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note82: マチュピチュ(2011.11.12)

【連載小説 82/100】

マチュピチュ。
標高2057mに位置するインカの遺跡はケチュア語で「老いた峰」を意味し、山裾からその存在を確認できないことから「空中都市」や「失われた都市」などと呼ばれるユネスコの世界遺産である。

うまく「SUGO6」の目が合って、かねてから一度は行ってみたいと思っていたマチュピチュを訪問できただけでも幸運だが、なんと今年2011年は「マチュピチュ遺跡発見100周年」の記念イヤーだというから不思議な縁を感じる。

また、「発見100周年」ということは当然そこに“発見者”が存在するわけで、偉大な人物の生涯を視座に世界や歴史を再見する“ニューツーリズム”を模索している僕にとっては、極めて興味深い調査対象となったのである。

その人物を紹介する伏線として[note63]で紹介したロイ・チャップマン・アンドリュースのことを思い出していただきたい。

ニューヨーク滞在中の9月半ばにアメリカ自然史博物館にからめて紹介した「恐竜ハンター」の異名をとる探検家&博物学者で、あのインディアナ・ジョーンズのモデルとされる人物である。

実はインディアナ・ジョーンズのモデルにはロイ・チャップマン・アンドリュース以外にも何人かの歴史上の人物がいて、そのひとりが1911年7月24日にマチュピチュ遺跡を発見したアメリカ人探検家ハイラム・ビンガムなのだ。

アンデス山脈を探検中にマチュピチュの遺跡を発見したビンガムはこの遺跡が1500年代に建造されたインカ帝国の古代都市跡であることを知ると、その後5年間をかけて遺骨や陶磁器、芸術品など数1000点をコネティカット州にあるエール大学に持ち帰ったが、これは歴史文化遺産の盗掘行為であるとしてペルー政府が長年にわたって返還を求めてきた曰く付きの行為。

それが「発見100周年」を機にエール大学からペルー政府に返還されることが決定し、ペルー側がクスコに博物館と研究センターを新設して返還される4000点の文化遺産を保管、エール大学がアドバイザーとして参画するとの合意にいたったらしい。

これからは“現場”の「空中都市」と、博物館に眠る歴史の双方を見ることができるわけだから、ペルーのマチュピチュ観光はさらに世界中から注目されることになるだろう。

ところで、ハイラム・ビンガムについてレポートする中で僕はもうひとりの人物を思い出した。

フランス人作家アンドレ・マルロー。
カンボジアでアンコール王朝の盗掘を行いプノンペンで起訴された実体験をもとに小説『王道』を書いた作家で、のちに小説家から政治家に転身してド・ゴール政権下で文化相に就任した人物。

この『王道』の軌跡を追う川の旅を5月にカンボジアでプノンペンからシェムリアップへ至るルートで体験し[note22〜26]で報告したことを覚えていただいているだろうか?

未知なる土地を目指す旅人はそこで発見したものを持ち帰り報告せんとするある種の義務感を持つが、その行為が文化破壊や紛争の種になることしばしばであり、ビンガムもマルローもそこに加担してきたことになる。

歴史を見ればヒーローとしての“冒険家”と、悪役としての“盗掘者”は紙一重でありコインの裏表のようなものなのだろう。

ただ、彼らが存在しなければ現代を生きる我々が知り得なかった歴史というものがあるわけで、その意味で僕はこれらの人物にシンパシーを感じる。

そして、そんな目的意識高き旅人の業績を通じて世界や歴史を再見する“ニューツーリズム”の可能性をさらに追ってみたいと思うのだ。

>> to be continued

※この作品はネット小説として2011年11月12日にアップされたものです。


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