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118.大人の修学旅行

2004.5.18
【連載小説118/260】

数年前、小学校から大学を卒業するまでの文集や写真アルバムを整理する機会があった。

年代別にダンボール箱に整理されたそれらの中から小学校の卒業文集が出てきたのだが、果たして12歳の自分がどんな文章を残したのか、全く記憶に残っていない。

まがりなりにも文筆で生計を立てている男の4半世紀前の初期作品?がいかなるものであったかが気になった。

早速、紙が黄ばんで年代モノといってもいい冊子のインデックスに自分の名前を探す。
6年4組に並ぶ僕の名前の横には「修学旅行」なるタイトルがあった。

当時、生まれ育った神戸の小学校では修学旅行の目的地が伊勢だった。

紀行録は学校出発の瞬間に始まり、貸し切り列車の解説を経て、現地での行動が時系列に並べられている。

読み進めると、伊勢神宮参りから真珠島、水族館、名物赤福もちの試食…、そんな思い出が断片的に脳裏に浮かんでは消えるが、文章自体は愕然とするほど稚拙にして抑揚のない報告書の類。

小学生の文才とはその程度のものだったのか、それとも僕のレベルが著しく低かったのか。

気になってクラスメイトの作品にも目を通してみたが、全てが似たり寄ったりで、報告の対象が運動会か音楽会といったバリエーション。

「楽しかった」とか「うれしかった」とか「寂しかった」とかの感情は記されていても、そこに個々にまつわる特別な思いや意見といったパーソナリティーの部分は見えない。

が、それも無理はないのだろう。

その年代の少年少女にとっては、社会やそこでの体験を受け入れることが精一杯で、それを消化して自分なりの言葉で表現するのは、さらに数年を経てのことなのだから…

ところが、そんなごく平均的な小学生の僕の作品にも注目に値するフレーズが最後に見つかった。
修学旅行記がこんな一説で締め括られていたのだ。

…修学旅行は終わった。先生にあいさつをすませて校門を出たぼくは、いつもいっしょに帰る友達グループとは別行動で、「いつかまた伊勢に行きたいな」などと考えながら、少し遠回りをしてひとりで家に帰ってきた。

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旅の価値は、旅そのものだけではなく、旅する前と旅した後の微妙な時間が一連に繋がることで増すものだ。

つまり「期待」と「余韻」というふたつの情緒的部分を持てるか否かで、旅人としての資質は大きく変わるということ。

その意味において、「また行きたいな…」などと考え、ひとり「余韻」に浸りながらいつもより時間をかけて帰宅した12歳の僕の行動は称賛に値する。

「余韻」だけではなく、終わったばかりの時点で再訪への「期待」を匂わせているあたりには、「旅を人生の住処とする」その後の半生の原点さえかいま見ることができる。

余計な私事を長々と記してしまった。
今週は次週から始まる新たな「旅」の報告をすることになっていた。

今回の旅は、僕にとっては「大きくなり過ぎた島国」第2回の取材旅行。

小さな辺境の島から文明大国日本を観察する連載企画の次なる訪問地は日本最南端の有人島、波照間島である。
(日本のネイチャー雑誌上に僕が受け持つ連載に関しては第101話で紹介)

ところが、今回はその旅が修学旅行になる。
いや、正確にいうと修学旅行気分なのだ。

ほとんどの旅を単独で行う僕だが、次週の旅はスタン、ハルコの2エージェントとカメラマン戸田君の4人で出掛けることになった。
(個々の紹介はスタン第84話、ハルコ第98話、戸田君第82話

さらに、向こうでは昨年仲良くなった竹富島の奈津ちゃんが合流することになっている。
つまり、トランスアイランドご一行様に聡明な現地ガイドが付くということだ。

ちなみに、波照間島と竹富島は、共に石垣島を基点とする八重山エリアの島である。
(ちょうど1年前になる竹富島行は第70~72話)

