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「たぶんそこに彼女はいないけど」

世界一周261日目(3/16)

救えないくらいのロマンチストの話をしよう。

ソイツは友達と初めての海外旅行でインドにやってきて、初日に1万3千円もボラれてしまうようなヤツだった。一週間その友達とインドを旅して、バラナシでまるでロード・ムービーの様に別れ、別行動をとることになった。まずソイツが向かった先はブッダ・ガヤだった。特に敬虔な仏教徒でもないのに。

そこで「一人の日本人」と「一人のインド人」と出会うことになる。

出会った日本人は女性だった。たまたま彼がチェックインした宿に一日遅れてやって来た人だった。とても優しそうな雰囲気を持つ年上の女性で、仕事を辞めてインドを三ヶ月も旅していた。

長く旅する人が羨ましかったのだろう。彼はその女性に言った。

「僕も世界中を旅してみたいけど、やっぱり将来のこととか考えると無理かなって思っちゃうんですよね」

その人と笑ってタバコを気持ちよさそうにふかしながらこう言った。

「その想いはね、長いこと心の中にくすぶって、きっといつか私みたいに旅に出たくなると思うわ」

たった15分程度の出会いだった。彼その日にうちに安い宿に移ったため、その人とはもう顔を合わせることはなかった。こんな狭い町なのになぁ。彼はそう思った。

彼女が泊まっていたドミトリーに置き手紙をすると、宿のスタッフを通して沢木耕太郎の深夜特急のインド編が彼の元に届いた。彼もまったく同じ本をインドに持って来ていたが、自分の持って来た本をどこかのゲストハウスに寄付し、彼女からもらった方を日本に持ち帰った。



次にソイツがブダッガヤで出会ったインド人は路上のバラック小屋でチャイを売る男だった。

ボロボロで砂まみれのテントの様な屋台でチャイを売る男。幼い子供たちが二人。そして男性の妻。

彼はブッダ・ガヤの滞在中、何度かその店に足を運んだ。その露店でハーモニカを吹いて子供たちと遊んだり、日本から持って来た折り紙で鶴を作ってプレゼントしたりした。

「明日、別の町に行くよ」彼がそう男に告げると、チャイ屋の男はこう言った。

「私はいつでもここでチャイを売ってるよ。だからいつかまたこの店に来ておくれ」

なんでもない一言だったが、彼は涙が出そうになった。男性の日常にたまたま入り込んだ旅人にこんな言葉をかけてくれる優しさは一体どこからやってくるのだろう…。初めての海外旅行。人の優しさが身にしみた。





AM4:20。

ダージリンからシッキム、NJP駅と続いた移動で列車はようやくパトナという駅に到着した。地図を見るとガンジス川が近い。ちょっと朝日でも見に行こうかと考えたが、親切なインド人のおっちゃんが「ガヤに行くんなら、4時50分だぞ!」と教えてくれた。こういうきっかけを僕は大事にする。そうか。ここは早くガヤに向かえということなのだな。駅の売店でお菓子とコーヒーを買って、ガヤ行きの列車に乗り込んだ。

乗った列車はいつもとは少し違う列車だった。

無数のスチール製のつり輪がぶら下がっていた。インドの満員電車というのは、日本のそれとは少し性質が違う。気遣いなんてほとんどないし、みんなフリーダムに乗っている。だが、ここで乗った列車は日本の満員電車に近かった気がする。

最初は余裕があったため、座りっぱなしだった体をほぐそうと壁際に荷物を置いて立っていたのだが、乗車間際になると人が押し合いへし合い、次の停車駅ではさらに人が乗り込んできた。不自然な立ち方で体を支えるため、足が痛くなってくる。最初のうちに座席に着いておくべきだった。3時間しんどい思いで立ち乗りし、残りの1時間は席に座ってガヤまでの移動をやり過ごした。

そして僕はガヤにやってきた。



4年前にも訪れたガヤ。

トゥクトゥクの運転手たちは日本語で話しかけてくる。列車の中でブッダ・ガヤまでの相場を確認しておいた。他の乗客とシェアできれば30~40ルピー。周りにはカタコトの日本語が話せるドライバーたち。日本語が喋れるということは、ふっかけてくる可能性も高いということだ。

