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134.環境難民

2004.9.7
【連載小説134/260】

不思議なもので、僕の周囲で全てが予定されていたかのように繋がっている。

ツバルという国家は、本質的な部分でトランスアイランドという実験国家の誕生のきっかけともいえる存在だった。

今、ツバルを訪れているTWCというマーシャル諸島共和国の航海プロジェクト。
このエコロジー計画にはトランスアイランドが深く関わっている。

マーシャル側の代表は共和国議員のカブア氏。
僕は彼とトランスアイランドへ移住する1年前の2001年に既に知りあっていた。

同じ2001年、ツバル政府は海面上昇による国外水没危機の声明を世界に向けて発信した。

この衝撃的なニュースは各国で話題となり、皮肉にも小国ツバルは1978年の独立以来最も注目される機会を国家存続の危機というかたちで得ることになってしまった。

そのツバルに対し、90年代前半から支援を続けている人物がいる。
トランス・セブンの代表で、僕をトランスアイランドへ導いた人物、ミスターGである。
(ミスターGの紹介は第64話。トランス・セブンについては第99話

1989年の国連レポートでツバルが21世紀に地球温暖化の影響で消える国と報告されて以来、彼は自身が関わるNGO組織を通じて同国に対する支援を重ねてきた。

海水を真水に変える淡水化プラントやソーラー発電設備の整備がそれらである。

彼がトランスプロジェクトをスタートさせるに至った背景には、こういった小国家への支援活動や以前に紹介した野生生物保護活動などの地道な取り組みの積み重ねがあったのだ。
(動物園関連事業は第100話

地球温暖化による海面上昇がもたらす島嶼国家水没の危機がトランスアイランドにとっての大きな外敵であることは、この『儚き島』のスタート時にも記した。
第4話

その危機が最も顕著なかたちで現れたのがツバルという国家であり、ミスターGやカブア氏の使命感と具体的行動に導かれて、僕は今、この国を観察するポジションに至っているのだ。

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「環境難民」なる言葉がある。

戦災や震災などによる避難ではなく、海面上昇や砂漠化など、環境の著しい変化により居住地を離れることを余儀なくされる民のことを指す。

一国家の人民全てが難民になる、などという悲劇は文明国においては考えられない事態である。
ところがツバルにおいては、それが現実的な問題なのである。

平均海抜が約2メートルのツバルは、海面上昇により21世紀中に人間生活が不可能な国家となる予想が立てられている。

存続の道はふたつ。

他所への移住を行うか。
海面上昇を食い止めるか。

ところが、どちらもそう簡単なことではない。

まずは移住の道。

ツバル政府は以前、オーストラリアとニュージーランド両政府に対して移民受け入れを申し入れたが、オーストラリアはこれを拒否。

ニュージーランドとの間には「PAC」と呼ばれる移住制度が成立したものの、これは一種の「労働移民」であり、年間受け入れ数も現在75人で「環境難民」の受け入れとは異なるものだ。

世界で2番目に人口の少ない1万人強の国民とはいえ、その全てを移民政策で安全な場所へ移すなどという取り組みは現在の国際社会においては至難の業であるし、仮にそれが実現してしまえば国家そのものが喪失してしまうことになる。

未開の島を新規に開拓し、そこに新国家を創造するという道もないわけではないが、これもまた実現に向けてはクリアしなければならないハードルがあまりにも多いだろう。

では、海面上昇をもたらす地球の温暖化を止める道の方はどうか?

こちらの選択肢はさらに困難である。
なぜなら地球温暖化の責任は文明国にあり、当のツバルが被害者という構図があるからだ。
つまり、ツバルの主体性のみによってはどうにもならない問題なのである。

おまけに、その被害者たるツバルは加害者側の文明国との付き合いなしには生きてはいけないという複雑な関係性をもって国際国家社会の成員となっている。

複雑な関係を列挙してみようか。

まずは、前回紹介したIWCの捕鯨論争と地球温暖化の問題を重ねてみる。

反捕鯨でツバルと対立する米国やオーストラリアは、CO2削減を目的とする京都議定書を批准しない国家でもある。

一方で動物愛護の名のもとに環境に近い立場を主張しながら、他方では化石燃料の過剰消費による自然破壊を放置している国家ということになる。

伝統的にクジラを食す習慣を持つ日本などの捕鯨国家に対して、クジラの鯨油を燃料資源として重宝していた国家は石油の登場によって捕鯨の必要性がなくなった。
故に一頭の捕鯨も許さず、クジラの全てを護ろうというスローガンが無理なく可能なのだ。

