岩国(山口)のススメ 毛利家一門の吉川家が築いた城下町
広島と山口の県境にある岩国(山口)
錦川にかかる木造のアーチ橋「錦帯橋」で非常に有名です。
桜の時期は終わりかけでしたが、この優美な橋は見事の一言です。
岩国に来る際には、徳山~岩国間の山中を突っ切る、岩徳線を使ってやって来ましたが、川西駅を渡ってすぐに見える錦川の時点で、ここは綺麗に違いないと思って、やってきて正解でした。
この岩国に城ができたのは、関ヶ原の戦いの後。
中国一の大大名の毛利家の一門・吉川広家がこの地に城を築きました。
毛利輝元が西軍の総大将に担ぎ上げられたこともあり、長門・周防2か国に所領を減らされることになります。
その中でも、吉川広家が東軍に内通して、毛利軍が戦いに参戦させないよう押しとどめていたのと、戦後のとりなしで毛利家は何とか家名を残すことができたと言われています。
その中で、吉川広家は岩国に所領を幕府から与えられて、岩国に城を築くことになります。
山上にある岩国城は、わずか十数年で破却されてしまいます。
岩国領主としての政務は、麓にある「御土居」で行われていました。
その御土居の場所は、現在は吉香神社(きっこうじんじゃ)となっています。
その周辺に城下町が形成され、周辺には古い建物も見られます。
17世紀後半、徳川綱吉が将軍に即位した頃に、岩国領主の吉川広嘉により岩国を代表する「錦帯橋」が完成しました。
橋脚を石積みにして、昭和になるまで、250年ほども流れることもなく残っていたというのですから、見事としか言いようがないです。そして、その後も木造で再建され今でもなお、当時の姿が見られるのです。
そもそも木造のアーチ橋というのが、世界中で見てもなかなかないもの。それだけに非常に貴重な橋だとも言えます。
理屈を色々言いましたが、やはり見た目が綺麗なのです。
見事な橋げたがアーチをどの角度で見ても絵になります。
春に、また岩国に絞って来たくなるくらいです。
岩国の錦帯橋周辺へは、鉄道のどの駅からも少し距離があります。
在来線の岩国駅からでバス15分ほど、
新幹線の新岩国駅からでもバスで15分ほどかかります。
「錦帯橋」というバス停がありますので、そこまで行けば、錦帯橋は目の前です。
景色がいい場所だとは聞いていましたが、行ってみてやはり良かったです。
是非行って欲しい場所の1つだと私は思います。
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