どじょう鍋で献杯
“生きるとは見送る事”
毎年の様に別れはあって中には「お前の分まで生きる!」と心に誓ったものもあるが、それも複数人になってくると250年くらい生きないと帳尻が合わなくなるので気負うのはやめにした。
悲しみが続く事が普通なんだと消化できるようになってからは、一年に散りばめられた命日がやってくる度にその人と過ごした時間を思い返している。
滋賀県出身の私が東京に出てきて20年以上経つが盆正月の帰省を欠かした事は一度しかなかった。2013年に自転車でアメリカを縦横断してみるという挑戦をした時、初めて盆を故郷以外で過ごしたが、そんな事でもなければ喜んで帰省し家族や親戚との再会を楽しんでいた。
しかしコロナ蔓延後はそうもいかない。
特に今年に関しては東京は毎日4千人以上の新規感染者が出ており、過去最高に危ない状態の東京から帰省した者と誰が会ってくれるだろうか。今年に関しては帰省するか否かを一瞬たりとも悩む事はなかった。
県外に行く事も憚られるが一人自宅で盆を過ごしていてもやる事がない。高校野球をしていてくれればずっと観ているのだが、台風による順延でそれもないとなると、必要以上にガスコンロの掃除をするくらいしか思い付かない。
これは困った... という事で私は一人ですみだ水族館に行く事にした。
釣りが好きでたまに水族館に行って魚達の棲み分け(生活している水深の違い)や動きを観察するのだが、すみだ水族館には小笠原大水槽というのがあって南洋系の魚も多いらしく、伊豆諸島や沖縄釣り遠征時の参考にもなるかも知れない。
私は車を走らせ久しぶりにスカイツリーに向ったのだが隅田川に架かる駒形橋を渡る前に「駒形どぜう」という料理屋が目に入った。
懐かしいな...
3年前に亡くなった高校の同級生と私は気が合ったが趣味は全然合わなかった。私は旅ばかりしているが彼は出不精で海外なんてとんでもないという男。私は国内ギャンブルを全くしないが彼は競艇が好きでよくびわこ競艇場に遊びに行っていたようだ。
そんな彼が一度だけ東京に遊びに来た事があって私は人生で最初で最後の競艇遊びを経験しているが、その帰りに浅草観光をして「駒形どぜう」の柳川鍋を一緒に突いたのだ。
恐らくもう20年近く前の話になる。
すみだ水族館をゆっくり堪能した後、私は久しぶりに「駒形どぜう」の暖簾をくぐった。座敷に板が敷いてあるだけの店内はあの頃と何一つ変わっておらず、一番奥の席に案内された私はどじょう鍋一つとノンアルコールビールを頼み献杯した。
彼が亡くなって間もない頃、お母さんが『〇〇は菅井君を訪ねて一回東京に行ったやろ?あの時食べたどじょう鍋の話をようしてたんやわ』と話してくれたのだが、確かに「駒形どぜう」のどじょう鍋は美味いし、洒落た店など似合わない我々には丁度良かったかも知れない。
どじょう鍋だけではなく柳川鍋やごぼう入りも食べようかと思ったがそれらは来年の命日までとっておこうか。私か死ぬまで何年くらいあるのか知らないが毎年彼とどじょうで一杯やるのも悪くない。
“生きるとは見送る事”
生きる事はある意味において死ぬより辛い。しかしそれが大切かも知れない。
生きる事が辛いのは大前提なのだ。
私は生きるよ。
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