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122.ふたりのharuko

2004.6.15
【連載小説122/260】

宇宙という大海原においては地球が島であり、その地球においては大小様々な国家が海に対する陸地の島として点在する。

さらにミクロに目を転じれば、そこに生きる個々人が、社会という見えざる海に浮かぶ孤島として生きている。

これらの関係性が別々のものではなく、繋がっている実感をもって3次元の世界に僕らが生きていることを前回に記した。

そこで、次に、こんな飛躍的な発想を試みることにする。

「自分を中心に回る地球」だ。

これは、決して「地球は自分を中心に回っている」というエゴイズムによる価値認識ではない。

自らを取り巻く人間関係を、ビジネスとプライベートや性別・年代別といった属性分類図や人脈図として2次元の世界に把握するのではなく、緯度と経度で構成される球体的3次元の世界に再編してみようという試みだ。

まず、その地球においては、人としての結びつきの深さが陸地の大きさに反比例するという特色がある。

つまり、個性と影響力を強くもって僕に関係する人たちは、小さな島に住む者として表現されることで、その存在が相対的に大きく浮き彫りになる。
反対に、関係の薄い人や見知らぬ人たちは、集団として大きな大陸にひとくくりにされるのである。

次に、それぞれの島や大陸は実際の地勢分布に近しい位置関係にある。

例えば、今、僕の住むトランスアイランドには繋がり深き友が多数いるから、太平洋の真中にポツンとひとつの島が浮かんでいる実状に対して、架空の地球では個性豊かな小島の群島だ。

日本に目を転じれば、北海道、本州、四国、九州…と連なる列島が、ひとつの大きな島と周辺の小さな島々に再編される。

小さな島は顔の見える友であり、その他大勢を許容する大きな島が背景にあるという構図。
僕の場合でいえば、ビジネスパートナー多き東京周辺と沖縄から八重山諸島に至る南方に魅力的な小島があれこれと浮かんでいる。

対象を広げれば、東南アジアやオセアニア、アラスカ、北米西海岸あたりにも小さな島々が見えてくる。

では、地球のその先はどうか。

残念ながら足を踏み入れたことのないヨーロッパ大陸やアフリカ大陸、南米大陸には、友ひとりとして存在しないから、そこは荒涼たる巨大大陸としてのみ僕の地球に存在可能という状態。

つまり、「僕を中心に回る地球」とは、環太平洋における友の輪をベースに成り立つ地球なのだ。

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緯度も経度も違うことで、時差があり季節感も異なるのに、僕にとっては相似形の島のごときふたりの女性がいる。

香山波瑠子とハルコである。

編集者として長くビジネスパートナー関係にある波瑠子は、遠く東京に浮かぶ島。
広報エージェントとして共にトランスアイランドの島政に深く関わるハルコは、ごく近いところに浮かぶ島。
(ふたりの解説は、それぞれ第101話第98話

島の形が近しいと、気候が違っていても、海岸線を歩く際の雰囲気とか、水平線までの距離感覚とかに似たものがあるように、彼女たちに接する時に感じる何かが僕の中で共通なのだ。

多分、ふたりの精神部分を構成する因子レベルの相似性がそうさせるのだと僕は考えている。

実は、先月の波照間島への旅の帰路、東京に立ち寄った際に僕はふたりを引き合わせたのである。
(旅の報告は第118~120話)

独立心に富み、開放的な性格は大陸的ではなく島的。
加えてその職業が共にコミュニケーション活動に関わるもの。

僕の予想どおり、初対面にもかかわらず、ふたりのharukoは意気投合した。

僕とのコンビで島を舞台とする雑誌連載企画を進める波瑠子は、日を重ねるごとにトランスアイランドに対する興味を深めていたし、トランスアイランドを広く世界にアピールするミッションを持つハルコにとっては、島を客観観察する外部視点が必要だった。

つまり、出会いは絶妙のタイミングだったということ。
東京での接点が僅か数日だったにもかかわらず、ふたりはその後メールを通じて密に連絡を取り合い、なんと、コラボレーション企画を立ち上げることにしたという。

