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054.精霊と共に過ごす時間

2003.2.25
【連載小説54/260】


オプショナルツアー(2)

浜辺の所々に座り込む瞑想者。
風にそよぐ木の葉のように舞う舞踏家。
太極拳に没頭する老若男女。
見慣れない民俗楽器の演奏者。
詩の朗読者・・・

何も知らずにこのエリアに足を踏み入れたツーリストはこれらの光景に驚くかもしれない。

SEヴィレッジはアーティストが集う村。
不思議なオーラに包まれる感覚のこの場所は、かつてのニューエージやヒッピーの聖地のごときだ。

文明の対極に位置する南洋の島は、常に自由を求めて流離う者たちの目指す場所であり、そこで人は瞑想とともに自然を感じ、様々なアートを生み出してきた。

この村で週末ごとに開催されるオプショナルツアーを紹介しよう。
一種の瞑想プログラムなのだが、これがなかなか評判なのである。

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かつての自由人たちが平和や自由を叫びながらも、厭世的な傾向を見せたのに対して、現代のトランスアイランドのアーティストたちは、ある意味で正反対のベクトルを持つ。
彼らは文明に背を向けず、ポジティブなアートと科学の融合の中に精神の安定を求めているのだ。

そのキーになっているのが音楽だろう。
ヒーリングミュージックが世界的な人気の中、ひとつのジャンルとして確立されつつあるがSEヴィレッジのミュージシャンたちが面白い実験を行っている。

世界各国のエスニックミュージックに登場する笛や打楽器などの民族楽器の音源をデジタル化し、中国の風水音楽や日本の雅楽などと組み合わせて楽曲を生み出す試みを行っているのだ。

次々と発表される作品の屋外ライブだけでも面白いのだが、さらに注目すべきが他のアートとのコラボレーションである。

鳥や花などの自然テーマや国々の伝説がモチーフとなっている音源は、舞踏家にとって優れて興味深い題材だから、そのまま演目に活用可能。

太極拳やヨガ・気功など、心身のバランスを求めるプログラムに関わる人たちは、BGMにこれらを用いることで、その効果が上がることを検証中。

「言葉」という「音」と親和性の高いコンテンツを操る詩人たちは、朗読のBGMに活用するのはもちろんのこと、音楽を聴く行為の中から生まれる即興詩の創作にも挑戦。

画家や写真家・CGアーティストたちは、作品をオンライン上で配信する際のサブコンテンツに活用して創作に夢中。

と、ジャンル横断のメディアミックスが、無理のない範囲で自然発生的に広がっているのである。

また、これらの活動が活発化するにつれて

「村内の花々の色がより鮮やかになった」
「以前は見なかった種類の鳥が舞い降りるようになった」

などの報告もあり、真偽のほどは別として、コラボレーションがヒトを超えて自然を巻き込んで展開しているようである。

で、オプショナルツアーである。
ツーリストはただ、毎週一回テーマを設けて行われるメディアミックスライブのオーディエンスとして参加し、浜辺で座禅し瞑想と共にその音の世界に浸るのだ。

プログラムは3段階で進行する。
20分の無音の瞑想
40分のヒーリングプログラム
20分の無音瞑想

人工音楽の前後を自然の音に耳を傾ける行為で挟み込むところが、このプログラムのポイントだ。

「我々は自然に包まれてある」という根本思想がSEヴィレッジのアートにはあるからだ。

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今日、今現在。
世界は大きな岐路に立っている。

米国とイラクは戦争に向かうのか?
刻々と世界規模で広がる反戦の声は、ネットワークの力を得てその抑止力となり得るのか?

一方で油田の利権を巡る経済戦争であることも確かではあるが、この戦争の根深いところにあるのが、長きにわたる「信仰の闘争史」であることは否定できない事実だ。
多様な国家や民族と共にある信仰は、そのアイデンティティと複雑に絡んで常に争いの火種となる。

南の島々が、西欧の宣教活動によって土着の信仰を奪われた過去の歴史もまた、強弱の差が歴然とした一方的な闘いであった。

共に平和を願う祈りを持ちながら、何故に信仰の差は悲劇を生むのか?
そんな問い掛けに対して、僕はSEの80分プログラムの中でこんな回答を得た。

「得てきた全てを、信仰さえもひとたび捨てて、祈る代わりに、ただ自然に浸ってみよう。そこに争いなどありはしない。精霊と共に過ごす時間があるだけだ。そして、僕らは本来それだけでいいはずなのだ。」

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

人類は同じことを繰り返している…

20年前のこの日は米国とイラクの関係を不安視し、その後に開戦。
その背景には油田を巡る経済戦争があり。

今はウクライナ戦争から1年で先が見えず、そこにはロシアの天然ガス利権が複雑に絡み合う。

20年後なら世界は少しは平和に歩みよっているだろうと、祈りを込めて記したストーリーも効力なかったか、と失望…

では、20年後へ向けた祈りとして、どんなストーリーが僕に構想できるのか?

国家や為政者たちの関係に変化は起きそうもないので、せめて旅人が精霊と共に過ごす時間のことを考えるしかなさそうです。
/江藤誠晃


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