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Note31: インレー湖(2011.6.6)

【連載小説 31/100】

インレー湖の風物詩ともいえるのがインター族の漁風景。
細長い小舟の端に片足で立ち、もう一方の足で櫂を操る独特の漕法で湖面を移動し大きな籠を水に沈めて湖魚をとるシンプルなスタイル。

ひとりの漁師が大きな湖の上で微妙なバランスをとりながら、水面下を泳ぐ魚たちと対峙する。
その静かな駆け引きの成果が日々の糧を待つ家族の生活に直結する意味においてこの「漁」は「猟」である。

見ている側には風情あふれる光景でありながら、当の本人にとっては真剣勝負。このヒトとサカナの対等な関係性も、現代を生きる僕たちにとっては過去に残してきた“忘れ物”といえるのではないだろうか?

人類と自然界の知恵比べなどと記すと大袈裟かもしれないが、インター族の漁には“種”の間のフェアな関係というか、ある種のバランスが成立しているような気がした。


文明化はひたすら量と効率性を求める。

漁でいえば一本釣りから網への展開や魚群探知機を使ったハイテク化、もしくは養殖による人工的な生産体制の確立のこと。

この流れは様々な分野に当てはめることができる。

“旬の味”として楽しみに待たれた食材が温室やバイオテクノロジーによって季節に関係なくいつでも入手可能になる。

匠の技を持つ職人が昼夜をかけて作った工芸品の類いが精巧なロボット技術と合理的な生産ラインで大量生産される。

かつては思いを紙に記し、時間をかけて遠くにいる相手に届けた手紙というコミュニメーション手段がメールの登場によって瞬時にかつ大勢の相手に届くようになる。

といった文明化の事例はいくつでも挙げることができるだろう。

僕はここでこれらの進化を否定しようというのではない。
我々人類が日々得ている豊かさの多くは先代が営々と励んできた探究心の賜物だからである。

ただ、のどかなインレー湖で漁をする民を遠くから見ていると「少しバランスが悪くなってきたのかな…」との思いはある。

刀剣を武器に人が生身で向き合って闘っていた戦争が銃器の登場によって陸海に距離を広げ、今やコンピューター制御のヴァーチャル戦になったように。

自らの足で踏破した旅が鉄道や自動車の登場で広範に可能となり、航空技術によって世界大にネットワークされたように。

火をおこして夜の闇を克服した後に、水や風といった自然の力を借りた発電が登場し、原子力発電という核反応を利用した桁違いのパワー生産が可能になったように。

文明の進化は常に加速度的で、気付けばヒトのサイズを遥かに越えてしまう。
量と効率を求める先に待っているのはバランス崩壊なのだ。

僕たちには食べきれない食材も、使い切れない商品も、読み切れないメールも必要ない。
求めるべきは適正な量の“豊かさ”である。

インレー湖の湖上に揺れる小さな船も、そこに立つひとりの漁師も、彼が操る素朴な籠もみな不確かなものではあるが、そこに絶妙なバランスがとれているように思う。

今、世界は明らかに不安定であるが、このバランス感覚の中に豊かな未来のヒントがあるのではないだろうか。

明日、ミャンマー第2の都市マンダレーへ移動する。


>> to be continued

※この作品はネット小説として2011年6月6日にアップされたものです。

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