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note94: クライストチャーチ(2011.12.23)

【連載小説 94/100】

前々回、ジェームズ・クックの「エンデバー号」をはじめとするいにしえの海洋探検船の名前がスペースシャトルに引き継がれていることに触れたが、太平洋に漕ぎ出して誰も知らない新大陸を目指した西洋冒険家がようやく発見した島で出会った先住民の存在とその驚きを現代におきかえるとどうなるか?

その存在の可能性は別として、宇宙飛行士が火星人や金星人と遭遇することに等しいのではないだろうか。

「そんな馬鹿な」と一笑に付されるかもしれないが、想像力を働かせてもらいたい。

当時の西洋人にとって陸続きのユーラシアやアジア、アフリカは既知の存在だったが、太平洋には幻の大陸「メガラニカ」が仮説としてあっただけなのだ。

そこへ漕ぎだしたクックの一行が長い航海を続け、辿り着いた島で出会った民が“マオリ”。

聞いたこともない言語を使い、褐色の肌に施される螺旋状の入れ墨が身体だけでなく顔にも及び、いかなる“神”に捧げられているのか予想もできない歌と踊りを繰り広げる彼らとのファーストコンタクトは、まさに「未知との遭遇」だったに違いない。

そんなマオリを考古学的に解説すると、その起源はポリネシア地域の中心部であるクック諸島やタヒチあたりで、9〜10世紀頃までに優れた航海技術と独自のカヌーでアオテアロア(ニュージーランド)に移住したと考えられている。
※この「クック諸島」もその名のとおりジェームズ・クックが1770年に太平洋航海で発見し命名された。

さて、僕のスペシャルツアーはクックの初上陸地ギズボーンからロトルアを経て北島北端のノースランドを訪れ、今日クライストチャーチに到着した。

まずは年間270万人ものツーリストが訪れるロトルア。

人口7万人弱の内35%がマオリ系というマオリ文化の色濃い地域で、マオリ文化を紹介する総合施設「テ・プイア」やマオリ最大の集落「オヒネムツ・マオリ村」、伝統料理をたのしめるタマキ・マオリ村などがツアーの候補地になりそうだった。


また、ロトルアの魅力は日本人好みの“温泉地”だということ。
各所から間欠泉の白い蒸気が立ち昇り、硫黄の匂いが漂う地熱地帯ゆえにスパメニューも充実していた。

次はノースランド。
ニュージーランド史上極めて重要なイギリスとマオリの間で結ばれた「ワイタンギ条約」締結の地であるワイタンギを訪れた。

調印の場である「ワイタンギ条約記念館」をはじめ、戦闘に使われたカヌーやイギリス総督邸宅のレプリカなどを見て回るガイドツアーに参加すれば詳しい歴史解説を聞くことができる。

ワイタンギ条約について簡単に説明しておこう。

クックの発見後に始まったニュージーランドへの移民と植民地政策で一気に西洋人の力が増す。
その結果、先住民族マオリとイギリスの間に武力衝突が絶えなくなり1840年に両者間で以下の条約が締結される。

(1)マオリ族は英国女王の臣民となりニュージーランドの主権を王権に譲る。
(2)マオリの土地保有権は保障されるが全てイギリス政府へ売却される。
(3)マオリはイギリス国民としての権利を認められる。

先住民にとっては不利な条約ゆえにその後も争いは絶えず1860年代に戦争が起こるのだが、その後1907年に独立国となるニュージーランドの歴史上重要なターニングポイントとなったのがワイタンギ条約だったのである。

ここで僕が着目するのは西洋による植民地化のスピード。
クックによるマオリとの「未知との遭遇」から「ワイタンギ条約」まで僅か70年。

その間に西洋人は着実に移民を送り込み、マオリの社会と文化を研究し、そこに異なる信仰や価値観を植え付け、最後は先住民が営々と築いてきた“世界”を条約ペーパーひとつで自らが主体となる“国家”へとシステム的に飲み込んでしまった。

そして同様のことが世界各地の先住民たちとの間で繰り返されたのが近現代史であることを実地検分によっては否応なく知らされるのが“旅人”なのである。

>> to be continued

※この作品はネット小説として2011年12月23日にアップされたものです

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