2024.02.06 中野志保

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