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020.郵便配達人に憧れた少年

2002.7.2
【連載小説20/260】


午前7時の日課はメールチェック。
日の出と共に起きて、少しの散歩の後、朝食をとり、一段落した時間だ。

以前はリアルタイムでメールチェック可能な環境に身をおいて仕事をスピーディーにこなしていたつもりだったが、この島に来てしばらくしてやめた。

ネットワークに繋がっていることで生まれる幾つかのデメリットのひとつが、仕事に終わりがないという不規則性だ。
就業時間差や時差を超えて行き交うメールは最たるもので、即時対応を続ければプライバシーが侵食される。
利便性や効率を求めたネットワーク技術によって自由な時間が減少するという矛盾…

そこで、僕はONとOFFを明確に二分化することにした。
19時から翌朝7時までは一切メールチェックをしないという自己ルールを設けたのである。

結果的には正解だった。
ひと月もすると、僕のことをよく知る人たちは、急ぎのメールなら19時まで、それ以外は翌日まわし…と納得してくれたようで、仕事に差し支えるどころか、むしろ効率がアップした気さえしている。

だから、午前7時のメールチェックといっても、ここのところは10通もあれば多いくらいだ。

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「今朝のメールは3通です」

コーヒーの入ったマグカップを片手に、「nesia」を立ち上げ、メールボタンをタップすると、郵便配達人のイラストが画面に登場し、僕に向けてそう語る。

ポケットPC版のフラッシュプレーヤーを導入したので、メールのアプリケーションも“Postman”という新しいものにしたのである。

「ありがとう」
と、なぜか画面に向かって挨拶してダウンロードボタンをタップ。
同時に僕は、子供の頃、何度も問いかけられた「大きくなったら何になりたい?」の質問を思い出していた。

実は、僕の憧れの職業は、ある年頃まで郵便配達人、つまりポストマンだった。
まだ行動範囲などごく狭かった幼少の僕にとって、様々な地から発信される手紙を平然とした表情で届けてくれる郵便配達人は、まるで世界の隅々まで知り尽くしたスーパーマンのように思えたのである。

ある時など、アメリカに住む叔父からのエアメールを受け取った際に、
「おじさん飛行機で届けてくれたの?」
と問いかけて母を笑わせたらしい。

スポーツ選手にしろ、芸能人にしろ、僕の郵便配達人にしろ、子供心に芽生える将来的な職業の夢などというものは、ある意味でこんなヒーロー像に左右されるものだ。
そして子供はその夢を育むか、捨て去るかの選択を重ねて大人になっていく…

大きくなったら郵便配達人になって世界中を飛び回ろう。
そう勘違い?していた僕は、やがてポストマンが届けてくれていた中身、つまり手紙の中にある「言葉」への興味を深めるようになった。

そして、その「言葉」を操ることで世界中を飛び回ることを生業とするしたたかな?大人へと成長した訳だが、今でもふとこんなイラストを見るだけで幼い日々の憧憬心がよみがえるのである。

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eメールの登場は郵便配達人の仕事をどれだけ奪ったのだろう?
と少し感傷的なことを考える。

誰かの思いが時間をかけて伝えたい相手の手元に届く…
そんな熟成感は、ボタンひとつで相手に届くeメールには実現し得ないものだろう。
また、雨の日も風の日も、淡々と手紙を届け続ける郵便配達人に送る「ありがとう」の挨拶をパソコンやインターネットに向けて放つ人もいないだろう。

せめてメールを受け取らない時間を自ら設定することで、古き良き「手紙」の時代とつながっていられるような気がするのはおかしいことだろうか?

かつて、郵便配達という職業の向こうに世界という大きな広がりを垣間見た少年は、ひょんなことでポストマンにならず作家となって、郵便局も配達人も存在しない南海の島に暮らしている。

夢は現実の流れの中で微妙にそのかたちを変えたが、僕の職業選択に間違いはなかったと自負している。
そして、人の心に響く「言葉」を紡ぎ続けることで、作家という職業を子供たちの憧れの対象にしてもらう努力を怠ってはならないと肝に銘じているつもりだ。

※トランスアイランドに郵便局はないと書いたが、ハワイへの定期飛行艇に頼めばワイキキの郵便局から世界中に手紙を送ることは可能だ。僕も大切な人には時々手紙を出していることを追記しておく。

------ To be continued ------

※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

作品の中でこうは書いたものの、20年を経た僕はといえば、リアルな手紙を書くことなどほぼなくなり、日々やりとりするメールの数は激増しています。

そのかわり、当時はなかったFacebookやSlack、NoteなどSNS利用がメール以上に増えて、コミュニケーションのあり方が抜本的に変容した感があります。
その結果はネガティブなものではなく、昨今のオンラインコミュニティサービスには「顔が見える」リテラシーが存在し、コミュニティがヴァーチャル化されたテクノロジーの進化には感謝すべき要素が多々あります。

「言葉」を紡ぎ続けること。
それが当時も今も僕を突き動かす最大のモチベーションです。
20年を経て、ここにそう追記できることもまた大きな変容であった気がしています。
/江藤誠晃



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