国際観光学から紐解く、若者が旅するべき理由

こんにちは!TABIPPOイベントライターのあいとです。

今回はTABIPPOが運営するPOOLOで3月10日に催されたゼミ「国際観光学から紐解く、若者が旅するべき理由」についてレポートしていきます。

神奈川大学の高井典子先生とともに議論された内容を見ていきましょう。


本日のゲスト

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イントロ:次に旅したい場所はどこ?

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本題に入る前に、はじめにこのテーマを取り上げました。新型コロナウイルスの感染拡大によって、旅に出ることを制限され、悶々としながら毎日を過ごしている人は多いのではないでしょうか。筆者もその一人です。

再び自由に旅ができる日が戻ってきたらどこに行きたいか、参加者から次々と候補があがりました。

ハワイやニュージーランド、ウズベキスタン、アフリカ、エジプトのピラミッドなどたくさんの行き先が挙げられ、みなさんも旅に出たくてうずうずしていることが窺えました。


コロナによって、何が、どのように変わったのだろうか?

高井先生がまず上げられたテーマは「コロナによって、何が、どのように変わったのか」についてです。

コロナ前には当たり前のようにできていたもの(スポーツ、外食、音楽、コンサート等)が大いに制限されました。

そのことは旅や観光も例外ではありません。

これまでのように自由に旅や観光ができなくなっただけでなく、これらが非常にリスキーなものとして「排除」されてしまっています。

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そこで新たにヴァーチャル観光が頭角を現しつつあります。

これは動画等を使って、現地での旅をシミュレートするという新たなスタイル。世界中の観光地で急速に普及しています。

これまで様々な事情で旅行に行けなった人も、ヴァーチャル観光によって世界のどこへでも「旅することができる」わけなので、皮肉なことではありますが、コロナ禍が新たな観光の可能性を開いたともいえます。

しかし、どれだけテクノロジーが発達してもリアルな旅でないとわからないものや実現できないものはたくさんあり、コロナによって失われたものは多い。先生はそう仰っていました。

「誤配」という概念(東浩紀氏の『観光客の哲学』を読み解きながら)

思想家の東浩紀氏がよく使う言葉が「誤配」です。誤配の本来の意味は「郵便物や品物がある一定の確率で誤った宛先に配達されること」ですが、ここでは「身体の移動による旅の根源的な価値」を意味します。

旅における誤配とは、出会うはずのない人に出会ったり、見るはずのない風景を見たり、考えるはずのないことを考えるといった普段の生活では目にしない場面に遭遇することを示します。「偶然」といっても差し支えありません。

これまでの旅は自分の足で現地まで向かい、その土地の空気や食べ物、文化を全身で味わうことが主でした。また、予想や計画していなかったことが起きたことで「見えないものが見える」ことも旅の醍醐味であり、これこそ旅の根源的な価値でした。

身体的な旅によって引き起こされる誤配は、今わたしたちが生きる世界にとって重要な意味を持っています。

というのは、オンラインの急速な普及によって、わたしたちは自分にとって都合の良いものや好きなもののにだけ目を向けがちになっているからです。

そして、自分の考えに合わないものや不愉快なものを排除したりヘイトしたりすることが残念ながら起きています。同じ考えの人たちだけが集まり、コミュニティ内の繋がりは強いものの、異質なものを受け入れる耐性が衰退しつつあるわけです。

思いがけない出会いや発見の機会が減ってしまい、オンライン上では「誤配が起きづらい」。だからこそ身体の移動を伴う旅には価値があると先生は主張されていました。

二層構造の時代に生きる

先生は東浩紀氏の著書を基に二層構造の時代を説明されていました。それによると、全体をナショナリズム(グローバリズムの到来前の時代)の層とグローバリズムの層に分けて考えます。

まず、ナショナリズムの時代には市民社会(「私」の部分)と国家(「公」の部分)がうまく共存できており、ひとつの実体が構成されていました。

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しかし、グローバリズムの時代である現代は市民社会と国家が共存できておらず、各々の秩序が並存している状態です。

