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053.今日一日の糧のために

2003.2.18
【連載小説53/260】


オプショナルツアー(1)

今日一日の糧のために何をして過ごそう?
そんな感覚を持って日々を過ごす文明人がどれほどいるだろう。

そもそも労働とは食にありつくためにあり、多くの文明所産は食糧獲得の合理化や効率化を求める過程にあったともいえる。
ところが現実はどうか?

追われる労働に食事時間さえ奪われる人。
社会における一次産業従事者の比率低下。
感謝と共に食卓に付く習慣の希薄化。

と、労働が手段から目的へと転換し、本来的な「日々の糧を得る」行為の尊さはどこかに埋没してしまったかのようである。

トランスアイランドのオプショナルツアーは、全てが行き過ぎた文明を見直すプログラム。
既に稼動している幾つかの企画を順番に紹介していこう。
まずは「食」の体験から…

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オプショナルプログラムとしての「楽園レシピ」は、SWヴィレッジの2エージェントを中心に村の有志で運営される。
運営といっても彼らがツーリストのために特別な活動をしているというよりは、日々の食にかかわる活動を客人と共に楽しくこなしているというイメージ。
体験の差はあっても、そこに施す者と受ける者の関係はないのだ。

そこに主役がいるとしたら、自然の側だろう。
万能にして変幻自在?のブレッドフルーツとヤシの実だ。

午後から夕方にかけての数時間のプログラムは以下のようになる…

●ブレッドフルーツとヤシの実を入手する。
落ちているものを拾うか、長い棒で木からもぎ落とすだけだからいたって簡単。
※島中どこにいても2種の木は見える範囲にいっぱいある。

●魚介類を捕獲しておく。
魚は小船を出せば釣り竿や網でタイやカワハギ類が簡単に獲れる。
素もぐりでカニや貝類を得るのも造作ない。
※容易い入手環境に加えて、その日食べる分だけ獲る暗黙のルール。よって、この島に職業漁師はありえない。

●ヤシの実からココナツミルクをつくる。
熟した実の内部に付いた果肉(コプラ)を削り、水を加えてココナツミルクを搾り出す。味付けのみならず、食材の臭みをとる効果もあり。
砂糖を加えて煮詰めたソースはデザートになる。

※南の島でヤシの木は「命の木」と呼ばれる。利用法は離乳食や飲料用の果汁や液汁でつくる酒などの食材から、コプラによるヤシ油やローソク、石鹸などの生活必需品。さらには、葉を編んでつくる籠や装身具から薬まで多岐にわたる。それらを成果物の紹介とともに知ってもらう。

●ブレッドフルーツを料理する。
焼くか茹でるかの主食に加えて、保存食のパンモチづくりを体験。
木か石の台と杵で餅つきの要領で茹でたブレッドフルーツを練り上げていく。
※夕方にあちこちで小気味良いパン・パンという音が響くのは、もはやトランスアイランドの風物詩といってもいい。

●メインディッシュができれば宴がはじまる。
魚介類は刺身やフライで食すこともできるが、ココナツミルクで煮た鍋料理が人気。
何れも簡単に調理可能だから、短時間で完成。
新鮮なフルーツが食卓に飾られ、楽しい晩餐がスタート。

どうだろう?
身辺の陸海の恵みを、採集から食すまでの全プロセスにわたって体験可能なプログラム。
そこには、循環する自然の実感や人類の知恵確認といったサブシナリオが準備され、ある種エコ・ツーリズムやローインパクト・ツーリズムとしても成り立っているのである。

(各種ツーリズムの概念は第28話に詳しい)

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21世紀は高度ネットワーク社会。
それを支えるのが、優れたテクノロジーやハイテク機器とインターネットであることに違いはない。

が、それは器としてのハードウェアやソフトウェアであり、血の通うヒューマンウェアがあって初めて全ては意味を持つ。
常に重視されるべきは、繋がりを支える具体的な人間側のアクションだ。
そして、その考え方はヴァーチャルドメインのならず、リアルな日常にも通用する。

親しい者たちと日々の労働の成果を確認し合い、豊かな団欒のひとときを楽しむ食事もまた「人と人を繋ぐ」高度なコミュニケーションプログラムと言えはしないだろうか。

そして、それを可能としているのが、実は、今日その役割を終えたブレッドフルーツやヤシの実のひとつひとつだったりするのである。
そう、僕らは自然界の大きな連鎖の中に織り込まれて、日々を重ねている。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】
20年前のオンラインネット小説を同じリズムで振り返りながらアップデートするこの「note」がちょうど1年。

この物語はこの後4年間継続するので、「旅」はまだまだこれからなのですが、旅と観光のプロデュースを生業とする僕にとって、現実と創作を行き来した当時の生活はクリエイターとして理想的な時間だったと改めて感じます。

移動制限の中にあった3年からいよいよ「活動」の時間に戻れそうな今、この物語に記したようなツアープログラムを創ることが使命なのだと再確認しています。
/江藤誠晃


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