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「チェンマイで日本人の”流し”に出会う」

世界一周124日目(10/30)


朝イチでインド領事館に殴り込みをかけるべく僕は6時にセットしたアラームで目を覚ました。ゲストハウスの飲み放題のコーヒーで目を覚ます。

今日はインドビザ申請の日だ。多くの旅人がその面倒臭さから「日本で取ってった方が断然楽!」と言ってやまないタイでの取得インドビザ。なぜ僕が日本でインドビザを取っていかなかったのかというと、単に面倒臭かったからだ。

いや、ほらさ!日本にいる時は串焼き屋さんでバイトに励んでいわけですよ!(あの時はマジでお世話になりました!)空いてる時間あっても他のことに漫画を描いたり無駄な装備品を手に入れたりそういうことに使いたかった。

それに他の人のブログを呼んでたら『なんだ。海外でもインドビザ取れるのかぁ。か〜んた〜んじゃ〜ん♪』と調子乗りまくり舐くさりまくりだったわけです。なんででしょうね?こういう時に都合のいい情報しか目に入ってこないのは?


チェンマイにあるオシャレな「旅する服屋さん」nanairoで買わせていただいた勝負服を身にまとい、必要書類をサブバッグにつめこみ、Penny Boardを片手に持ってマップアプリをチェックして僕はターペー門の外に出た。

明け方に降った雨のせいで路面は濡れていたためインド領事館までは徒歩での移動。首から下げた一眼で写真を取りつつマイペースに領事館を目指す。

ちなみに9時開館(笑)
ゲストハウス出たの7時。2時間前。

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そうです。シミさん、こういう「勝負!」の時にはアホみたいに前乗りしちゃいます。ゆっくりと行ったのに領事館へ到着したのは8時ジャストだった。スタスタ歩けば50分もかからないかもね。もう、ビザ取れる気しかしないっっっ!!!

当然僕が一番乗りだった。

30分くらい待っていると中からインド人の駐在員さんが出てきた。

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一緒に待っていたタイ人のお医者さんと3人でちょっとお話をした。僕が持って来た必要書類を伝えると駐在員さんは「持ち物は全部そろっているな」とビザ申請受諾のお墨付きのような一言を僕にくれた。こ、これで行ける!ていうかいけるきしかしない!

9時に領事館がオープンしビザの申請者は5分前にやって来た欧米人と合わせわずか3人。はは。一時間前に来る僕ってなんなんすかね...。

中では別の駐在員さんに必要書類を提出し、彼は表情ひとつ変えないで作成したオンラインフォームに目を通した。

「職業がWRITER(作家)ってなっているがほんとうか?」
「漫画家だって話を作る上では作家と同じです!それのどこに問題があるんですか!飛行機のチケットだって買ったしホテルも予約しました。滞在中のスケジュールだって英文で作成してきたんですよ!だからマルチ(ビザ)ください!」
「いや、君にはシングルかダブルしかやれん。しかも3ヶ月のだ。6ヶ月のマルチは自分の国で取るんだな」

そう言って駐在員はタイ人の女性スタッフに書類のチェックをさせた。

「それではこの書類に大文字で必要事項を記入し、新しくスケジュールを書き直してください」

く、くそうっ...やはりタイじゃ6ヶ月間有効の期間内何回でも入国できるマルチビザは取れなかったか...。
僕は我慢して急いで書類を書き込み、新しくでまかせでスケジュールも作った。

出来上がった書類を女性スタッフに渡すとスタッフはこう言った。

「今回のビザ申請書類ですが受理することはできません」
「えぇっ!!?なんでですか!!?」
「だってパスポートの番号違うもん」

そんなことあるか!と返却されたプリントアウトしたフォームのパスポート番号を確かめる。

『……はっ!』
数字がひとつ多いパスポートの番号。

最近はパスポートの出し入れの手間を省こうと番号を語呂合わせにして覚えていたのだがー...、30分の時間制限つきというオンラインフォームのプレッシャーからかしてはいけないミスを僕はしてしまった。

「それではまたオンラインフォームを作成し後日提出に来てください」
「ちょ、ちょっと!待って下さい!
たかだか一文字じゃないですか!なんとかならないんですか!!」
「この部分は"重要"ですから」

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勝負する前から既に勝敗は決していたのだ。
肩を落として僕は宿に戻った。

テンションがた落ちのなかぶつくさ言いながらオンラインフォームを再度作成し、すぐ近くでプリントアウトした。インスタントコーヒーを作ってテーブルに旅ノートを広げ、ボールペンでタイの日程を書き込む。

次の申請は早くても2日後。仮にビザ申請を受理してもらったとしても一週間でパスポートが戻ってこなかったらラオスまで往復3,000円を使ってビザランをかけなくちゃいけない。

『はぁ...マジで何もやる気しねぇ...』

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テンションを上げるために僕が取った行動は物欲を満たすこと(nanairoで気になっていたTシャツを購入し)

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さちこさん。色いろお話聞かせていただきありがとうございました!

