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価値観 「は」 変わらなかったインド旅

日本から約6,000km。
飛行機で約9時間。
異国の地。

バックパッカーなら訪れるべき国。

インド

空港に着いた瞬間感じる、あの匂い。暑さ。騒がしさ。


感じたことのないドキドキ感。
久しぶりに楽しみよりも不安が勝った瞬間。

さあ、これからインドでの約2週間の旅が始まる。


2023年6月25日

インドに行くと決めた日。

「インドに行けば、価値観変わる」

そんな言葉を聞いたことがあった。

そんな言葉を言わしめるほどの国「インド」とはどういう場所なのか気になった。
実際に聞くよりも、自分の目で見てみたいと思い、インド渡航を決意した。

インドに行く時に、周りからものすごく心配をされた。
「とりあえず生きて帰ってこい」
「死ぬなよ」
など、友達にたくさんの心配をしてもらった。その心配を批判するわけではないが、僕は、危険と言われているところに行く時にいつも思っていることがある。


現地で生きている人がいる。
生活している人がいる。
だったら、同じ人間なんだから生きていけるだろう。


もちろん、人種の違いやその土地を知っているか知らないかの違いはある。しかし、その違いは事前のリサーチ、危機管理をしっかりすることで大抵のことはどうにかなる。だからこそ、あとは、同じ人間として生きるだけだ。

インドは、最初1週間は、「タビイク」という一人旅育成プログラムで、
そのあと1週間は、一人旅をして回った。(タビイクの説明は、この記事の最後で紹介)

インドへのネガティブイメージが含まれているからかもしれないが、確かにインドは空港から他の国とは違かった。

空港は、一度出たら航空券を持ってない限り入ることはできない。
空港の周りには、拳銃を持った警察官がウロウロしていた。

そんな初めて見た光景が多くドキドキしていたが、それも楽しもうと思った。

インドであったことを全て話すと長くなるため、
大きく3つの出来事をここでは話すことにしよう。


電車のチケットを捨て、人生のヒントを得た話。

「そんなに飛行機のチケットとか捨てて、よくお金あるね」と言われることがある。
しかし、僕だって捨てたくて捨ててるわけではない。目の前に飛び込みたいと思ったチャンスがあって、そのチャンスがたまたま飛行機移動の日と被っていた。だから、チケットを捨てた。ただそれだけ。

僕は、その目の前のチャンスに、航空券の値段よりも高い価値があると思っているし、そこで航空券を優先したら、チャンスを逃すことになる。だから、僕はチケットを捨ててでも目の前のチャンスを掴みにいく。

前述した「タビイク」のプログラムが「ジャイサルメール」というインドとパキスタンの国境の街で終わり、2、3日違う街に行かずに残っていた。
その街から他の街に移動しようとした時の話だ。
「タビイク」の他のメンバーが続々とジャイサルメールを後にしていき、最終的に、僕と「タビイク」の引率の方が残った。


ジャイサルメール最後の夜。僕は、1つのやり切れなさを感じていた。



もっとみんなと話したかった。
深い話をして、人生のヒントを得たかった。



こんなことを考えながら、引率とジャイサルメール最後の晩餐を食べた。
しかし、刻一刻と迫り来る電車の時間。

この思いを抱えたまま、ここを離れるのは、ダメだ。
直感的に感じたことだった。

だから僕は、「実は思ってることがあって、、、」と切り出した。
話はどんどん深まり、電車の時間になったが、ここで帰ったらインドに来た意味がなくなると思い、電車に乗らないことにした。

振り返ってみれば、この選択は間違っていなかった。
大事なことを思い出すことができた。


それは
期待のしすぎである


僕は、「人に」「自分に」「人生に」「旅に」期待しすぎていた

求め過ぎていたのだ。

自分に「人生を変える旅にする」というミッションを与え、それがいつの間にか期待になり、頑張ることになり、自分を苦しめて、ネガティブな感情になっていたのだ。
人と話すことで、その人から何か得られるだろうと、求め過ぎていた。
そして、求めすぎることによって、自分の中でのハードルはどんどん上がっていき、ちょっとした幸せや楽しさを気づけなくなっていた。

