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アビー・ループ

ビートルズが最後に制作した名盤、アビーロードが、タイミングよく終盤に差し掛かる。ゴールデンスランバーの明朗な慰撫では、澱を流し落とせやしないまんまだった。
"Boy, you're gonna carry that weight a long time. "
全くそのとおりだ。時が解決してくれるという言葉をよく聞く。しかしそれは最初から悩むに値しなかった問題について、あぁ大したことなかったな、と気づくための時間を指すのだ。罪、後悔、離別あるいは決意が一定程度の重みを持つものなら、それを抱えていくことが運命づけられてしまう。

さて、時が解決してくれない類の、いわば呪いとなりそうな離別の寸前まで来た、今。
彼女は、限界だと言っていた。
全ての白い思い出が、記憶の中で一列に並ぶ。もう一言さよならと言ってしまうだけで、出会ったことへの後悔とで挟み込まれ、一列真っ黒に染まっていく。そんな、不可逆的な敗北のイメージ。エンドトゥエンドの黒一色が出来てしまえば、いったいどうやって白に戻せようか。そこに美があろうと、そこに正義があろうと、黒は黒、敗北は敗北だ。

件の曲は戯言のような、それでいて苦悩のような1バースを挟んで、ジ・エンドに続く。
"そうかい、わかった。今夜の夢に出てきてくれよな!"
別れという重荷を抱えていく青年の強がりにしては健気が過ぎるぐらい、明朗に言い放つ。
"結局…君がせがんだ愛も、よこした愛も、同じ分だけだったね。"
去り際、黒を少しだけめくって、寂しそうに呟く。
厄介なまでに共感してしまうのは、ビートルズを壊したのが他でもないポール・マッカートニーだったことだ。
彼次第でどうにでもなったザ・ビートルズは、彼の中ではどうにもならないところまで来ていた。傲慢で誠実な胸の内を、僕は今、憎むことはおろか、笑い飛ばすことすらできない。

「後腐れなく別れよう、だぁ?できっと思ってんのかよ。そんなの、元々出会ってないんじゃん。んだべ?したけ、引きずるけさ」
そういえば先日、飲みの席でフラレた旧友が言っていた。
「あーあ、無理だよう…潰れちまう、飲まなきゃやってらんねえよぉ」
そんなことをのたまいながら濃い酒をあおり、結局潰れてるじゃねえかと文句を垂れつつ介抱した2週間後には、彼は新しい恋人との写真をインスタに上げていた。
彼はともかく、離別という過去は、置いてはゆけない。誰も赦してくれない。それでいて中々、軽くならない。僕はそういう側の人間だと自認している。端的に言えば重いのだ。
美しい純白が、美しい漆黒へと変わっていく。黒はそっくりそのまま背中にのしかかってくるのに、僕は指を咥えて見ていられるのか。耐えられるのか。無理だろう。そのうち指から血が滲んできてしまう。

しかし、おかしいな。ふと、考え直してみる。
僕と彼女とは、何回か喧嘩を乗り越えてきた。そのたびに、正直な言葉をお互いに出し合った上で、恋人生活の総括のような語らいをして、清々しい気持ちでやり直しを選んできた。決まってそんな調子だった。
毎回の共同作業を経て、僕は純白の関係を重ねてきたつもりだった。2人の成功を意味するはずの、純白だ。
ところが、類を見ない陰鬱なやり取りに終始した昨日の喧嘩を思い返すと、彼女にとってそうだったかな、と疑問符が浮かんでくる。僕との関係に、全くの成功を感じていない様子だった。むしろ、はち切れそうな辛さを吐露するように、たどたどしく、悩みを綴っていた。
限界という言葉を何度か聞いた。ありえないはずの言葉。

君はね、私のことすっごく大事にしてくれてる。わかってる。
最後の方の言葉を、もう一度思い出す。
でも、それがしんどいの。限界なのよ。ごめん、ごめんね。こんなこと言いたくなかった。
そんな、シンプルな言葉だったと思う。

あぁ、そうか。そうかい。
そうかいすぎて爽快だわ、なんて下らない駄洒落を口にしてしまうほど、僕の心は一瞬で、晴れた。
1列の白なんて、よく言えたもんだ。彼女にとって僕との恋愛は、平穏な共同作業などではなくて、"僕のエゴ"に塗りつぶされないように"レジスタンス"を試みる、防衛戦だったのだ。まさにオセロの1局、辛く長い1局。
そのレジスタンスは、僕を曇り無く愛していた頃の彼女に、半ば無意識に芽生えたのだろう。僕の愛し方が、彼女の重荷になり始めた頃に。