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ヤケ食いすることだった。


それらを終えて宿に戻った僕はとりあえずテーブルについた。

何もすることがない。
いや、あるんだけど、何もする気になれない。
どうしよう?
どうするー?

僕は部屋からギターを持ち出しnanairoの前でふてぶてしく2曲歌ってウォーミングアップした後、ターペー門へ向かった。

そこには既に洋楽アコギシンガーのおじいちゃんがいたので、路上マナーを守るべく少し離れたところで僕は歌った。だが、人通りがあるのはターペー門の前だけだ。ちょっと離れるだけで途端誰も通らなくなる。

僕は練習のつもりでしばらく歌っていると、タイ人のおばちゃん(?)が声をかけてきた。

「グゥ〜ド!スゴイね!ここよりあっちの方がイイヨ!」

おばちゃん(?)に言われるまま路上販売の隣りにギターケースを置きそこで歌うのを再開した。人通りは全くなかったけど純粋に楽しかった。お金も63バーツ(189yen)入った。

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屋台は一食30バーツ。コンビニのカップ麺は13〜15バーツ大好きなクッキーは10バーツ。食費としては十分な額だ。


錆びた一弦がついに切れてしまったので引き上げようと片付けをしているとー...目の前を一人のバスカーが通りかかった。

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僕ぐらいの身長でNORTH FACEのバックパックを背負い、7部そでのカットソーにドクターマーチンのシューズを履き、むき出しのアコギを持っている。この旅で初めて日本人のバスカーに会った。

「あ、Are YOU Japanese?」
思わず声をかけた僕に彼は「い、YES...。YOU (too)?」とぎこちなく返した。


ケイダイは3コしたの社会人(だった)。

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3週間ほどのショート・トリップでタイで5万円ほどのツアーを無理矢理組まされて宿と移動手段意外のお金がない極貧生活を強いられている。(帰りの航空券は持ってるらしい)。1,500バーツのアコギを手に入れて、お金を稼ぐハングリー精神に僕は衝撃を受けた!!!

「しゅ、取材させてください!」と思わず言ってしまった。お互いタイでは日本人の旅人にはあまり会う機会がなかったのでテンション上がりまくりだった。ケイダイの置かれた稼がなければいけないシチュエーションを聞いた僕は、

「わかりました!今日は稼いじゃってください!おれ、サクラやりますから!」と急遽、「ケイダイどこまで稼げるの!?目標500円分(笑)夜のバスキング企画」が始まったのであった。


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チェンマイの堀の外はケイダイのテリトリーらしく彼について行った先はつっても2泊くらいしかしてないみたいだけどね笑ナイトマーケット。だった。

「昨日もここでやったんですよー」よさそうな場所を見つけてケイダイは目の前にビニール袋を置き、座って歌い始めた。ソッコー止めにくる警備員。

「今日はガンガン行こう!」と諦めずに警備員の外で再び歌い始める。僕は他の人もお金を入れやすいように20バーツ札を置いた。

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お金の入りは正直そこまでだったと思う。仲間内でつるんでるように思われたのかもな。それでもバーのギタリストが声をかけてきたり香港人のエディーと一緒にサクラをやったり

ちっちゃな女のコたちがダンサーをやってくれたりと最高に楽しいバスキングだった。最後のしめくくりはバーのギタリスト、ポールとのセッション。ちゃっかり僕もここで歌わせてもらった!

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アガリは210バーツ。630円。地味に目標達だ。

僕たちはコンビニで缶ビールとおつまみを買ってマックの脇にある階段で小さな祝杯をあげた。

旅をしていると、その日一日何が起こるかなんてわからない。午前中のインドビザ申請の不備なんてどうでもよくなってしまった。「ここにいなければ、あの時外に出なければ何も起こらなかったんだな」と改めて思う。

そうだ。未来に何が起こるかなんて誰もわからないのだ。

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現在、自作キャンピングカー「モバイルハウス」で日本を旅しながら漫画製作を続けております。 サポートしていただけると僕とマトリョーシカさん(彼女)の食事がちょっとだけ豊かになります。 Kindleでも漫画を販売しておりますのでどうぞそちらもよろしくお願いします。