082.コンパスポイントを求めて
2003.9.9
【連載小説82/260】
先週、島に戻った際に何よりも驚いたのが出迎えてくれたひとりの男の存在だった。
NWヴィレッジとNEヴィレッジの中間の沖合に着水する飛行艇。
そこから浜に向かう送迎ボートに乗った僕の目に、浜から手を振る真っ黒に日焼けした男の姿が止まった。
最初は同じボートに乗るツーリストを迎える島の誰かだろうと推測したが、近づくにつれその強い視線が僕に向けられているのを感じ、やがてその正体が戸田隆二君であることを確認した。
浜に降り立った僕に笑顔で
「おかえりなさい」
と言う彼に、再会の握手をしながら
「何故ここにいるの?」
と尋ねると、さらに驚くべき言葉が返ってきた。
「7月に、ここの島民になったんです…」
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石垣島の空港で沖縄へ戻る戸田君と別れたのが6月10日。
その後僕が竹富島に魅せられて長期滞在していた頃、戸田君は別の島に魅せられていたらしい。
(戸田君との沖縄~八重山紀行については第68・69話を)
彼が夢中になってダイビングを繰り返したのは石垣から西の方向に約100km、日本最西端の地、与那国島。
数年前に海底遺跡が発見されたことで、世界中のダイバーのみならず考古学の見地からも注目を集めている島だ。
遺跡の規模は東西250m、南北150mで最深部が25m。
島南部の断崖から僅か30mの沖に、幾何学的にデザインされた階段や広場の集合体としての巨石建造物が沈んでいる。
年代調査によると、この遺跡が地表に存在していたのは1万年前後の昔で、この時代に既に高度な石工建造技術があったことが確実視されてはいるが、誰がなんのために作ったのかは謎に包まれ、沖縄地方に伝わる「ニライカナイ」(理想郷)の伝承もからんで古代史の新発見が期待されている。
そんな海底遺跡に触れて、戸田君はトランスアイランドへの移住を決意したという。
その所以を尋ねてみると、彼は以下のようなことを語ってくれた。
静かな海底で、遠い過去に滅びた文明と向き合って数日目、彼の脳裏にひとつのヴィジョンが浮かんだ。
それは、東京やニューヨーク、パリ等の文明都市が静かに海底に横たわる、遥か未来の光景。
「現代文明も永遠ではなく、いつかは遺跡としてどこかの海へと埋没する…」
そんな暗示にも似たヴィジョンに対して、彼は危機感ではなく循環する悠久の時を感じた。
と同時に、海中に浮かぶ自分をはじめて不安定な存在として認識したという。
自らの生きる時代や世界が不変であるという前提のもとに、どこにも根をおろさない放浪の人生を疑念なく受け入れてきた彼。
が、悠久の中ではそれさえも一過性の幻のごときものだと無言のうちに語る海底遺跡を前にして、彼の中にひとつの欲求が湧いてきた。
それが彼の言うところの
「コンパスポイントを探そう」
つまりは、今後の人生の基点たる土地を決めようという思いだったらしい。
旅多き人生であっても 、そこが自らの精神と肉体の基点といえる場所を選び、そこで自らの生命を全うする覚悟ができたなら、その土地が遠い未来に没するとしても、遺跡に潜む色濃い生命の痕跡のごとく、悠久の時に溶け込めると悟りを与那国島がくれたそうだ。
で、戸田隆二という男はトランスアイランドへの移住を決めた。
今年2月に一度訪れただけの名もなき小さな島に、である。
そして彼によると、その決定に何ら迷いはなく、即決だった。
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コンパスポイント。
いい言葉だと思う。
バランスの取れた二軸の一方の先が寄って立つ基点にしっかりと根付き、もう一方の先が自由に遠心力を持って軌跡を描く。
そう、コンパスの作る世界は、物理的空間と精神的内面双方において旅人の人生そのものなのだ。
自らの基点が揺るぎなくあれば、描く軌跡は美しく丸く、目指す先が遠ければ遠いほどその円は地球大へと広がる。
多分、内なる世界で非常に近しいコンパスポイントを得ていたが故に、互いにシンパシーを感じていた戸田君と僕が、今度はトランスアイランドという物理的空間でも共通の基点を共有するに至った。
大いに刺激を与えてくれるであろう、これからの交遊が楽しみである。
「映像」と「言葉」という違った手段で表現される僕たちの作品は、それぞれが気ままにこの島から水平線を目指し拡散する水紋のごときものだが、これからはその中の幾つかが、互いに影響を与え合いながら遠い国の岸辺へと辿り着くことがあるのかもしれない。
------ To be continued ------
※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。
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