彼女は、強い人間だ。
洗いたてのシャツのように澄んだ気持ちの時には、笑顔でそれを着てくれた。重くて黒い泥を投げつけるほかなく投げつけても、真っ向から浴びせられることを厭わなかった。そんな気持ちのやり取りに、僕は全く満足していた。
甘えが過ぎたのだろう。あるいは、最高に見えた相性が最悪だったかもしれない。彼女の強さは、僕の要求を指数関数的に高めてしまった。
彼女は強かった。怪物を毎日、いつだって受け止めていられた。それでも、いくら強くても、メカニズムが働き続ければ、その日は来る。
昨日だったんだろう。彼女は強いから、限界まで黒のピリオドを打たずにいたのだ。一方、構図を知りもせず僕は、エゴイスティックに白を置き続けていた。
彼女はタフさを恋人のために使い、僕は自分のために使っていた。

そんな彼女だから、たとえ今後どんな恋愛をしたとしてお前は1番だったよ、って認めざるを得ない。その1番を全部風呂敷に包んで、背負っていかなければ…あぁ、無理だ。そんなの出来っこない。引き返しちゃ、いけないかな。今僕がわがままを言って、僕の白に無理やり塗り潰したところで、果たして彼女はまた僕と満足のいく気持ちのやり取りをしてくれるだろうか。

そもそも僕は、彼女を大事にするとき、彼女の優しくも確固たる、そしてやっぱり優しさが勝ってしまうレジスタンスを愛していたのかもしれなかった。実際、喧嘩のたびに僕は興奮を抱いていた。
君はそう思っているんだね、ありがとう。でもね、2人で考え直したらこんなふうに幸せになれるじゃあないか。そこに成功純白があるよ。君とならできるって。
そう言って、白に塗り替えた瞬間の高揚。その非合法の麻薬を隠しておくオブラートみたいに、彼女への恋慕があったとしたら。

笑えてくる。なんとなく、僕の"正しさ"はそうやって出来てきて、今完成するか、ぶち壊すかのどちらかを選ばされている気がした。
あぁ、僕は。
さっきの逡巡だってハッキリしてるじゃないか。彼女が僕にとって理想の人間であることに、限界なんて無い。だって、彼女は強いんだから。
まさしく非道な選択だなんて、わかっているけど。そんな泥でも受け止められるのが彼女の魅力だよな、と僕はまた思った。惚れ直したなぁ。

また、白に塗りつぶすのを受け止めてもらおう。
そう心中に呟いた僕は、自らの怒張に気づいた。どうやら、納得の行く結論をもって、随分と興奮してしまったらしい。おいおい、白ってアレの方じゃないってば。

アレの方は、まるっきり未経験だった。
彼女とのやり取りは濃厚ではあったが、決して淫靡にはならなかった。僕にその欲求が無いわけではなかったが、それ以上に僕らの関係性や過去について語らうのを好んだ。
でも、いっそ白に塗りつぶす・・・・・・・のも悪くないもしれない。
洒落てるなぁ。程度の低いジョークだと気づいてはいたが、それでも今日は調子がいいぞ、と思った。

長い思索のうちに、リピートしていたアビーロードがもう一周してきた。30分かそこらのアルバム一本の最後は…。
"I wanna tell her that I love her alot, but I gotta get a belly full of wine."
なるほどね。ありがとよ、ポール。
来週、会う約束を持ちかけよう。そのときは、理由をつけて吞ませてみよう。多分、足りなかったんだ。酒とセックス。僕が呪いを、デバフを背負う必要はなかった。彼女にバフをかけてやれば。
がらげらべりふろわぃーん。
一石で何鳥も得られる、最高の手立てに思えた。エゴイスティックなんかじゃない。僕ら・・が何鳥も得るんだ。
がらげらべりふろわぃーん。

アルバムはまた、頭出しだ。ジョンが小気味よく"Shoot!"と呟くのを真似する。
アビーロードみたいな恋だな、という素敵な考えが浮かんだ。
終わりが始まる。終わりがすぐそこまで来る。史実ではポールの独り言がアルバムどころかバンドを終わらせるんだけど、僕にはとっておきのリピートボタンがある。ジョンの声から、また終わりの始まりを始めればいい。
そう考えたら、"Shoot"も"Come Together"も、彼女の淫靡な誘い文句に聞こえてくるもんだ。Comeの綴りを変えてしまえば。いや、彼女は絶対言わないけど、そんな体でね。
来週が楽しみだ。今後が楽しみだ。

アビーロードの横断歩道は、渡ってしまえば終わるけど。
ジャケットを丸めれば、幾らでも続けられる。
僕らはまた、アビーロードを渡り始める。

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