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「マザーベイビースクールへ」

世界一周273日目(3/28)

ようやく漫画も描き終えたことだし、僕はある場所に行こうと思っていた。四年前にも訪れたことのある場所だ。僕はもったいつけて話すのが好きなんだ。そんな単刀直入にどこに行くか話しちゃったら面白くないじゃないか。英語の文法構造とはまるっきし逆。日本人ならではのストーリー・テリングだ。

当時の大学生2年生だった僕は旅に対して漠然とした憧れを抱いていた。周りの大学生たちが長期の休み明けに得意顔で「おれ、東南アジア一人で旅してきたんだぜ!」というのを横目に一人で小説を読みながら心の中では羨ましがっていた。彼らは旅の資金を一体どうやって貯めているのか疑問に思ったものだ。時給850円のうどん屋さんのバイトではなかなかお金なんて貯まんなかった(というより無駄な買い物ばかりしていた)。ビレッジ・ヴァンガードで高橋歩の本を買って読んでは『あぁ、おれも何かデカいことをやらかしてみたいなぁ』と空想したものだ。

そんな時、僕は友達の提案でインドに行くことになる。高橋歩のサイトを見ていた僕はそのとき「その場所」を発見したのだ。

その時僕は思った。
『インドにこんな場所があったのか!おれって運がいい!』と。

この日は朝8時にシバ・ゲストハウスの前で集合した。スタッフのリカさん、ヒロヨさん、コハルさん、そして昨日会ったシンスケさんと一緒にトゥクトゥクへ乗り込む。なんせ4年ぶりだ。ワクワクしてたまらない。

ゲストハウスの集まる場所を抜けると舗装された平らな道が続いてた。ガンジス川にかかる橋は4年前と同じだった。その隣りには工事中の橋の柱が建っており、ゆらゆらと水面が朝日を反射して輝いていた。

ガンジス川の対岸は今でもローカルな場所だ。砂煙が舞い、観光地とはかけ離れた生活を人々は送る。トゥクトゥクはどんどんローカルな場所へと入っていった。舗装された道からデコボコの轍を辿るような道へ。
そして看板が見えた。「マザーベイビースクール」。

高橋歩さんとその仲間たちが、学校に行けない子供たちのために建てたフリー・スクール。授業前、校舎の外では子供たちがドロケイのようなことをやって遊んでいた。

僕とシンスケさんは2階に上がって荷物を置いた。以前、ここはゲストハウスだったんだよなぁ。ふとそんなことを思う。今はゲストハウスとして旅人の受け入れはしておらず、子供たちの授業がメインだ。

リカさんから簡単にオリエンテーションを受けた。マザーベイビースクールがどのようにしてできたのかはもちろんのこと、学校の時間が進んでいくのかや注意事項までを伝えられた。そして学校が今後どんな未来像を描いているのか。前回ここを訪れた時はこんなオリエンテーションなんてなかった。以前よりもっと学校らしくなっていることが分かった。


10:00になって授業が始まった。

シンスケさんは一階の教室で、子供たちの邪魔にならないように後ろの方で授業を見学していた。

僕は2階のテーブルでコハルさんがまだ勉強をする前の年齢の子供たちとのやりとりを見学させてもらった。写真を撮ると子供たちの集中力を削いでしまうので授業中の写真撮影はしないでほしいとお願いされているので写真がないのが残念だ。

3〜4歳の子供たちも学校に来ている。
やることはブドウの絵が描かれた紙にクレヨンで丸を描く練習だったり、粘度で遊びや積み木遊びだった。ここは保育園の役割も果たしているのかもしれない。全校生徒が一度に学校に集うわけではないようだ。親の手伝いをしなければならず、毎日学校にこれない子もいる。

