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「ここで野宿を続けるわけ in ドイツ」

世界一周432日目(9/3)

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僕は友達を待っている。

ここベルリンで。

「シミの世界一周の中で
少しでも一緒に旅がしたい!」

とはるばる日本から
彼はわざわざドイツまでやってくる。


僕と彼は神奈川県、
川崎市にある小さな中学校のクラスメートだった。

彼とは最初の一学年目だけ
同じクラス(と記憶している)。

地元の新百合ケ丘駅の近くにある同じ塾、
市進に通っていた。

初めての授業で、
授業中壁にもたれるように座っていて、
こっちを見てはニヤニヤしていたのを覚えている。


小学校は別々だった。

彼はサッカー部に所属してクラスの
中心にいるようなヤツだったが、
ガキ大将を気どるでもなく、
僕みたいなゲームっ子にも分け隔てなく
フレンドリーにできるヤツだった。

対する僕は卓球部。

体育会系の卓球部だったけどね。
毎日「サーーーッ!」とか叫んでたもん。

ゲームにしても平気で3時間以上やってた。
なんであんなにゲームに熱中できたんだろ?


中学校時代はフツーの「友達」だったと思う。

特にこれと言って何かを
一緒にやるなんてことはなかった。

たった2クラスしかなかった中学校だし、
週に何日かは塾で会ったし、
時々ポケモンなんかやって遊ぶ程度だった。

中学校卒業後はお互い別々の高校へと進学した。
お互い浪人はしたが、
予備校も違ったし大学も別々だった。

地元の友達なんてそんなもんだ。


中学校くらいまではよく顔を合わせたのに、
それ以降は一人暮らしを始めたり、
近くに住んでいても全く顔を合わせなくなったり。

各々の道を進んで行った。僕もそうだった。

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大学二年の秋。

新百合ケ丘駅で彼に再会した。

「おー、今何やってんのー?」

そんな感じで話が始まり、
彼の熱烈な誘いもあって僕は
NGO、ASEED JAPANのプロジェクトである
「ごみゼロナビゲーション」で
学生スタッフをやることになる。


