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山陰本線の思い出

生まれも育ちも都会だからか子供の頃からやたらと田舎への憧れが強い。
その気持ちを残したまま40代の今に至っているのは間違いない。


小学生の頃、父親の友人数家族と連れ立って海に行くのが恒例になっていた。
よく山陰の方に行っていたと記憶している。兵庫県の香住やその少し先に位置する鳥取の岩美などを訪れたはずだ。

当時住んでいた京阪神地区から日本海側までは同じ兵庫県内とはいえ特急を使わないととても移動が大変なので、特急「北近畿」で城崎まで行って乗り換えたり、特急「はまかぜ」で目的地の最寄りまで行ったりしたのを覚えている。鉄道好きとしては普段乗れない列車に乗れるのもラッキーだった。

特別に線路のそばに宿をとるわけではないのだけれど、山陰本線は海岸の近くを走っている所が多いので、海水浴目的の旅行であれば結果的に線路のそばに宿泊できることも多かった。そんな時は前日子供どおし遊びまわって夜更かしし、寝不足にもかかわらず朝早くから一人線路沿いに撮影に行っていたのを覚えている。

今でもそうだけど山陰本線の非電化区間は本当に趣がある。

架線のない単線の線路に時折訪れる列車を楽しみに、2時間ほどカメラを構えていた。
2時間待っていてもたいした本数は通らないのだけど、それもまた田舎らしくてよかった。

照りつける日差しが少しずつ強くなるのを感じながら、少し離れたとこにある踏切の音が聞こえてくるのを心待ちにして時間を過ごしていた。



未だに不思議なのだけど、国鉄時代の車両の塗装は自然の風景にとても馴染んでいた。
タラコ色の車体やクリーム色に朱色の急行用車両、クリーム色に赤帯の特急用車両、真っ赤なディーゼル機関車がひく赤い50系客車など、普通に考えたらとても緑や青の山陰の光景では浮いてしまいそうなのだが、なぜか溶け込んでしまうのだ。

鉄道好きとして、田舎に憧れる都会育ちとして田舎を走り抜けるこれらの車両との出会いには心底感激していた。


いま同じところを訪れたらどう感じるだろう。
幸い山陰にはまだ当時と変わらないタラコ色のキハ40や47が現役で走っているので変わらない姿を見ることもできる。

でも次の車両に置き換えられる日もそう遠くはないだろう。格好良くなりすぎた最近の列車は国鉄の車両のように田舎の光景に馴染むのだろうか?とついつい昭和時代の思い出をひきづってしまう。

かつての風景を今に伝えるタラコ色の車両が走り終えるまでにもう一度訪れてみたい。

Tabinova:ダイスケ

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