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107.動物園が博物館になる日

2004.3.2
【連載小説107/260】

19時40分。

自然保護区の森が薄暮から闇夜へと移行する微妙な時間。
多数の見学者を乗せたトラムが滑り出すように動き出す。

シンガポールが世界に誇る観光アトラクション、ナイトサファリのスタートだ。

以前、日本の動物園で夜行性動物展示館なるスペースを訪れたことがある。
公営の動物園ゆえに17時閉園と決まっているから夜の見学ではない。

他の檻から離れて外光を遮断された建物内に人工的に再現された薄暗く狭いスペースがあり、数種の夜行性動物が押し込まれている。

おまけに疑似夜間が演出されているにもかかわらず、動物たちは皆疲れた様子で動くこともあまりない。

無理もないのだろう。

人類と違って野性に近い種ほど大自然のリズムに同調した生物時計を内在させて生きている。
どれだけ人工の夜を創造しようと、彼らは本能的に実際の時間を感知しているに違いないのだ。

文字通り「不自然」な環境、それが日本の夜行性動物展示だった。

で、シンガポールの夜行性動物体験。

一気に密林の間をぬう回廊へと入り込んだ我々の耳にはオオカミの遠吠えが聞こえ、目を凝らす先でシカの眼光が光る。

自然の奥底へと迷い込んだかのごとき錯覚は人を無口にし、厳かな気持ちにさせる。

見る者と見られる者の関係が限りなくフェアに近い。
それがナイトサファリだ。

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シンガポール滞在も2週目に入った。

快適な毎日はディックが僕のために紹介してくれたガイドのヘンさんに負うところが大きい。

ヘンさんは中国系のシンガポーリアンで引退前のディックが最も信頼していた部下のひとり。
単なる観光スポットの紹介に留まらず、この国の歴史や文化、生活全般に関する豊富な知識で僕の取材を助けてくれている。

彼が僕のために用意してくれた部屋は、マリーナ地区に位置し世界的な高さを誇るスイソテル・ザ・スタンフォードの60階。
ツインルームは清潔にして広く、LAN環境も整備されて快適な書斎だ。

半月の滞在には充分な時間があるから、焦っての観光活動は控えて、キーボードに向かっての創作やネットワーク情報収集の合間に屋台街へ食事に出かけたり、ラッフルズ・ホテルのカフェで読書を楽しんだりの優雅な日々を過ごしている。

さて、部屋は南西の方角を向いているから窓の下にはあのマーライオン・パークが見え、その向こうには高層ビル群、セントーサ島やさらにはマラッカ海峡までが見渡せる。

多分、北側の部屋からはナイトサファリのある北部エリアが緑深い密林として遠くに見えているのだろう。

そう、昨夜訪問したあの場所はここからわずか10数キロの場所にあるのだ。

北緯1度に位置するシンガポールは熱帯雨林に代表される高温多湿の熱帯性気候帯に属し、その環境を活かして1994年にナイトサファリはスタートした。

この施設の世界的な評価は、「環境教育」の場としての多数の訪問者獲得はもちろんのこと、動物園施設のもうひとつのミッションである「種の保護」活動において大きな成果をあげているところにある。

冒頭に日本の夜行性動物展示館体験のことを記したが、ここでは観察する我々に動物の寝姿ばかり見せられるストレスはないし、見られる彼らにしても安眠妨害を被ることはない。

多分、動物たちにとっても環境的、生理的に居心地が良く、それ故に幾つもの繁殖成功事例が報告されているのだろう。

動物たちを本来の生活の場から引き離すことで成り立つ動物園は、どこまで進化しても人類のエゴイズムの産物なのだろう。

が、そこを文明社会における謙虚な学びの場とし、大きな反省と共に地球という星の同朋たる動物たちの存続へ寄与する場とするなら、シンバイオシス(共生)の象徴へと転化させることも可能だ。

そんなナイトサファリを評価すると同時に、一方で悲観的な気持ちが増幅せざるをえない事実にも触れておこう。

闇夜を進むトラムでは、係員による動物ごとの詳細解説が行われるのだが、参加者はそれらの中に絶滅の危機コメントばかりを聞くことになる。

実際、ここで飼育されている動物の半数以上が絶滅危惧種であり、ナイトサファリはある種レッドリスト(絶滅のおそれがある野生生物リスト)の生体ミュージアム的な役割を担わされているのだ。
(絶滅の直接的な要因が、生息地の破壊や汚染と狩猟に加えて化石燃料使用の増大による気候変動という人為的なものであることは改めて説明するまでもないと思うが…)

動物園には文明から遠く離れて共存する野生界の「現在」を観察する覗き小窓のごとき機能があったのではないだろうか?

ところが、道を誤ればそこが遠くない将来に動物界の「過去」を展示する博物館になってしまう。

そんな日が到来しないために、僕らはこういった施設で自然の偉大さに触れ、人類の愚かさを知ることで、日々の生活と思想を改めなければならない。
その集積と連鎖の先に種の絶滅はバランスと共に減っていくだろう。

トラムから降りた人々の目に宿るどこかシリアスな眼光の中に少なくとも僕はその可能性を感じた。

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「アイデア国家」。

僕がシンガポールにつけた新たな形容詞だ。

豊かな自然保護区に昼間と夜間の動物園を別個に作り、それぞれの特性を活かしたエンターテインメントと環境教育を準備する。
(ちなみに昼の動物園も250種3000頭の動物が飼育される自然環境に近いオープン・ズーだ)

このアイデアは観光分野において商業的成功を治めるのみならず、エコツーリズムやローインパクト・ツーリズムという21世紀観光の模範モデルとしても意義あるものだ。
(21世紀観光のキーワードについては第28話を)

夜間時間の使い方のうまさで言えば、南部のセントーサ島が水族館やテーマパークといった昼間のアトラクションに対して夜にレーザー光線と噴水のスペクタルショーを展開しているのも同様だ。

観光マーケット全体から見ても、国際的なコンベンションの積極的誘致によるビジネス客も含めたインバウンド獲得や、レストラン街やショッピング街におけるローカルとツーリストの無理なき融合の中に合理的かつ手堅いこの国の戦略的アイデアが見てとれる。

動物園という極めて知的にして自然に近い施設は、過去を覗き見るための博物館になるのか、それとも未来に向けての「種の方舟」たるタイムマシーンとなるのか。

この国のアイデア力で後者の道が闇夜の向こうへと延びて行くことを願うばかりである。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

この年、シンガポール動物園のナイトサファリを訪れた時の感動は忘れられない。
「見世物小屋」というイメージとしての動物園の存在価値を抜本的に変容させるコンセプトと空間づくりを体感したからです。

その後、2012年に僕のプロデューサー塾の大学生スタディツアーで再訪しましたが、若者たちもおおいに楽しみ、学んでくれました。
エデュテインメントと呼ばれる娯楽と教育がコラボさせる形式が成り立つことは、その後の僕のマーケティングに大きな影響を与えてくれたと思います。

●地球温暖化で沈んでしまう島がある
●絶滅危機に瀕している動物たちがいる
●過疎化で限界集落が生まれる

そんな社会課題に対して僕たちはどう動くべきなのか?

残念ながら「知識」だけを得て「犯人探し」をする評論家ばかりが増える世の中。
僕が目指したのはそこに抗うための「知恵」を得た行動家だったのですが、広くて静かでとてつもなく楽しい夜の動物園は物言わぬメンターのような存在でした。

昨年からシンガポール通い?が復活した僕のトラベラーライフ。
次のシンガポール旅行では久しぶりに訪れてみたいと思います。
/江藤誠晃

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