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074.失われ行く故郷

2003.7.15
【連載小説74/260】


南北に海と山がせまり、その間を何本もの川が流れる。
東西には幹線道路と鉄道が並行して走り、ヒトやモノが吹きぬける風のように行き交う…

故郷の街、神戸に帰ってきた。

PIFの一件では、一旦島へ帰ることも考えたが、ボブの采配でトランスアイランドの回答が一昨日無事提出された。

「内部インパク少なき外部貢献」
「個々の生活や価値観のコミュニティに対する優先」
等、島のアイデンティティに関わる重要な方向性が短期間にまとめあげあれた展開には、外遊のエージェントとして大した協力も出来ず申し訳ないという思いと同時に、関係者や意識高い島民の結束に頭の下がる思いがある。
(PIFへの回答を末尾に加えておく)

そんな訳で、僕の旅は少し遠回りをして元の予定に戻った。
竹富島で得た「郷愁」の感覚が久しぶりの帰郷へと僕を導いたことになる。

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「開発」か?「保全」か?

小は観光地から大は国家まで、コミュニティの創造にあたっては、常にこの相反するベクトルがつきまとう。
そして、拮抗する双方パワーのうち、「開発」の勝る部分で土地はその姿を変えて行く。
「開発」と「保全」は「変化」と「不変」と言い替えてもいいだろう。
そして、神戸という街は「変化の街」だ。

古くから港町として外部の価値観を柔軟に受け入れてきた歴史と、それを支える風通しのいい地勢的特性。

僕がこの街に暮らした80年代半ばまでを思い返してみても、神戸は常に変化する街だった。
山が削られ、ニュータウンが次々と開け、海上には埋め立ての大きな町が出現する。
縦横に整備される道路が、同時に瓦屋根の旧家を中高層マンションに再編して行く。
といった具合だ。

ヒトも街も移ろう時の中で姿を変え、成長して行く…
そんな、右肩上がりの成長という国家的、若しくは時代的環境変化に呼応するかのごとき空気の中で僕は成人し、その価値観のままに別次元の「変化」を求めて故郷を、さらには国を後にしてその後の人生を重ねてきた。

その後何度かの帰省はしたものの、これだけゆっくりと神戸の街を歩き観察したのは始めてのことだ。
そして、20年近くぶりの故郷は、さらに大きくその姿を変えていた。

比較的静かだった私鉄駅に近い生家の周囲は、降車駅を間違ったのかと思うほどに洗練されている。
この季節なら、そろそろ濃い緑と蝉時雨の音に包まれていたはずの駅前で耳に入るのは自動車の排気音と何処かの店舗から聞こえるBGM。
ひとつの癖として、改札を出るといつも見上げていた空は、立ち並ぶ高層ビルによってその面積が半分近く減少したように感じる。
記憶を辿ってあちこちを訪ねてはみたが、断片レベルでしか若き日々の残像は浮かばない。

賑やかな三宮界隈に出てみる。
駅前海側の百貨店や長いアーケード商店街、山側に延びる繁華街や異人館街。
それらもまた、あの震災を経たこともあり、大きく様相を変えていた。

ところが、不思議なものである。
変化した神戸を体感すればするほどに、その背後に確かなものとして残る「不変」を感じるのだ。
その正体を求めてさらに歩き続け、波止場まで来た僕は容易くその答を得た。

「風」だった。

幼い頃から海が好きで、何度も足を運んだその場所に吹く風は、遠い記憶のままに僕の頬を撫で、その頃と同じ潮の香りを胸の奥まで届けてくれた。

追憶と共に感じる旅情の、なんと純度高きことか…
せっかくの帰郷、しばらくは滞在してみることにしよう。

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故郷が失われて行く。
この思いは、程度の差こそあれ人類共通の思いなのかもしれない。
言い方を変えれば、失われ行くからこそ、そこに「郷愁」が生まれるのだ。

僕の故郷、神戸に比べれば、あの竹富島はかなり緩やかなリズムで変わってきたのだろうし、トランスアイランドの未来もきっと同様だろう。
が、どれだけ慌しい文明から離れても、そこにヒトが介在する限り、「不変」の環境などありえなく、それぞれの地がそれぞれのリズムを得て変化し、過去は少しずつ失われて行く。

それはそれでいい…
埠頭に吹く風の中で僕はそう思う。

喪失の中に悲しみが生まれるとしたら、それは故郷を思うヒトのリズムを越えて、その地が人為的に急速に変化しているということなのではないか?

「開発」か?「保全」か?
この命題に必要なのは、まずもってそれを語る人類の側の適正速度感覚なのかもしれない。


■PIFへの回答書■

ソロモン諸島におけるPIF平和維持軍の活動に対して、トランスアイランド内で議論の結果、以下の内容にて協力させていただくことが決定しました。

○基本スタンス
トランスアイランドは、21世紀における豊かなライフスタイルを模索する個人のネットワークで成り立つコミュニティであり、正式な国家体制をとらないことから、島全体として取り組む対外的施策の決定は行わないが、環境保全や適正テクノロジー活用といった島のコンセプトに通じる活動に関しては、島民に対する積極的な広報により、個別の参加を呼びかける努力を惜しまない。
よって、飛行艇などの島民共有資産による支援活動は行わず、支援に共感する個々人の専門領域からの人的協力(ボランティア)を促進するものとする。

○具体的協力活動
・島のオフィシャルニュースペーパー『Trans Post』上での情報告知と協力呼びかけ。
・復興後の産業育成に対する未来研究所スタッフからのアドバイス活動。
・環境博物館スタッフによる各種自然環境の調査と保全活動協力。
・島外ネットワークへ向けての客観報道活動。

ソロモン諸島はトランスアイランドにとって、年頭のサイクロン災害時の支援を通じて国交の始まった数少ない友好国のひとつであり、島民にとっても「太平洋の隣人」としてその平和達成を望む声は大きくあります。
と同時に、小さいながらも、欧米やオセアニア、アジアの各地域から人の集まる多民族国家的コミュニティの同島におきましては、今回の問題が個々の出身地や価値観の差により複雑な感情で受け止められているのも事実です。
多様な価値観に対して情報を広く開示し、そこから生まれる個人レベルでのボランタリー精神とその連鎖に未来を託す、という立場をとらせていだくことをご理解ください。

  2003.7.13
  トランスコミッティ

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

各地を転々としながら生きてきた僕の半生ですが、そのルーツは港町・神戸です。
海と山が近い坂の町で育った少年時代で得た「世界観」のようなものが日本の中でも独特のものであったことは、外に出たからこそわかる感覚です。

『儚き島』に向かっていた20年前は郊外に住居していましたが、2017年に神戸に「復帰」することになりました。

少し高台にあった母校の小学校からは、常に神戸の海を見晴らすことが出来ました。
その先に存在する「世界」に憧れた少年は、実際に世界各国を訪れ、再び故郷の戻ったという訳です。

「株式会社神戸」と呼ばれ、右肩上がりの経済成長のモデルだったような街が震災で多くのものを失い、その後、間も無く神戸を離れた僕にとって、舞い戻った現在の神戸には少し物足りないものがあるのですが、「Uターン」の場としての愛おしさは今も「風」の中にあるような気がします。
/江藤誠晃

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