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note50: リスボン(2011.8.11)

【連載小説 50/100】

日本とポルトガルの関係を語る上で外す事ができないのが16世紀の「鉄砲伝来」である。

1543年、大隅国(現在の鹿児島県)種子島に漂着した中国船に同乗していた2人のポルトガル人が所持していた鉄砲が「天下統一」の戦乱を左右することになる。

時はまさに群雄割拠する戦国時代。
鉄砲という新兵器の登場が刀や槍を主力とする合戦の有り様を大きく変え、鉄砲鍛冶の成立や武器の輸出入が産業界の構造をも変化させた。

長き鎖国の時代を間にはさむことにはなるが、鉄砲を通じた「西洋との出会い」は近世から近代を経て現代にいたる日本の工業化や国際化の始発点だったと言ってもいい。

そして、この東洋と西洋の出会いをもたらしたのが15〜17世紀にヨーロッパ人がアジアやアメリカ大陸へと海外進出した「大航海時代」であり、そのメインプレーヤーたる2大国家がポルトガルとスペインだった。

国際社会におけるヘゲモニー(覇権)国家は時代と共に移り変わる。
今なら「G2」呼ばれると米国と中国、20世紀後後半の冷戦時代なら米国とソ連といったように人類史においては突出する2国間のライバル関係が常に存在するが、世界がひとつに繋がっていなかった15世紀においては、イベリア半島という大西洋と地中海に漕ぎ出せる地勢的条件を備えていたポルトガルとスペインが「航海による世界発見」というゲームで熾烈な競争を重ねていたのだ。

さて、トラベルライターという僕の仕事は旅に関する種々雑多な文章を各種メディアに提供するものだが、その中には歴史上の人物にまつわるレポートも多い。

僕はこれまでにマルコ・ポーロやクリストファー・コロンブス、ヴァスコ・ダ・ガマ、フェルディナンド・マゼラン、アベル・タスマン、ジェームズ・クック、トール・ヘイエルダールといった冒険家に関する文章を残してきたが、その中でヴァスコ・ダ・ガマとマゼランがポルトガル人である。

その昔「旅」というものは大衆に開かれた活動ではなかった。
地平線の彼方が“未知なる”世界で、地球上の大陸や国家の全てを把握する者がいなかった時代、海に漕ぎだす「旅」は選ばれし冒険者のみに許される行為だったのである。
力ある覇権国家の為政者は学者や軍人と船乗りたちに国の命運をかけた探検の旅を命じ、命懸けの旅から帰還した成功者たちが歴史に名を残す冒険家となった。

そんな大航海時代とそこに生きた人物史を追う仕事でかつてリスボンを訪れたことがあるのだが、ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路開拓や初めて西回りで世界一周を成し遂げたマゼラン艦隊の偉業などを胸ときめかせながら取材したことを思い出した。

リスボン市西部のテージョ川岸に「発見のモニュメント」という大航海時代の記念碑がある。
ポルトガルが生んだふたりの偉大な冒険家も彫られているこの大きな石碑を今日久しぶりに訪れた僕は彼らにこう報告した。

「遅ればせながら、世界一周の旅に出ましたよ」


さて、そんな航海者ゆかりの街リスボンを後にして明日からは鉄道の旅になる。
そういえば様々な旅を重ねてきた僕ではあるが鉄道旅行の経験はあまりない。
長距離列車に揺られて車窓から流れる景色を眺め続ける旅…、と考えるだけで旅情が沸き立つ。

次回は最初の降車地ポルトからレポートしよう。


>> to be continued

※この作品はネット小説として2011年8月11日にアップされたものです。

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