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具体的に説明すると、市民社会をグローバリズムの層と、国家をナショナリズムの層と言い換えることができます。

市民社会では個々人が自由な権利を持ち、かつ経済活動を行い、自分の財産を自由に使えることを示します。つまり市民社会を駆動しているのは経済。これに対し国家を駆動させているのは政治です。

ここでは、経済を欲望、政治を思考と置き換えられます。

経済の原動力は私たちの日々の欲求です。例えば「○○が食べたい」とか「○○にいきたい」とか「豊かになりたい」といったようなもの。これらがあることで生産活動や流通が動きます。この活動は現在、世界が互いに協力しあって行われており、グローバリズムによって動いている層と言えます。

これに対して、政治は各国の信条や思惑によって国家単位で成り立っているためここではナショナリズムの層と言えます。

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世界は外国の文化や食べ物、音楽や観光など経済の面では相互依存の関係にあり、グローバルな関係で生きています。しかし、国家間の政治関係では分裂や軋轢が生じ相互に協力できていない国があります。

したがって、「経済はつながるのに、政治はつながらない」、「欲望はつながるのに、思考はつながらない」そのような時代を「二層構造の時代に生きている」といいます。

先生は、ナショナリズムとグローバリズムの併存の中で生きていると、自分さえ良ければいいと考える人が増え、生きづらい世の中になるのではないかと懸念されていました。

それでは、個人の欲望に忠実でありつつ、それを公共へ繋げるにはどうすればよいのでしょうか。この問題について考えていきました。

解決策1 気ままで軽薄で無責任な観光客になる

一見すると「え?そんな観光客でいいのか?」と思ってしまいますね。しかし先生によると、無責任とは「旅先の社会に対して負う責任がない」ということです。

観光客は、旅先では一時的にどこのコミュニティにも村にも属することはなく、気ままにフラフラとこれらのグループの壁を行き来することができます。なぜなら観光客という状態では、現地のコミュニティや村に対していかなる責任をも負わないからです。よって、どこかのグループに固執する必要がないため、外の世界に目を向け、新しい世界に出会うことができます。

そこから「自分がこれまで属していた世界は最善でないのではないか」「もっとより良い世界が作れるのではないか」ということに気づける。これが観光客のできることではないか、と先生は主張されていました。

(注:「旅先の社会に対して負う責任がない=旅先では何をしてもよい、旅の恥はかき捨て」という意味ではありません。その場所に根を下ろして生活する者としての義務も権利も責任(たとえば納税の義務や選挙権など)もなく、あくまで一時的にお邪魔させていただいている「外部者」ということです。)

解決策2 第3の生き方としての観光客になる

先生は東浩紀氏の論を引用し、人生論を大きく2つに分類しています。

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第3の生き方としての観光客とは、村人であることは忘れず、時に世界に目を向けるために一時的に村から出て旅人として生きる(=ときどき観光客になる)ことをいいます。

このように村人と旅人との間を行き来することによって、誤配が起きやすくなります。それによって新たな興味関心が生まれたり、これまでの自分を振り返ったりするきっかけになりうるのではないでしょうか。

そして、このように第3の生き方としての観光客というポジションを得ることで、自分が属していない外の世界のグループや村との壁を取り除けるのではないか。これが先生のお考えでした。

解決策3 よい観光客になる

現在もコロナの影響で自由に旅や観光ができない状態が続いていますが、いつまでもこの状況が続くわけではありません。コロナ前と同じように自由に旅ができるようになったときに、観光によって地域をさらに活性化させるには「よい観光客」になる必要があるのではないでしょうか。

ここでの「よい観光客」とは単に礼儀やマナーをわきまえていることをいうのではありません。それでは一体どんな観光客のことでしょうか。

2つの意味があります。

第1に、よい観光地はよい観光客によって育てられる、ということです。各地の観光地には、えてして観光客向けにアレンジされた過商業的なショーなどがありますよね。それはそれでビジネスとしては「あり」なのですが、そうした演出にまんまと乗せられて「バリの伝統芸能を見てきた!」と単純に喜んでいるだけでいいのでしょうか。