このグループ行動に加えて、旅中には全員共有のテーマと各人が追求する個別の学術的テーマが存在するから、まさに修学旅行なのである。
とにかく、僕には珍しく、今から出立が待ち遠しくそわそわしている。

では、そんな今回の「大人の修学旅行」の概要を以下、まとめておこう。

まず、スケジュール。

トランスアイランド組は、オアフ島経由で関西国際空港を目指す。

そこから直行便か那覇経由で石垣島へ。

竹富島の奈津ちゃんは船で石垣島へ渡り、空港で出迎えてくれる。

到着は夕方になるので、その日は石垣島で1泊。

翌朝、波照間島へ高速船で向かい、現地の滞在は2泊3日だ。

その後石垣島に戻ってひとまずは解散。

奈津ちゃんは竹富島に戻り、戸田君は沖縄の実家に帰郷する。

スタン、ハルコと僕はエージェント業務で東京に向かうことになっている。

次に、現地で行う修学要素。

僕は「大きくなり過ぎた島国」の取材。

日本の南端という地勢的特性と、アジア各国との密接な関係の中に育まれた精神性の部分から日本を観察してみたいと考えてみる。

スタンは各国の天文関連施設をネットワークするプラネタリウム事業の推進。

天体観測のための好条件が揃う星空観測タワーとの提携交渉を行う。

ハルコは島社会としての波照間島をトランスアイランドとの比較の中に調査してみたいという。

面積12.75平方キロメートルの波照間島は、トランスアイランドの約半分サイズ。
特に電力インフラと観光産業に着目しているらしい。

戸田君は写真撮影。

海中写真を専門領域としてきた彼だが、今までとは違ったテーマでの自然観察を模索しているらしく、そのヒントを波照間島に探すと言う。

奈津ちゃんは八重山地域と東南アジアの交流史研究。

彼女が古のアジアにおける民俗交流に大きな興味を持っていることは以前にも紹介したが、波照間島に伝わる南の楽園「パイパティローマ伝説」を追うようだ。
(詳細は第94話

どうだろう?
知的にして盛りだくさんの修学旅行。
旅先からの報告を楽しみにしていただきたい。

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旅とは日常から離れて何かを学ぶ行為である。
その意味においては全ての旅が修学旅行であるといっていい。

が、これがひとり旅となると「修学旅行」という表現が違和感を持ってくる。
複数の人間が同じプロセスをたどる中で、個々の学を修めるところに修学旅行の価値はある。

同じものを見、同じことを聞き、同じ体験をしながらも、人それぞれの受け止め方は異なる。
そこには個々が重ねてきた人生というストックの差があるからだ。

小学生の修学旅行が同様の感想をもっての近似値体験に終わるのに対して、大人の修学旅行は個々が持ち得ない他者の思想や意見の数々を共有する新発見の旅だ。

せっかくの機会だから、4人と大いに語り合うことにしよう。

小さな島を旅し、そこから日本を観察し、地球の未来を考察し、トランスアイランドの意味を問い直す…。
それらの作業の中で各人が得る「学び」は多様だ。

他者の「学び」を知ることで自己の「学び」が増幅する。
それこそ大人の修学旅行なのではないだろうか?

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

修学旅行に触れていた連載当時、まさか20年後の僕が「観光甲子園」の@ウロデューサーになって修学旅行コンテストを主催しているなど考えもしなかったはず。

2019年から手がける「観光甲子園」に「SDGs修学旅行部門」を設定し、全国の高校生が考えるプランを何千レベルで集めてきたのですが、旅をプロデュースするマーケティングの中で大切にしているのが若年期の体験機会です。

多感の時期にどんな旅をするかで将来は変わってくるものだと思います。
言い換えると、今、どんな人生を送っているかは遡った過去にどんな旅をしたかの影響を受けているはずなのです。

僕にとっての原点となる旅についても紹介したことがありますが、僕のような仕事の人生は、今でも毎日が修学旅行のようなものです。

旅は常に学びと共にあります。
/江藤誠晃

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