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写真の金言

私には写真の父がいる。

この父のおかげで私は本格的に写真を始めることになった。

父との会話はどれも有意義で、
父の言葉は正しく金言である。

その言葉を私は時折手帳に書き留める。

そのやりとりを少しご紹介したいと思う。

私は自分の作品をよく父に見てもらう。

「真似をする事は学ぶこと」なので私はいいなと思う写真家の真似をしては勉強することが好きだ。
この時は写真家森山大道にはまっていて森山大道っぽい写真を撮れたらいいなと思いスナップを撮ったものを父に見てもらった。

これはその時の言葉だ。

カメラはシャッター押すととにかく写っちゃうので、その映像と自分とを結びつけるのが逆に希薄になる世界だと思う。絵とか音は基本のスキルがたくさんあってそれを身に着けていく道程で自分らしい世界が醸造されていく。写真はその道程がないからね。だから写真家は対象が何か、を自分との結びつき方にしてしまう。それがもっとも簡単、分かりやすい、ということかな。人物、それもファッションだったり、フツーの人だったり、子供だったり、異国の人だったり。もっと絞るとチュエルノブイルの人だったり。動物だったり、風景は街だったり、月の光だったり、山、海などなど。大きく分けて人派と風景派、モノ派。その対象と自分の結び付きに特異性があればあるほど写真はそれを反映するから特色、個性が出る。例えば人は冷たく見るのか、温かく見るのか、に分かれます。森山さん(写真家森山大道氏)なんか冷たい派だよね。人と社会の疎外感の世界を抽出した人だから。りょうちゃん(わたしのことです)は違う。暖かい派。りょうちゃんは人をまず疑わないでしょう。そういう人は森山の写真は撮れないよ。ウソになってしまう。こうなると写真ってどこまで自分自身を抽出できるか、かな。批判より共感があなたには向いている。もっともっと街を好きになる、というように。自分が一番自分らしい居場所で写真撮ったらどうですか。人派のそれも暖かい人派の荒木経惟さんなんか奥さんだったものね。風景で暖かい人って誰だったけなぁ。


このメッセージも何度も読んだ。何度も読んでしまう深いメッセージなのだ、いつも。このメッセージを読むことで自分の考えを整理することができるので私はこの父からのメッセージに対する問いに答えを考える時間がとても楽しい時間なのである。

自分の居心地の良い場所で写真を撮る。ちょうどそう思って自分が長く東京で過ごした表参道、青山に撮影に行っている。洗練された街、オシャレな街を切り取りたい。それがとても楽しいし、自分らしくいれる気がする。まだコンセプトにまで落とし込めてないけれど、人の温もりが感じられるハイセンスな写真が撮れるといいなと思っている。
人の温もりとハイセンスと言う言葉は反対の場所にある言葉のような気もするが(ハイセンスとは人くさくないというかクールな洗練されな印象を一般的には持たれると思うので)最近シャネルの自伝や昔の映像を調べてみていて、

人の手で創り出されたファッション、文化が、人によって広められて、そのファッションを身につけた人のアイデンティにも繋がっていく。

何か私のヒントになりそうだと思ったのだ。誰のためのファッションか、誰のためのオシャレなのか。それは自分のため、人のため。若くして亡くなった母がとってもオシャレでキレイで、私の自慢で子供頃からカワイイ洋服や髪飾り、靴とオシャレをたくさんしてもらって、とっても素敵な思い出がたくさん胸に残っていて、思い出すと幸せな気持ちが蘇る。この辺り向き合ってみようかなとか思うのだ。東京というハイセンスな街をスナップで切り取る。住んでいた表参道、青山、勤めていた丸の内、この辺りのスナップがいいなぁなんて思っているし、他方、東京、日本らしさも出さないといけないかなとかいろいろ考えている。

こうして毎日いろいろ考えながら自分の追い求める作品を追い求めている毎日なのだ。

またこの父とのやりとりをご紹介していきたい。

最後までお読みいただきありがとうございました。またお話聞いてくださいね。

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