ところが、今度は石油に絡む利権やマネーなくして国家運営が成立しなくなってしまった。

いち早く風力や太陽光によるクリーンな発電に取り組んだヨーロッパ諸国はCO2削減を本気で考えるが、石油依存国家は自国に都合の悪い国際協調策に加わらない。

ではヨーロッパ諸国が南洋の島国にとって「優しい」存在なのかというとそうでもない。

イギリスやフランスは太平洋を核実験場として利用してきたし、その補償問題は長く続いている。

ツバルから見れば、どの文明国にもプラスとマイナスの要素が存在し、それら総計のマイナス分が国家水没というかたちで表層化しているということだろうか。

もちろん、悪いことばかりではない。

ツバルは1987年にイギリス、オーストラリア、ニュージーランドの拠出により国際信託基金を設立したが、10年で倍増したその運用益は国家財政を大きく助けてきた。

また、「.tv」というツバルのインターネットにおけるトップレベルドメインの使用権を米国のベンチャー企業に売却した利益で2000年に国連に加盟した動きは注目に値するものである。

そう遠くはない未来の一大事に対して準備を行いながらも、目前の国民生活を護る努力を怠ることはできない…

世界で2番目に小さい島嶼国家は、その船底に沈没のリスクに直結する穴を持ちながら、それでも国際社会という荒波の中を旅していかなければならないのである。

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さて、ツバル滞在中のジャブロ号に乗るトモル君からの報告を紹介しておこう。

-この島を沈没させない!-

と題された彼のメールにはこんなことが記されていた。

国家水没の危機がありながらも南洋の民ならではの特性なのか、ツバルの人々はとても明るいのだという。

大人からは伝統的なダンスや漁業を教わり、子供たちとは毎日のようにサッカーの試合を重ね、笑いの絶えない楽しい日々らしい。

「今のところツバルチームとジャブロチームの勝敗は五分五分です。でも、この島がなくなってしまえば、サッカーの勝敗結果も友情も思い出もなくなってしまうから、絶対沈没させないためにはどうすればいいのか僕らは試合後に話し合っています。資源を大切にしようとか、譲り合いの気持ちを忘れないとか、当たり前の答ばかりが出てくるのですが、なぜかそれが新鮮です。」

悲観を楽観へ逆転させる強さが南の島や少年の心には残っているような気がする。

悲観を悲観のまま終わらせてしまう文明国に住む大人の方が、実は「環境難民」なのではないだろうか?

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

この回で小さく触れていた「.tv」について。

ccTLD(国別コードトップレベルドメイン)とは国や地域を対象に付与されている固有のドメインで日本でいえば「.jp」、英国は「.uk」、米国は「.us」、韓国は「.kr」などです。

人口1万人規模の貧しい島国だったツバルに割り当てられたドメインが「.tv」だったことから世界中のテレビ局が採用。
このドメインの使用権を米国のベンチャー企業に売却した収入を原資に国連加盟をがもたらしたことに触れましたが、ツバルのGDP約700万ドルに対して400万ドルを占め、国連加盟に加えて空港や学校、インフラの整備に活用したそうです。
インターネットビジネスで儲けるのは先進国であることは確かですが、このような起死回生的なビジネスで国家を発展させた事例はないと思います。

ちなみにccTLDの事例として以下のようなものがあります。

●「.ch(スイス)」:チャンネル
●「.fm(ミクロネシア連邦)」:FMラジオ局
●「.cd(コンゴ民主共和国)」:コンパクトディスク(CD)
●「.dj(ジブチ)」:ディスクジョッキー(DJ)

一方で、「.cs」という顧客満足度を意味するドメイン名がチェコスロバキアに割り当てられていましたが、チェコ共和国とスロバキア共和国へ分割されたことで廃止された事例もあります。

逆に「.ai」という人工知能時代に脚光浴びている国がカリブ海の島国アンギラ。人口16,000人のイギリス海外領土ですが、2023年の利益は3,000万ドルだったそうです。

プレミアム価値のあるドメインが高く売れるというビジネスモデルを現在に置き換えると「NFT」や「DAO」ビジネスに通じるところがあり、小国や過疎地のサバイバル戦略が潜在しているように思います。
/江藤誠晃

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