自分を変えるためにミッションを課すのはいいことだが、そのミッションが重荷になり、「楽しむ」という感情が消えた瞬間、それはしんどいことになる。
だから、楽しむという感情を常に大事に、そして自分に期待せずに頑張らずに楽しむ人生をこれから生きていきたい。


旅のお供から学んだこと

僕は、今回、旅のお供として1つの本を旅に持っていった。

それは、喜多川泰さん作『ライフトラベラー』だ。

この本は、2人の少年が「人生を変える旅」に出る準備段階での物語だ。
旅を始めたいけど、迷っているという人にはうってつけの本だろう。
ぜひ、読んでみてほしい。

この本は、1年以上前に購入し、すでに何回か読んでいた。
しかし、インド旅の前にもう一度、初心に変えるためにも読みたいと思い、海外に持っていっていた。

本というのは、自分に気づきを与えてくれるもので、すでに読んだ本だったが、再び僕に気づきを与えてくれた。


僕は、大学3年生になり、全てのことにおいて、
「損得」「効率の良し悪し」を考えて、取捨選択をするようになった。

この目の前の物事は、自分に向いているのか。
自分がやっているこれは、効率がよくて得することなのか。
自分の将来に結びつくものなのか。


無駄なもの、必要ないものをなるべく削ぎ落とし、必要だと思うこと、自分に向いてると思うことだけをやろうとしていた。


しかし、『ライフトラベラー』にこんな言葉があった。

ぼくらの可能性は、ぼくらの想像をはるか超えたところにあるんだよ。それを、自分が手に入れられると想像できる範囲でしか行動しなければ、その可能性を開花させる人生なんて送れるわけないじゃないか!

喜多川泰作『ライフトラベラー』より


この言葉にハッとした。


僕は、この旅で新しい自分を見たかった。
新たな価値観を得たかった。
新たな考えを知りたかった。
人生を変えたかった。


そんなことを考えているのにも関わらず、自分の物差しだけで「良し悪し」「損得」を判断し、取捨選択をしていたのだ。
そんな考え方をしていたら、自分の想像できる範囲、経験してきた範囲でしか物事を考えられないのは当たり前だ。


大学1年生の頃を思い返してみると、
テニスを辞めて、何をしようかと考えていたときに、たまたま目の前に「旅」という選択肢があり、何かよくわからなかったが、とりあえず飛び込んでみた。
TABIPPO学生支部に入り、団体をまとめるということの右も左もわからなかったが、とりあえず目の前に来たチャンスを全て掴む勢いで生きていた。


そして、今。
その「旅」というものに飛び込み、右も左もわからないまま、目の前のチャンスを掴むという思いを持って生きていた時があるから、今がある。
大学入学した当初では、考えもしない想像の遥か上の上の場所にいる。

あの時、目の前のことを全力で取り組んでいなかったら、
今の自分はいない。

だからこそ、今の自分に必要なのは、


『目の前のチャンスに、とりあえず死に物狂いで食らいついてみる』


ことだ。

損得とか、効率が良い悪いなんて、そんなものはその後でいい。
やってから気づけばいい。
今、自分に必要なのは、取捨選択をして力を抜くことではない。
目の前のことを全力でやり続けることだ。

そんなことをこの本は、インド旅の途中に気づかせてくれた。


バラナシ・ガンジス川での記憶

ヒンドゥー教の聖地、『バラナシ・ガンジス川』
ヒンドゥー教徒ならば、一生で一度は訪れたい場所だ。
また、インドで1、2位を争うくらい「カオス」な街だ。

「インドに来て、バラナシに行かないという選択肢はない。」
そのくらいの場所だ。

車、バイク、トゥクトゥク、自転車リキシャ、牛、犬、猫、人が入り乱れ、交差点にはもちろん交通ルールなどないし、多少の衝突など、別に事故ではない。笑


バラナシは、細い道が多く、地図なしでは目的地に辿り着くことができない。そのくらい細く、入り組んでいて、カフェ、レストラン、ゲストハウス、ホテル、ラッシー屋、小物屋などがこれでもかというくらい、ひしめいている。



