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104.21世紀発の古典文学

2004.2.10
【連載小説104/260】

先週、東京で「大きくなり過ぎた島国」の編集会議に参加した後、翌日には日本を離れハワイへ戻った。

久しぶりの日本で、会いたい友人や訪ねたい所が他にありながらも3泊で慌しく旅立つたのは、マウイ島に立ち寄る予定があったからだ。

マウイといえば「ラハイナ・ヌーン」。

そう、僕が昨年10月に参加した太平洋を創作の舞台とする小説家の私的円卓会議である。

その参加者の面々は互いに匿名とし、開催日を事前に公開しないことがルールとなっていることから、再びトランスアイランドへ戻った今日の事後報告とさせていただくが、またまた面白い試みに参加することが決まった。

精力的に旅と創作の日々を重ねようと考えている今年の僕の活動にも微妙な影響を及ぼしそうなので報告しておきたい。
(ラハイナ・ヌーンに関しては第88話で紹介)

概略としては、ラハイナ・ヌーンの参加作家が連携して、少し変わった短篇小説を同時創作しようというものである。

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「Tribute」という単語をご存知だろうか?

本来は「貢ぎ物」や「贈り物」といった意味だが、創作活動におけるひとつのジャンルとして昨今注目されているキーワードでもある。

音楽の世界で、トリビュートアルバムのリリースを最近よく耳にするが、「影響を受けた作者への敬意とともに創作するカヴァー作」とでも言えばいいだろう。

そして、このトリビュート創作を文学の畑で同時多発的に行おうというのがラハイナ・ヌーンの企てなのである。

そこへ至った経緯は以下のようなものだ。

低迷する文学界において、作家ならではの知恵の連携でヒットを生み出すアイデアはないか?

そんな雑談をしていた時の話。

文学作品とは、個別に見ればフローのコンテンツ群でありながら全体としては歴史と共に肥大するストック市場であるという構造が参加者内にて確認された。

ならば、創作側における文学市場は新参者ほど不利な戦場ということになる。

つまり、過去の作品が商品として成り立つ限り、市場の総体における新作の相対的価値は下るということになる。

どこの国でも古典文学は一定の市場をキープして存続し、出版社は改訂版や全集化といったテクニックを駆使して着実な利益を上げているが、消費文化の多岐多様化で読み手の読書量増加が見込めない中、現代作家にとってこれは大きな問題である。

何故なら、安定した読者の「遺産巡り」が、現代作品への「ライヴ紀行」を機会的に多く奪っているに違いないからである。

ここで読書体験を紀行に置き換えて表現したが、ラハイナ・ヌーンの面々に共通する認識が読書と旅の類似性である。

日常の外側へ脱するという意味において読書と旅は共通の目的を持つ活動であり、その行く先がヴァーチャル空間であるか物理的な異空間であるかの差異のみがそこに存在するということだ。

ならば、大衆に愛される名所旧跡を新たなシナリオで巡るツアーを企画すればいいのではないか?

というのがある作家の発案。

そう、旅の商品造成マーケティングを文学の世界に応用するのだ。

古典文学作品のトリビュート作を銘々が創作し、それらが時期を同じくして発表されれば、尊敬する先達に敬意を表しながらも、ビジネスとしては我々現代作家に利があり、読者にしてみれば求める「遺跡体験」が親しみ易い現代訳によってラインナップされるということなる。

シンプルにして画期的な文芸活性化策ではないか!

ということで、今後は各自の個別創作アイデアをネット上で交換し合うことが決定し、今回の会はお開きとなった。

もちろん、これは堅苦しい仕事としての創作ではない。

ラハイナ・ヌーンは創作モチベーションを高めるための同好会であり、実際の作品発表を強制することも期待し合うこともない。

が、多分、我々は皆、何らかの作品を完成させるだろう。

何故って?

それは、このような企てそのものが作家には天職として大いに楽しめるものだからだ。

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僕がトリビュートの対象として選んだ作品を紹介しておこう。

サマセット・モームの短編『エドワード・バーナードの転落』。

彼がお得意とする南洋の島を舞台とする脱文明者の心の陰を描いた作品の粗筋はこうだ…

20世紀初頭。
南洋貿易での成功を夢見て婚約者イザベルをシカゴに残し、タヒチへと旅立ったエドワード。
約束の2年を過ぎても戻らない彼の消息を探るべく、同地を訪ねた幼馴染みのベイトマンが見たのは小さな商店で働く変わり果てたエドワードだった。
帰郷を説得するベイトマンの努力もむなしく、エドワードは婚約者とアメリカを捨て現地娘とのささやかな未来を選ぶ。
やがて、シカゴに戻ったベイトマンはイザベルに結婚を申し込む…

表向きはエドワードの転落話を描きながらも、「今日と違う明日」を信じてやまないベイトマンと、南の島に「今日と同じ明日」の循環を見つけたエドワードの対比を通じて文明批判を試み、「満ち足りた生」の何たるかを読者に問うモームの名作である。

時代を越えて普遍的な作品テーマとその物語構図。
これを利用した新しい物語創作への挑戦に、今から心躍る思いである。

さて、この作品を選んだ理由は他でもない。

ディックの影響により、シンガポール行きを決定したからである。
(詳しくは第102話を)

実は、モームがこよなく愛したのがシンガポールを代表するラッフルズ・ホテルで、彼はここに投宿して様々な執筆を重ねたという。

今でも102号室はサマセット・スウィートとして当時の調度品のまま残っているらしい。
スウィートに泊まるまではないにしても、コロニアル様式のホテルのバーカウンターにでも座って、モーム気取りで心に浮かぶフレーズから物語をスタートさせるのも悪くはないと考えている。

「大きくなり過ぎた島国」の取材で日本を再訪するのが3月5日の予定。
その前の半月近くを、初めてのシンガポール紀行に費やしてみるつもりだ。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

今週は月曜から香港に出張していて昨夜帰国しました。

香港では連日、旅行社や観光局との商談を重ね、観光する時間はほぼなかったのですが、滞在したホテルが九龍半島南部で港に近かったので夕食後にホテル「ザ・ペニンシュラ香港」まで散歩しました。

春節休暇直前で煌びやかに演出されたペニンシュラとの再会?に感動したわけですが…
実は僕にとって最初の海外旅行は1985年の香港で大学のゼミ旅行。
「一応」というレベルですが西洋経済史専攻で中国返還前の香港経済を探るというのがテーマだったので現場視察の名の下にゼミメンバー20数人で渡航した次第でした。

ペニンシュラは富裕層トラベラーや世界中から集まるビジネスマン憧れの一流ホテルで一階の「The Lobby」のアフタヌーンティーが有名でしたが、背伸びしてコーヒーだけ飲んだことを思い出しました。

その後、マレーシアのボルネオ島から豪華客船で訪れる取材旅行で2度目の香港行きを体験したのが2006年。

約20年周期で3回目の訪問となったのですが、英国とアジアを結ぶ歴史の変遷がその後の僕のキャリアに大きな影響を与えたように思います。

今回登場させた英国人作家モームの作品や彼自身が諜報員(スパイ)であった事実などは、僕が発表した幾つかの作品に影響を与えましたし、そもそもトラベルジャーナリストの肩書きで各地を飛び回ってきた僕のライフスタイルは、1世紀前の「旅する文学者」への憧れを具現化したものかもしれません。

古典文学作品のトリビュート作品を創作しようなどの企てをここに記していたことさえ忘れていましたが、真名哲也の原点といってもいいペニンシュラを訪問して、新たな創作意欲が湧いてきております。
/江藤誠晃

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