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017.文化人類学者

2002.6.11
【連載小説17/260】


次に生まれてくるときは、文化人類学者になりたい。

僕に迷わず、そう思わせる人物を紹介しよう。
SWビレッジに住む海野航氏がその人である。

彼との出会いはトランスアイランドのエージェント会議。
改めて解説しておくと、このプロジェクトの主体であるコミッティが、島国家運営のブレーンスタッフとして指名した各界のプロフェッショナルがエージェント。
島に暮らし、各々の専門領域の活動を展開する中で、島の未来への提言やアドバイスを行うことになっている。

それぞれにコミッティから依頼されるレポート活動などはあるが、拘束される部分は僅かで、唯一、毎月開催されるコミッティ会議に参加することが義務付けられている。

僕は「文化」のエージェントで、海野氏は「社会」のエージェントである。

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「海野航」と書いて、「ウミノワタル」と呼ぶ。

年齢は43歳。
文化人類学者として世界中の様々な地域でフィールドワークをこなしてきた彼は、文化人類学のみならず、社会学、海洋学、動物学など広範に渡る知識を持ち、それらをベースとするユニークな独自の社会分析で、知る人ぞ知る学界の著名人である。

現場にこだわってきた彼の半生は、転々と暮らしたミクロネシア、ポリネシア、メラネシアの島々の生活はもちろん、北米大陸のネイティブキャンプや極北のエスキモーの部落まで、環太平洋の各地に及び、国際先住民会議に招待されるほどの活動実績を持っている。
その名のとおり、海を航り続けた男なのである。

彼の実績には遠く及ばないものの、文筆の領域で南方の「ネイティブ」にこだわってきた僕だから、話が合わない訳はない。
我々は出会ってすぐに意気投合し、エージェントを超えた友人として、毎日のように会い、議論し、互いの体験や思いを交換するようになった。

そんな彼と最近交わした話題を、ひとつ披露しよう。

「その地に住む人々を表現する“○○者”の肩書きの多さが、そのまま文明化ストレスの尺度だ」というのが海野説である。

トランスアイランドのようなプリミティブなエリアでは、そこに住む人々は、「島民」とか「村民」でしか語られない。つまり、皆がシンプルな「生活者」である。

ところが、文明社会の複雑な機構に巻き込まれることで「生活者」には様々な顔が加わることになる。
「消費者」「労働者」「有権者」「納税者」…
といった具合。

演じる役割の数だけ時間と体力、思考が求められるわけだから、文明人のストレス過多は至極当たり前のことだと氏は語る。
さらに、業務効率アップを目的にさらに働き、疲労回復のために不健康なまでに健康にこだわり、お金を増やすためにお金を借り、需要を超える供給を消化する需要を創出する…といった矛盾の悪循環は、人類以外の生態系では考えられない現象だと続ける。

聞いていて何ともシビアで悲しく、でも、どこか滑稽な海野氏の分析はいつも同じしめくくりで終わる。
「幸福の答ってやつは足し算じゃ出ない。引き算だよ」

つまりは、自らについて回る「○○者」の肩書きをひとつでも減らすことが幸福への近道ということなのだ。
ありがたいことに、この島に住む我々には求められる役割がまだまだ少ない。
今のところは「生活者」の域を出ていないようだ。

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海野氏を紹介する際に忘れてはいけないのが、12歳になる、ひとり息子の灯君の存在だ。
「ウミノトモル」君と呼ぶ。

幼少の頃から転々とする父の傍で豊富な体験と共に育っただけあり、明朗快活にして爽やかな少年だ。
時には父親以上に確かな目線で自然や文明を分析し、素朴な言葉で解説する。
将来有望な島の子供である。

ところで、海野氏に、「貴方の役割はやっぱり学者?」
と訊ねたときの答が面白かった。
自分は「航者」で息子は「灯者」だと言うのだ。

自らは船のように海を航り、世界を見聞きし考えてきた。
息子には、航海の安全を導く灯台の明かりのごとき存在に育ってほしいのだという。

全てを引き算しても、その名が残る…
僕はこの親子の大ファンである。

------ To be continued ------

※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

1年程度のつもりで引き受けた週刊連載ネット小説が結果的には休むことなく5年間続いたこの作品は、このあたりから僕(真名哲也)のモノローグから個性的な人物が続々登場する作品に変わっていきました。

海野親子は当時43歳と12歳でしたから、今は63歳と33歳ということになりますが、20年ぶりに振り返りながら「今、彼らはどこで何をしているんだろう?」という不思議な感覚があります。

架空の小説に登場する人物たちに「その後」の人生が存在するはずなどなく、生み出した僕自身がこんな疑問を持つことがおかしいのですが、実はこの感覚こそが文学の魅力なのだと思います。
もし僕に時間があるなら、『儚き島』のスピンオフ小説でこの親子の物語を書きたいぐらいです。

この後も僕にとって愛おしい人物たちが出てきますが、20年ぶりの再開が楽しみです。
/江藤誠晃

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