見出し画像

note52: マドリッド(2011.8.17)

【連載小説 52/100】

ポルトガルのポルトから列車に揺られ、途中乗り換えを経て約12時間で昨日の朝、マドリッドに到着した。

ポルトガル同様10数年ぶりのスペインに旅人として違和感なく溶け込めたが、その理由は充分に理解済み。
そう、3月末に訪れたフィリピンのマニラでスペイン統治時代の歴史が色濃く残るイントラムロスを歩き回ってきたからだ。

もし次の訪問地がフランスのパリになったとしたら、今度は5月に訪れたベトナムのホーチミンやカンボジアのプノンペンを思い出し、その街並みにスムーズに入っていくことができるだろう。

つまりアジア東部とヨーロッパの国々は大航海時代で繋がっているのだ。
「世界一周」の旅を続けながら、地理的な空間軸と植民地支配という時間軸の2軸に絡んで僕は人類史そのものを旅している。

さて、3月10日に日本を出発した旅も5ヶ月が経過し「世界一周」は後半に入っている。

これまでの旅では上記のような東西交流の歴史だけでなく、アフリカ大陸を旅したことで南北の軸も体感した。また、目映い都市の摩天楼と満天の星空に包まれるジャングルの夜の双方を味わうことで「文明と自然」という地球上の2極を強く意識した。

さらに、その中で仏教、キリスト教、イスラム教などの信仰とそこに生み出された建造物や文化財を見て回り、様々な言語、音楽、舞踏、芸術に触れるなど、まさに“多様性”の中に世界が存在することを身にしみて味わえる旅だった。

そんな5ヶ月を振り返りながら、マドリッドに向かう列車内で「世界一周」の旅の持つ意味を車窓に流れる景色を見ながら整理してみた。

これまで僕が積み重ねてきた旅は、大なり小なり「日本を出て異国を訪れ再び日本に戻る」という往復の組み立てで成り立つものだった。

ところが、今回の「SUGO6」の旅は違う。
訪問する国や都市の数や滞在期間が圧倒的に多いだけではなく、そこに「日本に戻る」という“帰路”が存在しないのだ。

東アジアから東南アジア・中央アジアを経てアフリカ大陸へ渡り、ヨーロッパ大陸へ辿り着いた旅は、西回りで北米・南大陸からオセアニアエリアの大陸もしくは島を経由し、途中日付変更線を超えて最終的に日本へ到達する。

往路と復路でループする“循環”の旅ではなく、曲がりくねった長い一本道をひたすら進んだ先になぜかスタート地点が待っているというマジック、とでも言えばいいだろうか?
「旅する先に日本がある」という不思議な感覚を僕は旅人として初めて味わっている。
おそらく日本に到着(“帰る”はない)した時にこの実感はさらに強いものとなるのだろう。


ところで、10ヶ月の旅は後半に入ったと記したが、僕の中には残された時間のほうがはるかに少ないという感覚がある。
重ねた時間が長くなるほど、目の前をすぎる時間は相対的に短くなるからだ。

これはまさに人生と同じである。

既に半世紀近くを生きてきた僕にとって日々は微妙な加速度を持って流れ、一日の重みは若い頃に比べて相対的に軽くなっているが、それ故に流れる時そのものを愛おしく思う気持ちも強い。

人生が円熟期に向かうように、「世界一周」の旅も後半の熟成の中に実りあるものにしていきたいと思う。

>> to be continued

※この作品はネット小説として2011年8月17日にアップされたものです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?