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114.シンガポールの向こう側

2004.4.20
【連載小説114/260】

アジア南方の島から飛んできた渡り鳥と、北方の島から飛んで来た渡り鳥。

別々のルートを旅する2羽の鳥が中継地の太平洋上の島で知り合う。

共に旅を人生の住処とする放浪者として意気投合した彼らは旧知の友のごとき仲となり、生まれた国と旅してきた先々のことを語り合い、暫し穏やかな時間を共有する。

2羽の渡り鳥のお国は、それぞれシンガポールと日本。
似て異なる国家でありながら、異質の中に共通点も多い。

そんな互いの祖国に対して親近感が芽生えることで、中継地の小さな島がふたつの国のちょうど中間に位置しているかのごとき錯覚を覚える…

NEヴィレッジのビーチに並んで腰をおろし、水平線を見ながら語り合うディックと僕を中空から観察すれば、そんな雰囲気と関係性の中にあるのではないだろうか?

年頭にトランスアイランドへ移住してきた「新たなる隣人」ディックに影響を受けて、僕は2月に予定していた日本行の前にシンガポールを訪れる長旅に出た。
(ディックの紹介は第102105話)

僕からはその旅の報告とそこで感じたあれこれ。

ディックからは僕が「儚き島」に残したシンガポールに関わる手記への感想と意見。
(第106~108話に詳しい)

そこから始まった議論のことを記しておこう。

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かつて他国とは、権力者や冒険者といった選ばれし例外者は別として、一般の民にとっては水平線の向こう側に夢見る存在でしかなかった。

つまり、「普通の人生」とは生まれた国で終始するものであり、個人を成り立たせる枠組みとしての社会は所属する国家社会であったといっていい。

が、現代の我々は違う。

世界がネットワークされたことで、個人は知らず知らずのうちに国際社会という枠組みの中に取り込まれた。

所属国家の成員でありながら、地球大の生命圏の成員でもあるという2重の帰属構造の中に21世紀の僕らは生きている。

もちろん、この感覚は万民に通じるものではないだろう。

世界には未だ生まれた国家の枠から生涯外へ出ること叶わぬ民も、他国の存在さえ知らぬ民も数多く存在する。

この定義は、今この『儚き島』を読む「貴方」や同レベルの生活環境にある人々を対象にすることにする。

ディックと語り合う中で僕が強く感じたこと。

それは、他国を旅することで自国を意識し、自国を再見する作業の向こう側に広い世界を意識するという精神作業が21世紀的国際感覚なのではないかという思い。

表現が抽象的すぎるか…
つまり、こういうことだった。

僕がシンガポールの向こう側に見たもの。
それは日本という祖国の過去である。

具体的には、僕が青年期を送った70年代から80年代の経済成長時代。
川下に向かって泳ぐかのごとく、社会が見えざる大きな流れに押されて前進していたあの頃だ。

対して、ディックが祖国シンガポールの向こう側に見るのは、現在の日本。

アジアの雄として順調に成長を続ける小社会においては、国民の関心が物質的欲求へ向かい、豊かであるが故に若者の政治への関心度は低い。

豊かさの享受が国家の結束よりも個々の生活を重視するスタイルをもたらしたことで、いつか到来する低成長時代においては民主力の脆さが露呈するのではないかと懸念する。

そして、僕らの結論は広い国際社会の中で「繋がっているね」というシンプルな思い。

繋がっているからこそ、他国を知ることで自国を深く知ることができるのだ。

僕は、アイデアと活力ある国家として大いに気に入ったシンガポールへの旅を、今後も不定期ながら重ねるだろう。
そこで都市文明や祖国日本を客観観察することができるからだ。

ディックもいつか日本へ行ってみたいと言っている。
彼から見れば、そこに祖国シンガポールの行く末に対するヒントが数多く潜んでいること明らかだからだ。

国際社会というフィールドにおける渡り鳥となることで、旅路の先に見える故郷というものがあるのだろう。

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冒頭、2羽の渡り鳥に例えたディックと僕にとってのトランスアイランドを「中継地」と表現した。

つまり、ここが永住の場所ではないということなのだが、微妙な感覚なので補足説明しておきたい。

いつかこの島を離れ、祖国へ帰るのではないか?

おそらく、ディックにしても僕にしても、心のどこかでそんな予感を持ちながらトランスアイランドの生活を重ねている。

これは他の島民諸氏も同様だろう。

この島自体が一種の実験国家であり、未来永劫の存在が保証されていない訳だから、全ての島民には常に元の場所へ戻る選択肢が可能性として存在する。

もちろん、トランスプロジェクトは期限なき長期計画として推進されるものであるし、この島の継続的存在そのものが「豊かな21世紀」を占う、ある種のバロメーターでもある。

しかし、それがイコール今あるトランスアイランドの物理的存在の永続ではないと僕は考えている。
この島の人類や国際社会に対する役割が変遷と共にその質量を増やしていくなら、別の島への分散や違った場所への移転もありうるということだ。

それに、トランスアイランドが目指すところのライフスタイルや思想は、万国で共有可能なものだから、今ここに暮らす者の「次なる島」が、獲得した知恵をもっての帰郷であることは望ましい展開だ。

そう、海に囲まれた「島」といいう空間を伴わなくても、社会の中に精神的なものとして存在する形而上の「島」をそれぞれの祖国に実現するなら、目指すトランスネットワークは可能なのだ。

トランスアイランドの「TRANS」を語源とする単語を辞書に求めてみよう。

超越、移転、変化、経過的、乗り継ぎ、過渡期、翻訳、遺伝、伝承…

つまり、トランスアイランドとは「目的の地」ではなく、「プロセスの地」。
さらに発展させれば、国家という存在そのものが本来、その向こう側にある「真の目的地」を見据えるための通過点でしかないという理念がこの島のシナリオにはあるということなのだ。

ちなみに「TRANSIENT」という単語の和訳に「儚い」とある。

僕がこの手記に『儚き島』なるタイトルをつけた所以であることを追記しておく。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

円安が150円台半ばに到達し「1ドル180円」という分析まで出てきています。
インバウンド旅行分野はコロナ禍からの復活が予想以上のペースで進む一方、日本人の海外旅行市場はかなり厳しい状況です。

先日、関係者に聞いたところ日本人のパスポート取得率が17%と大幅に下落しているとのことで、旅行会社や関係者の中にとって「存続の危機」レベル。

パスポート取得率の低下には
1)取得者が亡くなる
2)有効期限が切れた人が更新しない
3)新たにパスポートをとる人が少ない
の3要素がありますが、そこに少子化で人口減がかぶってきますので深刻です。

日本人は6人にひとりしかパスポートを所有していないというのが2024年に事実です。

「他国を旅することで自国を意識し、自国を再見する作業の向こう側に広い世界を意識するという精神作業が21世紀的国際感覚なのではないか」

と20年前の今日に僕は記したが、日本人にとって容易いことでなくなってしまいました。
海外交流は日本国内に居ながらも可能という意見も飛び交うようになりましたが、やはり、異国に地を踏むことと双方向コミュニケーションが成立してこその「世界」だと思うのです。
/江藤誠晃

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