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note30: インレー湖(2011.6.4)

【連載小説 30/100】

時空の旅。
僕はこの表現が好きである。

「時空」の中には「時間」と「空間」というふたつの「間」が含まれていて、旅といえば誰もがイメージするのはリアルな「空間の旅」の方だが、訪れた地に積み重ねられた歴史や文化にふれる「時間の旅」はタイムマシンに乗るヴァーチャル体験のごときものである。

そして僕はこう考える。
「空間の旅」は行動力で広がり、「時間の旅」は想像力で深まる。

つまり「地球」を移動しながら「歴史」を想うことで、旅はその価値が無限大に高まるということだ。


黄金に輝くヤンゴンから、のどかなインレー湖へやってきた。
ここは空の青さが湖面に乗り移ったかのような「青」と湖を取り巻く大地と山々の「緑」の2色が主役の空間。

インレー湖はシャン高原という標高900mの高い場所にあるから平地や沿岸部に比べて気候が穏やかで過ごしやすい。
雨期に入ったこれからの時節は雨も多くなり、湖そのものが大きく変化していくそうだが、雨期と乾期を繰り返すインドシナの自然サイクルがこのように風光明媚な湖を核とする空間をもたらしてくれるのだろう。

そして湖畔でのんびり過ごしながら、僕はインレー湖の遠い過去に思いを馳せている。
時代でいえば大航海時代以前、普通の民が「世界」を意識しなかった頃への「時間の旅」。

現代でこそ、僕たちは数多くの国家で構成される“つながり”としての「世界」を認識し、「旅」によって全ての地を訪れることが可能となったが、つい500年ほど前の時代は全く違った。

未知なる大陸を目指して海に漕ぎ出す冒険家はいたが、普通の民にとって日々を暮らす国家の外、それも海を隔てた水平線の彼方の世界などはリアリティなき空間だったはず。
つまり、漠然と知りながらも自らの日々とは無関係な遥か彼方の外界、現代人にとっては「宇宙」のごとき存在として「世界」があったと思うのだ。

まずは日々を生きる「土地」というものがあって、それを取り巻く「海」があり、他国とつながって全体としての「世界」がある…

島国日本に生まれ育ったから、特にこういった世界観が強いのかもしれないが、現代人の中で海は“外なる”存在である。

が、インレー湖のほとりに立って美しい景色を見ていると、海(湖)が“内なる”存在として人々に世界観を提示していた時代の方が長かったことを確信する。

“外”を山々に囲まれ“内”に湖を抱き、農耕に生きる民。

豊穣を願う日々の中で山々に雨が降ると幾つもの川となって大地を流れ、田畑を潤し米や野菜をもたらして湖に注ぎ込む。
その湖にも生命が溢れ、漁によって得た湖魚や貝類もまた自然の恵みとして与えられる。

インレー湖は遠い過去から今も変わらず「母なる湖」なのだろう。

静かな湖畔に佇む「時空の旅」で、過去に残してきた忘れ物を見つけたような気がしている。

もう少し“忘れ物探し”をしてみたいので、4日の予定を延長してあと2日インレー湖に滞在することにした。


>> to be continued

※この作品はネット小説として2011年6月4日にアップされたものです。

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