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描けない人の処方箋第一回「もともと漫画家になろうとは思わなかった(なりたくなかった)」

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旅する漫画家シミです(@tabisurumangaka)。
2020年の10月で芸歴10年になります。

このマガジンは僕が10年絵を描いてきた上で幾度となくぶつかってきた(なんなら今も感じている)

「描きたくない/描けない」というメンタルと
どう向き合ってきたのか

をイラストを交えて紹介していく内容となっております。
技術的なことは一切書かかれておりません。

海外では何かをクリエイト(創造)するモチベーションが湧かない状態を「ライターズ・ブロック」「アート・ブロック」などと呼ぶそうです。「産みの苦しみ」とはよく言ったもので、どんな分野においても何かを創る人は産み出せない苦しみを必ず一度は体験するようです。

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創作活動はマラソンと似ています。ただがむしゃらに頑張ればいいというわけではありません。そこにはメンタルや体調管理、ペース配分などが関わってきます。もちろん中にはぶっ通しで3日間寝ないで製作活動に打ち込める超人もいますが、それよりも、描くこと(何かを創るのが)好きで、かといって無理しすぎるとヘバってしまう、そんな人たちに向けて僕の経験談をシェアしていこうと思います。


まず初回は僕の自己紹介も兼ねて「10年間の漫画史」について書いていこうと思います。

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漫画家を志したのは2010年、21歳の時でした。
それまでは漫画家になろうという気は一切ありませんでした。むしろ漫画家なんてなりたくないとさえ考えていました。

というのも「商業漫画家」のように一日中ずっと机に向かい、体を酷使して一生を終えるなんて到底自分にはできないと思っていたからです。商業漫画家は10代前半から受賞するような才能のある人たちばかり。高卒や大学中退なんかはザラでプロのアシスタントをして漫画作りのノウハウを学び、出版社とコネを持ち、新人賞に受賞して連載を勝ち取り、メディアミックスによって収入を獲れればアーリーリタイアができる。そんなデザインのように当時の僕には思えました。

「ほかにももっとやりたいことがある!人生は一度っきりだ。できるだけいろんなことを経験してみたい!」大学生の僕はそうも考えていました。

もともと絵を描くことは好きでした。でもそれは中学生くらいの時までの話でした。絵を描くのが好きといっても少年漫画の模写が人よりうまく描ける程度で、周りには絵の上手い人はたくさんいました。幸いにも(?)自分のレベルを客観視できていたため、漫画家になるという選択肢はこの時点でありませんでした。

高校に入ると絵は一切描かなり、部活(ハンドボール)に打ち込む三年間を過ごしました。浪人時代を経て、大学に入学し、そこからは針路を見出せずに悶々とする数年を送っていました。


そんな僕が漫画を描こうと思ったのは当時所属していたNGOのマニュアルの挿絵を描いたことがきっかけでした。周りの学生スタッフが好意的なレスポンスをくれたことにより「自分にはやっぱり漫画しかない!」と勘違いしてしまったのです。そこから僕の漫画人生が始まったのです。

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漫画を描き始めた当時はむちゃくちゃキツかったのを覚えています。

自分が思っていた以上に絵が描けず、自分の絵のレベルに絶望する毎日。「絵が描きたくない…」と筆を握れない日もありました。描けども描けどもGペンで漫画を描くことに慣れず、何度も心が折れそうになりました。商業誌を読むと自分の現状が嫌でもわかるため漫画が一切読めなくなってしまいました。今まで読んでいた漫画がいかにレベルの高いものかもこの時初めて気づきました。

それでもやめなかったのは意地になっていた部分もあったからだと思います。「自分にはこれしかないんだ!」と思いこんでいました。

漫画家になると決めた最初の一年は描きたいテーマを探すため小説を読んだり、映画を観たり、スケッチをしたりと、ひたすらインプットをしていました。

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商業誌の読み切りに応募する体(てい)で、30ページほどのネームを描いては友達に見せてボツをもらう日々を過ごしました。大学3年の終わりになんとか読み切りを一本描き終えて出版社に持ち込みをかけた(一蹴された)のもこの時期です。


インプットと絵の練習を繰り返す中で僕が見つけたテーマは「旅」でした。
「そうだ!20歳の時に行った初めてのインドへの海外旅行。あの感じを漫画にできたら最高じゃないか!というか僕が読んでみたい!」自分が何に心を強く惹かれるかを考えた時に思い浮かんだのがバックパッカーの経験だったのです。

同時に膨らんだのは世界一周という夢。
「漫画家になれるかどうかはわからないけど、旅ならお金と時間さえあればできる!やらなければきっと後悔する」
そうして僕は旅をしながら漫画を描くことを決めたのでした。

ちなみに僕が原稿用紙にGペンとインクでまともに漫画を描き始めたのは大学を卒業した2012年、23歳の時から。当時は地元の串焼き屋でバイトをしながらお金をため、世界一周の準備をするかたわら、秀作として6ページ程度の短編集を描くところから始めました。

世界一周の旅に出たのは2013年、24歳の時です。約三年に渡る旅で66ヵ国を訪れました。当時は行く先々で漫画を描き続けていました。路上で似顔絵を描いてお金を稼ぐなんてこともしていました。(その時の日記は「Life is Journey」というnoteの別のマガジンで連載しております)

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日本に戻ってきたのは2016年。27歳の時です。
帰国後の三年は絵のレベルを上げる期間でした。旅を終えようやく作業環境が整った数年でもあります。月に6〜10ページ程度の短編を何本も描き、毎日ポストカードサイズのカラーイラストを仕上げ、デジタルで編集するスキルも同時に上げました。2017年になるとイラストで稼いだお金で初めて液タブを購入しました。まともに漫画やイラストを描き始めたのはこの時からだったかもしれません叙々に知り合いからイラストの依頼をもらえるようにもなりました。

漫画家としての転機は2019年に描きためた作品を編集してクラウドファンディングで本を作ったことです。想像以上に多くの方に応援していただくことができ、集まったお金でモバイルハウスを作ることができたのです。

2020年からは完全にiPad Proをメインに据えてほぼ100%デジタルに移行し、現在はフリーランスの漫画家/イラストレーターとして自作キャンピングカー「モバイルハウス(Sunny号)」で日本を旅をしながら活動を続けております。

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今までは作品を最後まで完成させることがなかった僕がようやくコンテンツを世に発信し出したのは、実は最近のことなんです。

ざっくりとここまでが僕の10年の漫画史です。

もともと「既存の漫画家にならない」ことをテーマに活動していました。ここまで遠回りや寄り道を続けてきましたが、自分で思い描いていた活動ができているように思います。

そんな僕の経験を交えてお届けする「描けない人の処方箋」。
描くことが好きなのにつまずいてしまった人にほんのちょっとでも寄り添えることを願っております。

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現在、自作キャンピングカー「モバイルハウス」で日本を旅しながら漫画製作を続けております。 サポートしていただけると僕とマトリョーシカさん(彼女)の食事がちょっとだけ豊かになります。 Kindleでも漫画を販売しておりますのでどうぞそちらもよろしくお願いします。