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note7 : マニラ(2011.3.28)

【連載小説 7/100】

前回、香港からマニラへ旅立つ前夜に「東洋と西洋の交差点を渡り続ける歴史紀行を続ける」と記したが、マニラに残る歴史的城郭都市跡であるイントラムロスを毎日のように歩きながら僕の「SUGO6」の旅がプロローグから本章に入ったような思いを強くしている。

香港とイギリス、マニラとポルトガル、フィリピンとスペイン。
東西の交差点を順に渡ることで見えてくるのは複雑に縦横の道で構成された“歴史という街並み”のようなもの。

現代のキーワードでいえば「グローバリゼーション」。
21世紀の今、国家は単独で成立せず他国との関係性の中にのみ可能な存在だが、この構図は15世紀以降の大航海時代に積み重ねられてきた冒険と侵略、布教や通商活動と植民地支配の複雑な関係の延長線上に出来上がったものである。

そんな認識と共にイントラムロスを歩くと、そこに建つ重厚な建造物群の醸し出す情緒ある空間は、フィリピン近世史の陰の部分を見せる舞台装置に変わる。

そして、舞台設定が変われば、訪れる土地が旅人に語りかけてくる物語も微妙に変わってくる。

フィリピンには300年以上にわたってスペインの植民地だったという史実が存在し、植民地というものが“支配者”と“被支配者”の道が複雑に交差する街並みのごときものであるならば、まずは苦難と共にそこに生きた無数のフィリピン人の姿がおぼろげな総体として見えてくる。

そして、その中から旅人の前に登場するのが“英雄”である。
抽象的な民の歴史を明確な物語として後世に伝えるストーリーテラーの役割を担う人物がどこの国家にも必ずや存在する。

僕が今回のマニラ滞在で追っているのはホセ・リサールという“フィリピン独立の英雄”の生涯である。


【ホセ・リサール(Jose Rizal)1861〜1896】
植民地支配に苦しむ祖国に自由を取り戻すべく立ち上がったフィリピン独立運動の英雄。医師であり著作家でもあった。志半ばにしてスペイン軍に捕らえられ銃殺されたが、その意志を引き継いだ同志により独立革命は成功する。
「革命家にして医師、著作家」という肩書きを記せば、誰もが思い浮かべるのがチェ・ゲバラだろう。そう、キューバ革命を率いた革命の戦士である

チェ・ゲバラはキューバ革命後に国際的な革命闘争にその身を捧げ、最後はボリビアで捕らえられ銃殺刑となっているが40年に満たない命という点でもホセ・リサールとイメージがだぶって見える。

違いは彼らが生きた時代と場所。
チェ・ゲバラのキューバ革命は1959年だからホセ・リサールの革命から約60年後。19世紀のアジアに生きた革命家と20世紀の南米に生きた革命家は闘いの舞台が異なる。

が、彼らに繋がりがないとはいえない。
ひょっとするとホセ・リサールが残した著作をチェ・ゲバラが手にしたかもしれない。キューバもまたスペインの植民地からの独立を1902年に達成し、その後支配者となった米国からの再独立を目指したのがチェ・ゲバラの革命だったからである。

では、フィリピンと同じアジアに属する日本に同様の英雄は存在しなかったのか?と思いを巡らせて坂本龍馬に行き着いた。

運良くアジア各国が西洋の植民地となっていた時代を鎖国で切り抜けた日本に独立を懸けて闘う相手国こそなかったが、260年に及ぶ長き徳川政権を倒した明治維新も一種の「独立革命」であるならば、龍馬もまた民主化を目指した革命の戦士であり英雄であったといってもいいだろう。

ちなみに、調べたところ坂本龍馬が京都の近江屋で暗殺され31年の生涯を終えたのは1867年でチェ・ゲバラの死のちょうど100年前だから不思議な節目を感じる。

おそらく龍馬の軌跡を追って日本国内を旅したら、黒船が来航した下田や亀山社中のあった長崎にも「東洋と西洋の交差点」を見つけることができるのだろうが、マニラを旅する僕の前にはホセ・リサールゆかりの地が次々と登場した。
イントラムロスにはホセ・リサール記念館が残り、彼が処刑された地はリサール公園として記念像が建つ。また、アヤラ博物館まで足を延ばせば、独立革命の歴史をジオラマ展示で見ることもできるのだ。

旅してひとりの人物を“間口”に観察を続ければ、“奥行き”としての国家と世界が見えてくる。

PASSPOT社のスタッフが僕のために提示してくれた「スペイン統治時代の面影を残す城郭都市の歴史とフィリピン独立の英雄の軌跡を追う」というミッションは大正解だった。明後日までのマニラ滞在も満足と共に終えることができそうだ。

連日、マニラ湾に沈む夕陽の絶景ポイントでもあるリサール公園に出かけては革命の歴史に思いを馳せている。

この同じ空の下、同じ風に吹かれて過去の英雄は何を思い、何を目指したのだろう?
彼らが“今”の時代を見たら何に感動し、何を憂えるのだろう?

そして、今、中東ではチュニジアの「ジャスミン革命」に端を発した民主化のうねりがエジプト、リビア、バーレーン…と広がっている。

その中には、後世に“英雄”となる革命家が既に存在し闘っているのだろうか?

いや、エジプトのムバラクやリビアのカダフィーもまた、かつては民衆に指示された革命の英雄だったではないか。民主化を目指す革命が一時の安寧をもたらしたとしても、歴史は常に次なる闘争を準備するということか?

地球を西回りする僕の「世界一周」は、当然のことながらマニラ湾に沈む夕陽の向こう側に位置する中東方面を通過する旅でもある。

それは何ヶ月先になるのか?その頃、政情はどう変化しているのだろう?

夕陽を前に様々な疑問符が浮かんでくるが、明確な答は出ない。
水平線や地平線の向こう側が見えないのと同様、僕たちに予測可能な未来などしれている。
日々旅を重ねることで、少しずつ未来をたぐり寄せていくしかないのだろう。

いや、それこそが“旅”であり“人生”なのだ。

次の旅先はマレーシアになった。

>> to be continued

※この作品はネット小説として2011年3月28日にアップされたものです。

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