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106.優れたミュージアム国家

2004.2.23
【連載小説106/260】

博物館を訪ねるということは、極小の自己を到底かなわぬ歴史の重みの前にさらすことである。

開館と同時に先客のいない異国のミュージアムにひとり入り奥へと進む。

世紀を経たセピア色の人物写真の眼差し群がじっとこちらを観察している。

幾多の手垢にまみれた工芸品や民芸品の類が無言のうちに解せぬ言語で次々とメッセージを放ってくる。

窓のない密室に微風が吹き、頬を撫でたような気がする。

目を閉じると声が聞こえる。

「何者だ?」

「何処から来た?」

「過ぎし時代を前に何を考えている?」…

そう、静かな博物館にひとり佇むことで僕らは歴史に試されるのだ。

扉ひとつをくぐることで日常の時間を離れ、過去を疑似体験し、同じ扉からひとつの悟りと共に現実へと帰還する。

で、僕が得た悟りとは?

それは、今を生きる我々もいつかは過去に吸収され、何処かの博物館で「見られる側」にまわるという避けがたい連鎖の事実だ。

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シンガポール入りして3日目。

今日も市内中心部を流れるシンガポール川の北岸に建つアジア文明博物館2号館を訪ねた。

「今日も」と記したのは、昨日夕方に訪れたこの博物館を閉館までに見て回ることができず、今朝一番で再訪したからである。

ちなみに、1号館の方は昨日午前に訪れて、アジア各地の文化遺産と民族融合によるペラナカン文化展示をじっくり見学して回ったのだが、20世紀初頭建立の華人系学校を活用したこの1号館がコンパクトなミュージアムであったため、2号館も1~2時間で見学可能と推測して16時過ぎに訪れたのが間違いだった。

改めて、たっぷり4時間の見学を終えた僕は、川をはさんで2号館の対岸に位置するボート・キーに訪問直後のライブな興奮と共にやってきた。

ボート・キーは川沿いに多数のレストランが連なる飲食ゾーンで、300メートル程にわたって店舗前のリバーサイドに並ぶオープンエアのテーブル席は、夕方になるとローカルとツーリスト双方の賑わいで活気づく人気スポットだ。

比較的人も少ない昼すぎのこの場所で、川面から吹く心地良い風とよく冷えたアイスティーがヒートアップした僕の心を徐々に冷ませてくれる。

濃密なアジア紀行を体験させてくれたミュージアムを少しの距離をとって眺めることで、旅から帰った後の余韻と客観のごときポジションへと自らを移行させることができるのだ。

アジア文明博物館2号館は、昨年3月完成の真新しいミュージアム。

1854年に東インド会社の庁舎として建設され、戦後から独立に至る期間には国家の中枢機能を担ったエンプレス・プレイスを改装して作られた。

西アジア、南アジア、東南アジア、中国と連なる広範なアジア大陸史を、多数の貴重な展示品とマルチメディアによる動的プレゼンテーションで丁寧かつ盛り沢山に解説してくれる極めて優れた博物館だ。
(様々なミュージアムを訪ねた僕の経験からしても、これ程の施設にはなかなか出会えない)

前回、シンガポール訪問中に僕なりの形容詞を見出してみたいと記したが、そのひとつ目が「ミュージアム国家」である。

アジア文明博物館の2施設を訪ねただけで、そう結論付けるのは早急ととられるかもしれないが、僕がイメージする「ミュージアム国家」というのは、「優れた展示施設を質量併せ持つ国家」という範疇に留まらない。

国家そのものに、ある種のミュージアム性が内在しているという意味である。

例えば、優れたミュージアムの条件としてエントランス部の存在感があると思う。

迎える者に対して、その先への期待感を抱かせると同時に一種の威圧感で主従関係を瞬時に悟らせる説得力とでもいおうか?
重厚な玄関や知的なレセプションスペースの在り方は、展示内容以前のファーストインプレッションとしてミュージアムと見学者の関係性に大きな影響を及ぼす。

アジア文明博物館2号館でいえば、正面玄関をくぐって受付までの空間が吹き抜けにして10数メートルとかなり広く、訪問者はここを歩く間において既にアジアの奥深さに対する自身の小ささを思い知らされる。

実は、一昨日この国に到着した際に、国の玄関たるエアポートで僕の中に同様の直感があった。

アジアのハブとして眠らない空港。

入国手続きに関わる導線の明解さと誘導性。

各種電飾サインからカーペットに至る細部の機能美。

平均的な空港の喧騒リズムやスピードがあるとすれば、それより少し緩やかなアナウンスと微かに聞こえるBGM…

過去に訪れた国々とは明らかに違う、玄関口で包まれる感覚。
それもかなりのレベルでの心地良さ。

実はあの時点で僕は巧妙な仕掛けによるミュージアム国家に惹き込まれていたのかもしれない。

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「改装中国家」

シンガポールに付けたふたつ目の形容詞である。

この国では常に大きな観光施設に改装が施されているようだ。

最も古く最大規模を誇る歴史博物館は4年にわたる大掛かりな改装期間に入っているし、南部のセントーサ島にある高さ37メートルのマーライオン・タワーも内部改装で入場できない、といった具合。

普通の観光地であればツーリストからのクレームに直結しそうなメインアトラクションの休業も、他施設の充実が帳消しにしてしまう。

いや、それどころか僕などは今から改装完了後のシンガポール再訪を考えてしまう。
そして、その頃には今回訪問するミュージアムさえも展示内容を微妙に変化させて巧みに僕を誘い込むのだろう。

いや、場合によっては、次回はそちらが改装中か…

頭脳国家にして観光先進国ならではの高等戦略?
などと勘繰るのもまた、この国の楽しみ方のような気がしている。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

慌ただしいシンガポール出張から戻っての回顧録。

20年前の初訪問でこの国に対して僕が付与した「ミュージアム国家」と「改装中国家」は、なかなか的を得た形容詞だったと思います。

まず、当時は1号館と2号館に分かれていた文明博物館は、先にできていた1号館が2008年にリノベーションして「プラナカン博物館」に改名したため、もう一方は「2号館」がとれて「アジア文明博物館」となりました。

これだけも見ても「ミュージアム国家」と「改装中国家」は正解です。

その後、僕のお気に入りだった「イメージオブシンガポール」は改装して蝋人形館の「マダム・タッソー館」になり、2011年のマリーナベイサンズの誕生にあわせて「アートサイエンスミュージアム」が誕生するなど、この国の博物館事情は訪れる度に様変わりしています。

ミュージアムという箱物がその展示内容を変化させていくように、シンガポールという国はその展示物たる数々の施設を意識的に変化させている…と考えれば、何度訪れても飽きない国づくりという巧みな観光戦略といえるのです。

そんなシンガポールで今、最もおすすめのミュージアムは?と問われたら即答したいのが2019年にチャンギエアポート内に完成した「ジュエル」です。

「魔法の庭園」をテーマに設計された商業施設は一般的な「博物館」ではありませんが、この国を20年間にわたって定点観測してきた僕からすれば文明史に残るミュージアムです。
※この回でもチャンギエアポートのミュージアム性にふれています

世界最大の屋内人口滝というコンテンツをその国のゲートウェイである国際空港の中に建設するというアイデア。
それこそが僕を虜にしたシンガポールの魔法なのです。
/江藤誠晃

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