すべての観光客がそのようなノリになってしまうと、観光地の文化は単なる商品となっていきます。そうではなく、そうした演出の裏を読み取り、あえて「いま、私は商品化された文化を消費しているんだ」という感覚を持っていることが重要ではないでしょうか。

そして時には、「こんな嘘っぽいものは見たくない、現地のひとが本当に誇りに思っている文化を体験したい」と言ってみることも大事かもしれません。インスタ映えの風景だけを追い求める観光も実はまったく同じ構造のなかにあるということにも敏感であってほしいと思います。

第2に、見るはずのないものを見たときに湧き上がる感覚を大事にしよう、ということです。(上記とも被りますが)観光地側からすれば、ビジネスとして観光を提供している以上、観光客に「何を見せて、何を体験させるのか」反対に「何を見せないか」を区別しています。

しかし。観光客は見るはずのないものを見たり、知るはずのないものを知る機会や自由があります。これはまさに誤配です。

たとえば、美しい南国リゾートの一歩外に出た際にふと目にした貧しい家並み。或いは、京都の街なかに立つけばけばしい看板(古都の風情丸つぶしのような…)。そういった場面に遭遇した時にみなさんはどうするでしょう?

心の中にある「美しいリゾート」や「古都の街並み」というイメージを守るために「見なかったことにしよう」と思うかもしれません。もちろんカメラを向けることなどないかもしれません。しかし、これらは観光地の現実そのものです。そのときに心の中に湧き上がるかもしれない違和感やハッとする感じ…その気持ちをしばらく心に留めおいてみてほしいのです。

旅行をして、ただ楽しかった、という「快」感情だけを持ち帰るのではなく、「不快」や「理解できない」や「疑問」なども一緒に持ち帰ってほしいのです。世界は美しいものだけでできているわけではない、フェアな世界でもない、矛盾や問題に満ちた場所であることに思いを馳せる、それこそが観光による誤配が世界を変えていく一歩につながるのだと思います。

参考記事

質疑応答

講義後、全体ディスカッションとして質疑応答が行われました。さまざまな鋭い質問がありましたが、その一部をご紹介します。

質問1:見えないところを見たいと思って、観光したとしてもなかなか見つからなかったり見えなかったりしますが、どうすれば見えるようになりますか。

先生:私は結構仕切ってしまうタイプなので、あえて趣味・嗜好の違う人を旅行に誘い、その相手に旅行のプランを任せるようにしています。そうすることでより旅の誤配が起きやすくなるからです。誤配を起こしやすくするには、事前に計画しない旅のほうが良いと思います。

質問2:観光客としての目を養うために、普段の生活から訓練できることはありますか。

先生:当たり前のことや常識を疑ったり、物事を違う側面から見たり考えたりする習慣をつけると良いと思います。

質問3:最近流行りの田舎への移住は、よいストーリーを見せられて、それだけを信じて移住し、現実とのギャップに苦しむ人が多いような気がしますが、先生の見解はいかがでしょうか。

先生:地方に行けば行くほど村社会としてのつながりが強いので、その村に馴染むには時間がかかると思います。人口を増やすために自治体が移住者を積極的にサポートしている市町村は多いですが、最終的には自立しなければならないので相当な覚悟や忍耐も必要ですね。私の知り合いが村に馴染むのに10年かかったと言ってました。

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最後に:TABIPPOが運営するPOOLOについて

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POOLOは、1年間という長期にわたって、講師による専門講義、サークル活動、オンライングループ、POOLO HAWAII CAMPなどインプット・アウトプット・コミュニケーションを通して次世代のグローバル人材を育成する大人の学校です。

POOLOに関する詳しい内容はこちらをチェックしてみてください。

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取材・文:あいと

旅が大好きな大学院生。フランスに10ヶ月ほど留学したのをきっかけにヨーロッパの旅にハマり、20か国を周遊した。目標はヨーロッパ全国制覇。また、時間や場所にとらわれない働き方に憧れ、複数の仕事を本業とするスラッシュワーカーとして活動中。

編集:五月女菜穂
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