2010年。

僕の人生が大きく動き出した年だ。

ここから彼と頻繁に
顔を合わせるようになった。

よく彼の家に遊びに行って色々なことを話した。

スタッフとしての活動の話はもちろん、
将来どうなりたいだとか、
何がしたいんだとか、青い話ばっか。

スタッフとして、
日本で行われる様々な音楽フェスに行った。

そこでボランティアを
コーディネートするスタッフとして、
資源回収だとか、自分の見聞を広げたりだとか
環境に関する活動に取り組んだ。



二人でインドにも行った。

「シンガポールに行きたいんだ」

「じゃあおれとインドに行こう!」

「は?」

「インドには
今しか行けないだろ?」

そんなノリだった。

あの"旅"がなければ、
今の僕はなかったと思う。

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久しぶりに涙も流した。

学生スタッフたちの合宿で
自分の想いを打ち明ける時間
みたいなのがあるんだけど、

僕が言ったのは

「心がうまく開けない」

だった。


小学校なんかでは
常にガキ代将みたいなヤツの顔色を伺っていたし、
中学校、高校はそれなりに部活に励み、
それなりに仲の良い友達もできた。

けど、それはその場限りのものだった。

今でも続いている関係というものはあまりない。

浪人時代は代々木ゼミナール町田校で
高校の先輩を除いて一人も友達を作らなかった。


大学はー、

自分の居心地の悪さ以外のものを感じなかった。

僕がそのことを打ち明けると、彼は言った。


「ちょっと待ってくれよ!
シミはそんなヤツじゃないって!」

自分のことを理解してくれる
ヤツがいてくれることが、
これほど心を揺さぶることだとは思わなかった。

この時自分が一人じゃないんだって分かった。

自分でも何て言ったらいいのか
わからない感情が爆発して、

嗚咽して、涙を流した。

『おれのことを分かっていてくれるヤツがいる』

それが嬉しかった。

経験や人との出会いが濃い
素晴らしい場所だったけど、
結局僕はこのNGOに一年間しか所属しなかった。


フジロックにボランティアを
やりに行ったのはいいのだけど、
大学の単位がズタボロになってしまったからだ。

フジロックの開催日と試験の期間が
モロにかぶっていた。

学生課だとかに
追試の請願書みたいなのを出したのだけど、
大学側の言い分は

「ボランティアなぞ関係ない。
行きたければどうぞご自由に。
追試はない」

だった。


これ以上ごみゼロナビゲーションで

活動を続けて行くことは難しかった。

それに僕には
ようやく進むべき道が見えて来た。

って何回もこの話してるな。ははは。ごめんね。

僕が夢に進むのを応援してくれているのもヤツだし、
この先二人でいつも言っていた
「何かしよう!」を一緒にやるのもヤツだと思う。

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僕が世界一周の旅に出てからも、
頻繁にやり取りをした。

仕事の悩みを聞いたり
(っつっても僕みたいなのに
相談しても意味ないけどね)、
お互いの活動報告をしたり。

あと2日後の9月5日に
彼がベルリンにやってくる。

だから僕はここでアイツのことを待っている。

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と言っても、
パソコンも修理に出したし、
新しいnudie jeansも手に入れた。
パタゴニアにも遊びに行ったし、
観光以外にやることがない。

バスキングもここでは
あまり盛んではないように思える。

まぁ、要するにですね。

時間を持て余したわけです。
ヒマだ。


パタゴニア・ベルリン店のすぐ横にあるカフェで、
ラージサイズのコーヒーを注文すると、
僕はパソコンやiPhone、ポータブルバッテリーに
充電しながら日記を書いた。



そういえば昨日、メールがきていた。

パソコンの修理を出した
「GRAVIS」からのメールだった。
もうパソコンの修理が終わったのだろうか?

ドイツ語で書いてあったため、
なにが書いてあるのかはわからなかった。

カフェのスタッフにメールを読んでもらうと
修理が終わったと
そのメールには書いてあった。早いな。

カフェを出て、そのまま歩いて
パソコンを受け取りに行った。

保証が利いていたので、
お金を払うこともなかった。ラッキーだ♪

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表参道や渋谷みたいな
ショッピング通りをフラフラと歩き、
「Curry Wrust」と書いた
ホットドッグみたいなものを食べた。

2ユーロもする割には
ずいぶんとちっぽけで、がっかりさせられた。

こんなんだったら
別のもの買っておくべきだった。


文房具屋さんを見つけて中に入ってみたけど、
日本の2倍くらの値段で売られていることには
とても驚いた。

スーパーでサラダを買って、
駅前でムシャムシャと食べた。

タバコを一本吸って、
ほんの少し橙色が端に残った空を
ぼっと見ていた。

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ずっと外にいると時間を持て余す。

テントを張るなら10時過ぎがいい。

夜中の24時まで営業しているファストフード店で、
僕はパソコンを開くと、カタカタとキーボードを叩いた。


お店のスタッフはドイツ在住35年にもなる
バングラディシュ出身の人だった。

インド人顔の人を見ると親近感が湧いてしまう。

もしそれがインド人だったら
「あぁ、インドね。最高だったよ」
なんて言ってしまう。

残念ながら、今回は
バングラデシュには訪れていない。

そんなこと関係なしに、
お店のスタッフはいい人だった。

なみなみとつがれたコーヒーが
ソーサーにすこしこぼれている。

この日僕がテントを立てたのは
23時過ぎだった。

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現在、自作キャンピングカー「モバイルハウス」で日本を旅しながら漫画製作を続けております。 サポートしていただけると僕とマトリョーシカさん(彼女)の食事がちょっとだけ豊かになります。 Kindleでも漫画を販売しておりますのでどうぞそちらもよろしくお願いします。