昨日、その報告がふたりのharukoから同時にメールで届いた。

それが申し合わせた上での文面なのか否かは不明だが、差出人にアルファベットで「haruko」の文字が含まれる別々のメールは、文体や文量に微妙な差はありながらも、ほぼ相似形だったことに僕は感銘を受けた。

さて、具体的な内容については、ふたりのharukoから届く今後の報告をベースにこの手記で紹介していくことにするが、彼女たちの目標とするところは「ブランド創造」らしい。

トランスアイランドという島の存在とそのコンセプトを、万国に通じる明確な表現でアピールする戦略だというから、とても楽しみにしている。

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地球儀を北極か南極の側から見てみよう。

すると、緯度線が中心から全体へと広がる円の連続であり、経度線がそれを横断して放射線状に広がるラインであることがわかる。

では、その「極」を自らの位置に移してみよう。
僕の場合なら太平洋の真中、日付変更線の少し東側を頂点とする地球への意識転換。

そこでは、トランスアイランドという「極」に対して広がる同心円が、45度付近で環太平洋とほぼ重なることになる。

そして、ちょうどこのエリアが僕の作家としての活動ドメインであり、半生を旅してきたゾーンである。

また、放射線に延びるラインは、今までにこなしてきた旅の軌跡を思い起こさせる。
一度きり辿った道もあれば、何度となく往復した道もある。

以前に、コンパスポイントというキーワードを紹介したことがあるが、こうやって「自分を中心に回る地球」を再編してみると、確かな「立ち位置」としてのトランスアイランドが、人生の出発時点、つまり誕生の段階で定められたものではなく、方々への旅の結果として見出した「到達」の場所であることがよくわかる。
(コンパスポイントについては第82話を)

僕の旅は続く。

それは同心円をより広く拡大する旅かもしれないし、放射線上の軌跡をより遠くへと伸延させる旅かもしれない。

何れにしても、僕がそこで行うべきは「大陸」を「島」へと解体していく作業だ。

国と出会い、町と出会い、友と出会うことで、僕を取り巻く世界は集団から個性へと解放されていく。

この人生の最後を迎える時、僕の地球はどこまで細分化されているだろう?

そして、その地球はどれほど青く輝いているのだろう?

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

物書きの僕にマネージャーのごとき敏腕編集者が存在したら…

僕の仕事のメインはプロデューサー業であって、作家業は複業として始めた仕事でしたが、90年代後半からネット小説という新たな文学の分野に活躍の場を得て費やす時間がどんどん増えました。

従来の執筆業であれば発注元は出版社で、そこに担当編集者がいるというのが基本スキームでしたが、僕のデジタル系出版のクライアントは『儚き島』のマイクロソフト社や携帯電話のキャリアだったので、個々やりとりをしながら活動をしていました。

そんな中で、同じくフリーランスで編集部を担ってくれる優秀なエディターがいたら、それも豊かな感性を持つ女性がいい… との思いが生み出したのが「香山波瑠子」でした。

実は香山波瑠子は1997年に『虹色の島から』という小説作品に登場させた編集者で、7つの短編小説をオムニバス形式で紡ぐ作品を真名哲也と共に創作するキャラクターでした。
つまり『儚き島』と『虹色の島から』は相互にスピンオフの関係にある作品だったわけです。

ちなみに、この『虹色の島から』は朝日新聞の新人文学賞に応募して、2次審査まで進んだ作品です。

その後、ハワイを舞台とする『One more cup of paradise』というネット小説にも香山波瑠子は登場します。

この作品はデジタル文学の実証実験として進めた真名哲也プロジェクトの一環で、真名哲也を核にハワイで働く仲間たちとの交流をクロスワードパズルと連携させた立体小説として連載リリースしたものでした。

このパズル型小説はその後10年以上の時を経てシンガポールを舞台にした『JB's REPORT 〜CROSS WORLD PUZZLE SINGAPORE〜』という旅行会社と組んだスマートフォン着地型小説という作品につながりました。

真名哲也プロジェクトには様々な「入れ子構造」と「WEB的連鎖」のギミックを仕込んできましたが、そこには僕同時の「編集者視点」がありました。
/江藤誠晃

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