そんな中をご遺体が通る。


実際に、僕がラッシーを飲んでいた時に、
ご遺体が目の前を通り過ぎていった。



ここは前述したように、ヒンドゥー教の聖地である。
ガンジス川は、別名「大いなる火葬場」とも言われ、ヒンドゥー教徒は、亡くなったらこの火葬場で火葬される。
おそらく、僕の目の前を通り過ぎていったご遺体は、火葬場に向かっていたのであろう。
このように、人間の生死の境を間近で感じられる場所である。

ガンジス川岸には、二つの火葬場がある。

僕は、実際にこの目で火葬場を見てきた。

そこには、火葬されるご遺体。そのご家族。
インドの中での階級制度が一番下で、火葬場で働く人。
火葬の準備をするために薪を運んできている人。

しかし、そこには悲しい雰囲気は感じなかった。
そこに、霊的な何かは感じなかった。

ヒンドゥー教徒の人にとって、ガンジス川で亡くなることは、「人生の今までの罪を全て洗い流し、解脱できる」ということ。
だからなのかもしれない。

最初、このガンジス川での火葬の環境が、日本での火葬の仕方を知っているからこそ、あまり良くないものなのではないか?もっと幸せな火葬の仕方があるのではないか?と思った。
しかし、環境の良し悪しではなく、ヒンドゥー教を信仰している人にとって、ガンジス川で火葬されるということが「幸せ」なのである。
日本での火葬の仕方とガンジス川での火葬の仕方を、ヒンドゥー教徒の方に提示しても、おそらく後者を選ぶのだろう。

正直、自分の中でも、まだ整理しきれていない。
あの状況が脳裏に焼き付いている。

ただひとつだけ言えることがある。



幸せとは何か。



それは宗教、育った環境、生きてきた環境、人間関係、望んでいること、夢、人によって様々なのだろう。
多種多様な幸せのカタチがこの世の中にはあるのだろう。


最後に

インドに来て、正直何かが変わることはなかった。
価値観が変わることはなかった。

しかし、人との対話を経て、
自分の人生を変えるきっかけを見つけた。

本を読んで、
忘れていた初心を思い出すことができた。

目の前の状況を見て、
ホンモノを見ることができた。


旅で人生を変えることはできないのかもしれない。

ただ、旅をしてそれを振り返り、その時に気づいたことを日常生活で実践、挑戦することによって、人生を変えることができるのかもしれない。
旅で感じたこと、考えたことを日常生活で実践してこそ、旅に行った価値があると思う。

旅をして、何かを見ることで
その後の人生がより豊かになるのかもしれない。

だから僕は、こうやって振り返りをした。
そして、旅の中では気づけなかったことに気づくことができた。

この世には、まだまだ知らない世界がたくさんある。
だから面白い。
もっといろんな世界を見てみたい。




タビイクについて

「旅がしたい。」だけど、不安で一歩踏み出せない人のための
1週間の旅の練習から始まる
現地実践型 海外1人旅育成プログラム
初めての海外一人旅の人が全国から集まり、専属の旅人が引率としてサポートしてくれる中、一人旅をできるような人を育てる旅人育成プログラム!

僕は、初めてのインドで、タビイク以外にも選択肢はありました。
でも、タビイクを選んだのは、一人や友達との旅ではわからない、旅の仕方、旅の楽しみ方を、旅のプロを見ながら学べるから。

実際の例で言うと、
ホテルをネットで予約をせずにウォークインで部屋の状態を見せてもらい、値段交渉をして宿泊場所を決める経験や、
電車のチケットをネットではなく、実際にチケットオフィスで窓口の人と話しながら予約する経験などをした。

一人旅や友達との旅では勇気が出ないことでも、タビイクなら同じ目的をもった仲間がいるし、引率がいる。
だから、安心して挑戦できる。勇気が出る。
そんな経験をできたからこそ、もうどこに行っても生きていける気がするし、大抵のことはなんとかなる自信がついた。

帰国した今、初めてのインド旅が本当に「タビイク」でよかったなと思います。
もし、刺激的な経験や旅をしたい人は、飛び込んでみてください。
不安でも飛び込んでみたら意外となんともないことは、めっちゃ多いです。僕にとって、インドはそういうところでした。
別に、僕はすごい人間じゃないし、大学まで旅を知らなかった人間です。
だから、これを読んでくれてる人にも、必ずできます。
これを読んで海外への一歩を踏み出す人がいると嬉しいです。

「タビイク」で一緒に旅をした仲間


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