見出し画像

025.舵なる知恵と櫂なる知識

2002.8.6
【連載小説25/260】


ワークショップ報告(1)

「知恵者はその中に優れた知識者を蔵しているが、知識を蔵している者がそのまま知恵者であるとは限らない」

トランスアイランド、社会エージェント海野航氏の語録のひとつだ。

文明社会の営みは、ともすれば知識者を生み出すシステムになりがちで、知識の総量を増やすことをその使命にしてしまっているのではないかと感じることがある。
知識の総量が、そのまま民の幸福に直結するのなら、現代社会のかかえる閉塞感や各種難題はかくもないはず。
僕らは知識を生かす知恵の不足事態にもっと目を向けるべきだ。

実は、マーシャルのカヌー少年ジョンとの日々の中で、僕は改めてその思いを強くしている。

船に例えるなら、知恵は旅を方向付ける舵で、知識は推進動力としての櫂(オール)なのだと思う。
多数の漕ぎ手を得たところで、行く手を見定める舵取りなくして、船は目的地に辿りつかないだろうし、仮に推進力が劣っていたとしても、風向きや波を読む力があれば船は着実に目標に向かうことができる。

その意味において、ジョンは優れた知恵者だ。
知識の部分ではまだまだ未熟であるが、自らの心に確かな羅針盤、つまりは知恵を持ち合わせているから、着実に、かつ効率よく知識を吸収していくのがわかる。

そんな彼とのワークショップの報告を始めよう。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

マーシャルに新たな産業を育成可能か?
それを通じて、国民全体に活力を与えることは可能か?

この2点をフリートークの中で模索するワークショップが続いている。

メンバーはジョンに加えて、8人いるトランスアイランドの10代の子供たち、そしてボブと僕。これに加えて、テーマに応じたエージェントが交代で参加する。
場所はコミッティハウスや未来研究所、環境博物館、あちこちのビーチ沿いの椰子の木陰…、と日々移動して、堅苦しいスクール形式にならないようにしている。

また、ワークショップの目的は、ジョンが母国マーシャルの未来ビジョンを策定するためのアドバイス活動だから、ヒントは与えても答は全てジョンや子供たち自身が出すという方針を貫くことにした。

先進国から途上国へ。大人から子供へ。
そんな一方通行の「知識教育」ではなく、相互コミュニケーションから何かを産み出そうというのが狙い。
そこではボブの法律知識も僕の雑学も、ジョンの操舵術も島の少年たちの釣りの腕前や木登りの才能も、全て同じ土俵に並ぶことになる。

とはいうものの、プロジェクトのひとまずの始動は大人側の役割だろうから、まず最初に、僕が全員で共有するマトリックスを提議することにした。
それが、以前にこの手記で紹介した東西と南北の「求心と遠心」「変化と不変」2軸だ。
(詳しくはVol.21参照)

子供たちには少し難しい概念かという懸念もあったが、心配無用だった。
特にジョンは
「国の中をどう見るかと、外にどう目を向けるか。それから、伝統をどう守るかと、新しい歴史をどうやってつくるかだね」
と瞬時に自己解釈して僕らを驚かせた。
きっと、ミクロネシアの伝統的航海術の習得が、彼の心に未来を目指す羅針盤を自然と与えたのだろう。

そしてワークショップはその航海術を中心に話が進むことになった。
次号はそこをお伝えしよう。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「人生は航海」

人は皆、大海を旅する航海者だ。
個々に違いがあるとすれば、どんな船に乗り、どんな思いをもって日々を過ごしているかということ。
船とは国家とか会社とか家族という社会単位のことであり、思いとは思想や信条、そして夢だ。

ひとりひとりにとっては、たった一度の航海なのだから、おおいに楽しみ、感動を得るべきであり、それ故に、明確な目標意識と覚悟と力が必要なはず。

舵取りを人任せにした結果、臨まぬ地に到達したり、座礁で旅が不本意に終わらぬように。
オールを漕ぎ続けただけで、水平線に沈む夕陽とか海上に吹く心地よい風の魅力を知ることなく、疲労だけを蓄積して航海を終えることのなきように。

僕らは知恵と知識のバランスをうまくとって旅しなければならない。


------ To be continued ------

※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

INDEXに戻る>>

【回顧録】

近年、プロデューサーとしての仕事が現場から離れてマネージメント系にシフトした感がありますが、それでも「旅する先」の現場へのこだわりを捨てずに飛び回っているのはこの回で記した「舵」と「櫂」の関係なのだと思います。

言い換えれば「鳥の目」と「虫の目」でしょうか?
僕にとって、仕事も旅も俯瞰して見る双眼鏡的アプローチと拡大して観察する虫眼鏡的アプローチのどちらもが必要なのです。

20年を経たwithコロナ時代に思うのは「世の中」の流れを捉えるには人類史そのものへの俯瞰アプローチ(つまり舵取り)が必要だということ。
であると同時に、そのためには世界各地を旅して観察してきたこと(つまり現場体験)が役に立っているな、との実感です。
/江藤誠晃




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?