この日、一番下の年齢のクラスに出席していた子供の数は二人だった。女の子と男の子だ。
スタッフのコハルさんと子供たちのやり取りを見ていて思ったのは、この年齢の子供に物を教えるのは本当に難しいということだった。女の子の方はブドウの丸をクレヨンで細かく描いたり、ヒンディー語をなぞる練習をしているのだが、男の子の方ときたらまるっきし集中力が続かない。丸なんてかかないし、クレヨンのケースで遊び始めてしまう。小さな子供を叱り過ぎるものよくない。彼らの可能性をダメにしてしまうからだ。
コハルさんは適度に男の子にヒンドゥー語で「バス!バス!(ダメ、もう結構!)」と言うのだがー、いたずらっ子はなかなか言うことを聞こうとしない。この年齢の時、僕は一体どんな子供だっただろうか?自分が幼稚園に通っていた時を思い出してみた。たぶん僕も大人のいうことなんてほとんど聞いていなかったんじゃないかと思う。



お昼ご飯の時間になると、子供たちはそれぞれの家に帰っていった。マザーベイビー・スクールに見学に来た人はここでランチをいただくことができる。

昼食はリカさんの手作りだった。少し揚げたナスにとろみのある甘いソース、白米にサラダ。日本人が作る料理はやっぱり日本料理なんだと思う。インドにある素材を使っているはずなのに、僕は日本の味を感じずにはいられない。ご飯を食べると僕は急激に眠くなった。ここが学校だからかな?子供たちと積み木遊びをしながら僕は睡魔と戦っていた。

睡魔と戦うこの感じは浪人時代の代々木ゼミナールだ。

昼ご飯を食べるともう眠くて眠くて。授業の大半はサテライト授業。緊張感に欠けるところがあったからかもしれない。気づいたら授業がすっとんでたなんて度々あった。あの眠らないように起きているのってけっこうキツかったな(笑)。



そして、授業が終わった後は特別授業だ。

僕はギターを持ってきていた。最強のコミュニケーション・ツール。リカさんが朝のオリエンテーション時に「もしよかったら、最後に唄ってくれませんか?」僕に尋ねた。「もちろん、よろこんで!」と僕は答えた。

唄ったのは自分のオリジナル曲と鉄板の「Stand by me」。そして奥田民生の「さすらい」。教室にいい感じで声が反響する。

一曲が終わるごとに、子供たちは僕に向かって拍手を送ってくれた。

「「上を向いて歩こう」唄ってもらえます?」とヒロヨさんが僕に言う。もう、ドンピシャじゃないですか。これで違う曲とか言われたら、「(調子のって)ごめんなさい」ってなってたけどね(笑)

ヒロヨさんは黒板にヒンドゥー語で「上を向いて歩こう」のサビの部分だけ書き、子供たちと一緒に練習が始まった。ここに立ってみないと分からないけど、インドの子供たちが日本語の歌を唄っている姿はどこか僕を嬉しい気持ちにさせてくれた。

お金さえあれば学校を建てることは簡単だ。だけど、運営していくことが難しいのだ。

僕が分かったような口をきくのははばかられるが、こうやってマザーベイビー・スクールが運営できているのはスタッフさんたちの努力があるからだと思う。だからこそ、力になりたいという方々が表れるのだと思う。

2013年には子供たちに卒業証書を与えることができるライセンスを取得したらしい。そして今年中にゲストハウスの工事を着工する予定なんだとか。

ゆくゆくは地元の人たちを巻き込んで衣類やアクセサリーを作ってもらい、それを地域活性化に繋げたいのだと、リカさんはオリエンテーションの時に僕に話してくれた。来てよかったよ。

僕にできることはなんだろう?今こうして日記を書いて、誰かに伝えることくらいしかできないけどー、また、いつかマザーベイビー・スクールに行ってみたいと思う。

たぶんその頃には高学年の子供たちは次の学校へ行き、下の学年の子供たちはかわいい後輩を持っていることだろ。

そしてマザーベイビースクールはもっともっと学校として充実しているに違いない。行けばきっと何かを感じられるよ。

マザーベイビー・スクール。
バラナシに来た時はぜったい行ってみてほしい。


現在、自作キャンピングカー「モバイルハウス」で日本を旅しながら漫画製作を続けております。 サポートしていただけると僕とマトリョーシカさん(彼女)の食事がちょっとだけ豊かになります。 Kindleでも漫画を販売しておりますのでどうぞそちらもよろしくお願いします。