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058.防衛に関する私的見解

2003.3.25
【連載小説58/260】


「平和」の反対語は何か?

この問いに対して、多くの人が「戦争」と答えるだろう。
ならば今、世界は「平和」にあらずということになる。
国連の存在も、反対する強力国の努力も、世界中で民主的に沸き起こる反戦のパワーも不幸な戦争への突入を止めることはできなかった。

世界がひとつにネットされた21世紀。
「戦争」は直接的に戦闘を行う当事者国だけの問題ではない。
複雑な力学関係の中、誰もが間接的当事者になるのだ。

トランスアイランドにおいても先月判明したハワイのオアフ島におけるテロ未遂以降、入国者の身元照会や所持品検査等を強化する厳戒体制に入っている。

ネットにアクセスすれば刻々と国際情勢のニュースが入ってくるから、表面的な変化はなくとも、今までにない緊張感が島とそこに過ごす人々の中に芽生えているのは確かだ。

僕らは、どんなかたちで争いに巻き込まれていくのだろう…

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実は、このひと月の間に何度かの臨時コミッティ会議が開かれている。

「島の防衛をどう考えるか?」
がテーマなのだが、なかなか方針が一本化できないでいる。

島における外部との接触は、ハワイ-トランスアイランド間の定期空路とインターネットのみだから、入国管理とネットセキュリティに注意をはらっておけばよいし、戦争国との経済的、軍事的利害関係はないから、島民の生活や安全が脅かされることはないはず。

議論の分かれるところは、この戦争に絡んでの有事にいかなる統一見解をもって我々は動くべきか、という点なのだ。
以下のような課題を想定してもらえればいいだろう。

例えば、難民救済。

今年初頭に行ったソロモン諸島への救援活動のようなアクションをイラク難民に対して行うような場合、それは中立性をもって可能か?
島を挙げて難民を受け入れるということはないにしても、仮に何かの経路であるひとりが島に降り立ち、亡命を求めた場合、コミッティはどう対処するのか?
もっとミニマムで考えると、そんなメールが一通舞い込んだ際に、誰がどんな権限をもって返信するのか?

例えば、間接的戦争参加。

米軍基地を提供するマーシャル諸島との交流の中で、軍隊に対する後方支援を求められた場合、それを受けるか?
これは空想事レベルではない。
物資の備蓄や輸送協力、兵士の駐留受け入れ等は、太平洋島嶼国家にとって現実的な可能性をもってある。
立地的に見れば、我々は米国より戦場に近く位置しているのだ。

そう、いつ何時、我々も当事者になるかわからない。
「戦争」とは、いまやテレビのブラウン管の向こうにある映像的他人事ではなく、ディスプレイをはさんで、リアルタイムで直接ネットワークされている私事なのだ。

一方で、トランスアイランドは、国際社会において正式に認知承認される国家でもないわけだから、そこまでの準備は時期尚早との考え方もあるだろう。
が、推進中の太平洋島嶼国家連携プログラム等を通じて、この島もNGOレベルでは充分にそのポジションが外部認識されていると考えていいはずだ。
共に歩もうとする他の島国家同様、明確な「防衛」思想とその体制が必要なのである。

不幸にして「戦争」は始まってしまった。
ならば、せめてこの機会にトランスアイランドのコンセプトを反映し、全島民で共有可能な「平和」観と行動ポリシーを育てることができればいいのだが…

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そもそも「防衛」とは何なのだろう?
僕はそこを考えている。

敵があって始めて「防衛」は生まれる。
では、何故、敵が生まれるのか?

個人にしても、国家にしても、自らを高めようとすることに「非」はない。
ところが、社会は関係性の中に競争をもって成り立つから、ひとりの「正」が他者の「否」に直結し、結果として敵対関係が生み出される。
そして、生まれたその関係は、個々の向上パワーが続く限り膨らむものだから、いわば増殖する「正」の悪しき副産物となる。
 
自らを護らんとする営みが、敵を育てる温床となり相互に作用し合う…
「防衛」という概念には、本来そんな危険なプログラムが準備されてはいないだろうか。

で、僕はこの悲観論に対して、改めて「低成長&循環型社会」というトランスアイランドの目指すところに希望を感じている。

楽観論的に上記をロジカル展開すれば、「低成長」は外敵増殖の抑止力となるし、「循環」は敵対関係のリセットということになるからだ。

「防衛」という概念そのものを「無」にする発想。
それは、ここまで時を重ねてしまった人類社会に不可能なのだろうか?

いや、世界がひとつにネットされた21世紀だからこそ、それが可能なのだと、この島レベルで実証したいものだ。
遠い将来、そのリセットボタンとしてトランスアイランドが太平洋上に存在し機能した、と記録されるために…

PS.もちろん、これは私的見解であることを追記しておく。防衛論議は今週も続いている。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

イラク戦争開戦数日後のこの回を記してから20年後の現在、世界における「平和」はどうか?
今週の戦争に絡む最注目ニュースは「岸田首相がウクライナを電撃訪問」というのが現実です。

国際社会における平和や防衛を巡る僕の思考は、当時も今もそれこそ堂々巡りです。

最近はジャーナリスト的な活動が減りましたが、当時は世の中に対する憤りのような感情とそこから始まる思考の表現の場としてネットワーク上に生み出された「ハイパー文壇」のようなスペースを選択し、協力者や支援者を得て「小説」というカタチで配信を行いました。

僕にとって、この作品の原点は「9.11」をライブで見てしまった者として、「これは対岸の火事ではない」という危機感でした。

この作品が契機となって、その後の僕はミャンマーたキューバ、ロシアなどを転々と取材する機会を得たのですが、この20年間に歩いてきた「世界」とそこで得た情報を加味すると本当に「平和」は脅かされている感が大です。
また、北朝鮮のミサイル問題や台湾有事のリスクに触れるたび、当時の危機感が物理的にも時間的にも加速度的にせまってきた実感があるのです。
/江藤誠晃


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