最初の言い値は100ルピーくらいから始まる運転手もいれば「今日はホーリー・フェスティバルなんだよ」と祭日を理由に運賃のつり上げをしてくるヤツもいる。それでも僕は他の乗客とシェアすることにより、40ルピーでブッダ・ガヤまで向かうことができた。ブッダ・ガヤが二回目だという言葉も彼らに効いたのかもしれない。

運転手はしきりに紹介料を受け取れる他の宿を進めてくるが、僕のチェックインする宿は決まっていた。うろ覚えだが、場所は覚えている。

運転手にそのホテルらしき建物の前まで連れてきてもらい、中に入って宿の人間に確認する。

「ドミトリーはありますか?」と。だが、ドミトリーはないと言う。

おかしいな?確かこの宿だったんだと思うんだけど。

宿の外に出ると、トゥクトゥクの運転手は「さぁ、違うホテルに行こう」ともちかけてきたが、僕はここがその場所だという確信があった。もう一度ホテルに入っていき、内装をチェックする。間違いない。この宿だ。

「4年前、ここにドミトリーがありましたよね?」
「おぉ…そうだよ。改装工事したんだ」
マネージャーが出てきてこう言った。
「4年前もここに泊まったんです」
僕がそう告げると、マネージャーは200ルピーにしてくれた。

シングルルームにはホットシャワーも出るし、Wi-Fiもある。

ここで「あの人」に会えるかもしれない

そんな映画みたいな期待があったのかもしれない。もちろん、ここに「あの人」の姿などあるわけもなかった。自分でも分かってた。そんな奇跡は起こりっこないって。

僕は4年前、彼女がタバコを吸っていた玄関前の階段の同じ場所に座り、同じようにタバコをふかした。


自分の部屋に荷物を置くとサブバッグを持って、4年前のチャイ屋に足を運んだ。

同じ場所にテントのような露店は立っていただが、そこはもぬけの殻だった。使われなくなったお湯を沸かす石釜が設置されたままだ。

僕が会った男性の腕には「J・B」と入れ墨がしてあった。もしかしたら近くの露店の人間は彼のことを知っているかもしれない。

近くで露店を営む人たちに「J・Bという入れ墨の入った男を知らないか?」と尋ねてまわったが、誰一人として、彼を知っている人間はいなかった。彼と、その家族は一体どこに行ったのだろう?


宿に戻るとその日は何もする気が起きなくなってしまった。

4年ぶりに戻ってきたブッダ・ガヤで僕の期待していたものに再会することができなかったという失望感があり、長時間の移動で疲れたということもある。

僕は救えないくらいのロマンチストだ。
些細なことにこじつけや意味を見いだし、日々を生きている。

それは決して悲観的なものではない。
むしろ、毎日を前向きに生きる僕のスタンスでもある。


旅に出たい。世界を見たい。

僕が「世界一周」という言葉を見つけたのは、高橋歩著の「WORLD JOURNEY」という本だった。僕がVillage Vanguardでこの本を手に取った時には、既に情報は古くて今のようなスマートな旅については書かれていなかった(なんせ高橋歩はラジカセと厳選したCDを持って旅してたくらいだ)、だが、そこには冒険のロマンが沢山詰まっていた。そしてこの本は僕の中の「心に旅に出たい!」という想いを灯した。それは時を経て僕の中でますます熱く燃えた。

あの日、ミナさんからもらった深夜特急は僕の部屋の本棚に置いてある。

もらった置き手紙は、あの時インドを旅しながらつけていたノートの間に今も大切に挟んである。


現在、自作キャンピングカー「モバイルハウス」で日本を旅しながら漫画製作を続けております。 サポートしていただけると僕とマトリョーシカさん(彼女)の食事がちょっとだけ豊かになります。 Kindleでも漫画を販売しておりますのでどうぞそちらもよろしくお願いします。