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088.ラハイナ・ヌーン

2003.10.21
【連載小説88/260】


ラハイナへ行っていた。

マウイ島の西部、かつては捕鯨で栄えたオールドタウンである。

トランスアイランドへ移住する前の3年間、僕はハワイを拠点に日本との行き来を重ねながら創作を重ねていた。

ハワイは放浪の半生の中で、最も愛着ある第2の故郷といってもいいのだが、その殆どをワイキキのあるオアフ島で過ごしていたから、ネイバーアイランドへは、それぞれ数回ずつしか行ったことがない。

マウイ島に関しては、かつてネイチャー系のドキュメンタリー作品の取材でハレアカラ山に登った帰りに、リゾートホテルの建ち並ぶ並カアナパリに2日間滞在したことがある。

その際に、車で10分程度のラハイナの町に立ち寄ったのだが、数時間を過ごしただけで、ゆっくり滞在するのは今回が初めてだった。

で、何故、急にラハイナへ行くことになったのか?

誰と会い、何をしてきたか?

そこをこの手記を通じて、しばらくはじっくり説明していこうと考えている。
どうやらそれがこの『儚き島』連載に重要な意味を持つことになりそうだからだ。

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先週、僕のアドレスに一通の招待メールが届いた。

「ラハイナで覆面会議を」

と題されたそのメールの内容は以下のとおり。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

海を愛し、島を愛し、自然を愛する文筆の友よ。
21世紀、我々の創作は如何なる水平線を目指すべきなのか?
日々深まる情報の海と、民を悲観へと導く海流の中にあって、
知の単独航海は、その舵取りがより困難な時代となった。

賢明な船乗り達が、行き先見えぬ曇天と荒波を前に、
一時陸へ上がり、熟練の同志で知恵と知識を交換したように
言葉の海を孤独に漂う我々にも
休息と充電のコミュニケーションの場が必要に思われる。

幸いにも、この太平洋には同じ志を持つ知の航海士が少なからず存在するから
ひとつの会を催すことにした。
我々の航海にとって、君の航海体験が貴重な情報であるように
君の航海にとっても、我々の体験は有益な情報であると確信した上で
ラハイナ・ヌーンなる文筆者の円卓会議に君をお招きしたい。
どうやら、君の寄港地からもそう遠くないようだ。
友好の輪に加わってはくれないだろうか?

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

という訳で、「ラハイナ・ヌーン」とは、環太平洋に創作拠点を持つ小説家の私的情報交換会。

立ち上げは今年の5月で、僕が参加したこの週末の集いが第3回だった。
発起人が3人で、2回目にひとり増え、今回僕が加わって5人の会になった。

つまりは、この不思議なメールの誘いにのって、僕はあっさりと「ラハイナ・ヌーン」のメンバーになったのである。

文筆を生業とし、その創作テーマに「文明観察」(文明批判ではない)があり、自然に近いところに暮らしているというのが会の参加条件で、会そのものは出版物創作や研究発表などの目的を持たず、参加作家個々がそこでの成果を各自の創作に活かせばいいという、気楽な活動だ。

ただし、そこにはひとつのルールが定められている。

参加者はこの会合の成果をその創作活動におおいに活かしてよいが、他メンバーのプロフィールや会の開催を一切公開してはならず、自身の実名と他者の匿名をもって「ラハイナ・ヌーン」を、ヴァーチャルな存在として別次元にキープしていこうというものだ。

よって、僕は『儚き島』の読者が知っているかもしれない彼らの名前やその作品を一切紹介することなく、彼らから得た情報やインスピレーションのみを自身の文中にて披露していくことになる。
(もちろん、彼らにとっては僕が同様に匿名になっている)

ところで、「ラハイナ・ヌーン」の名称由来だが、これは回帰線と赤道の間に位置する地で太陽が天頂部を通過する時に影がなくなる熱帯特有の自然現象のことで、ハワイでは「灼熱の太陽」を意味するラハイナにかけてこう呼ばれている。

5月の最初の会が偶然にも「ラハイナ・ヌーン」であったことから命名されたらしい。

静かなオールドタウンに集う文筆家が、作家というそれぞれの「影」をひと時消して、私人として語り合う…、そんな集いに絶妙なネーミングではないか。

時々ラハイナへ出かけることになるが、それは全て事後報告にさせてもらうことにする。
もちろん、そこでの成果は惜しみなく公開していくつもりだ。

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「言論の自由」

20世紀におけるそれは「場」や「機会」が大きなファクターとしてあった。

メディアの誕生と発展は個人に自己主張のチャンスを与えながら、一方でそれを取り締まる権力側の「規制」パワーをも増大させた。
自由な言論の場を獲得できるのは選ばれし者、限られた者であり、文筆家の役割もそこにあった。

ところが、90年代にインターネットなるメディアが登場したことで、この「言論の自由」が根底から変わることになる。

紙による印刷物や大衆の前で語るというマスに向けての情報や意見発信は、今やインターネット上で万民に対し平等にその機会が与えられ、誰もが作家になれる時代が到来したのだ。

職業文筆者の危機?

決してそうではない。
「場」や「機会」がオープンとなったことで、よりその中身が問われる時代へと移行したからだ。

ネットワーク社会とは、文筆の世界に生きる者にとっても、より自由にして自在な表現活動が可能な世界なのであり、そのためのテクニックやアイデアは無数に眠っている。

「ラハイナ・ヌーン」という仕掛けは、その一例としての大衆に不可能な高等戦略なのだ。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

20年前の今日、2023年の夏にラハイナに起こった惨劇を知ったら僕は途方に暮れたに違いありません。

『儚き島』の後も僕は何度かマウイ島を訪れ、その度に必ずラハイナの街を歩きました。

文明と自然を足して2で割るニュートラルな場所探しが文筆者としての僕のテーマでしたが、「ラハイナ・ヌーン」という何とも魅惑的な言葉を知ったことで、この街の存在が僕にとって特別な場所になりました。

この写真のパイオニアインという海外沿いのオールドホテルには一度宿泊したことがあり、一階の東端にあるカフェレストランは心地よい風が舞い込む最高の執筆空間でした。

ワイキキのように毎年訪れるリゾートとは違った「濃密かつ特別な」ハワイが僕にとってのラハイナでした。

そして、その街が思い出もろとも消失してしまい、20年後に再度オンライン空間にアップデートするこの「note」が、ラハイナへのレクイエムになってしまうことに…

しばらく続くラハイナ編の中で、この喪失感とどう付き合っていくのか考えてみたいと思います。
/江藤誠晃



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