なぜ博士は水爆を愛するようになったか――キューブリック『博士の異常な愛情』について


 そのタイトルと宣材写真から連想されるものとは異なり、博士は物語の中盤までまったく登場してこないし、物語のいちばんの鍵を握っているとも言いがたい。映画を観ているあいだは、散りばめられたブラックユーモアに口角を上げつつも、博士はいつ出てくるのだろう、と考えずにはいられない。

 そうであるならば、なぜ博士がこの映画の主題として提示されているのか考える必要があるはずだ。

 博士はいまだ総統ヒトラーへの崇拝と畏敬の念が抜けないナチスである。しかしそのことが明らかとなるのは、ソ連の「皆殺し」装置の発動が決定的となり、「地下帝国」の建設が現実味を帯びてきてからである。

 彼は、世界が死の灰に覆われ、選ばれた人間だけが地下に移り住む世界の実現に歓喜し、興奮し、麻痺していたはずの右手が、思わず総統への熱狂と信仰を表現してしまうのである(彼が必死にナチ式敬礼をしてしまう右手を左手で押さえ込むのは、滑稽でさえある)。彼がナチスであることをひた隠しにして――その象徴のひとつが敬礼をしてしまう右手が、右半身麻痺とされ、動かないものとしていわば去勢されていたことである――望んできたことは、ひとえにその「地下帝国」の復活であったのだ。

 アンダーグラウンドで、ナチスは再生する。復権する。地上から大気圏外にまで範囲を拡大して行われている冷戦という大いなるイデオロギー闘争の陰で、文字通りアンダーグラウンドにおいて、闇の国家は生まれ出でるのである。

 すると、この冷戦の風刺を主題とするかに見える映画が提示するメッセージは、冷戦のバカバカしさ、米ソ両国の首脳や官僚の無能さなどではなく、ファシズムの復権への痛切な危機感であることが明らかになってくる。

 実際、この映画は、「西側」の制作でありながら、ソ連に対する諷刺だけでなく、アメリカの大統領や軍人への揶揄も等しく含み込んでいる(そのことは、キューブリックがイギリス人であり、イギリス資本がアメリカと共同で制作していることにもよるであろう)。酒色にうつつを抜かす共産主義の指導者とスパイ根性丸出しの駐米ロシア大使だけでなく、温厚なだけで無能なアメリカ大統領や、「アカ」に対する偏見と軽蔑にみちみちた直情的な米軍のトップを、同等にアイロニカルに描写している。

 すなわち、この作品が示す視点は、ソ連に対する皮肉ではなく、冷戦という構図に対する皮肉である。そして、その根底に、そんなバカバカしい争いをしているあいだに、地下帝国から得体の知れないおどろおどろしいものが湧き出してくるという悲喜劇である。


 ところで、最初に述べた「博士はいつ登場してくるのだろう」というとまどいには、幾分かの見落としが含まれている。たしかに博士は登場してこない。だが、博士を演じる俳優はすでに、スクリーンにほぼ間断なく現れているからである。

 というのも、驚くべきことに、博士役のピーター・セラーズは、さらに、大統領と、現場で反乱をとめるべく尽力する英軍大佐をも演じているのだ。

(わたしがそのことを知ったのは、上映後にウィキペディアを眺めていたときであったが、さらに、セラーズが、ソ連基地への攻撃を遂行する少佐をも演じ、一人四役をこなす予定であったと知ると(セラーズの怪我により、四役目は実現しなかったらしい)、もう目を丸くするほかなかった。)

 セラーズが一人でいくつもの役柄を演じたのは、キューブリックの前作『ロリータ』の成功はセラーズの演技によるものが大きいとする配給会社の提示した条件であったというが、ここでは、それは問題ではない。彼が、戦闘機に乗った少佐を演じる予定であったことも重要ではない。

 結果として、セラーズが、温厚で無能な大統領と、善良で勇敢ながら間の抜けた英軍大佐を、ナチの残党の博士とともに、演じたことに注目すべきであろう。

 この物語においては、大統領は冷静だが、差し迫った国際問題に危機感と果断さが薄弱であり、大佐は、誠実だが、どこか滑稽で頼りにならない。彼らこそが、酒色とスパイ行為に耽り続ける東の大国の人物たちよりも、あるいは陰謀論に犯された米軍准将や偏見と差別意識にあふれた将軍よりも、ナチと裏腹の関係にある。そのことをセラーズという俳優を通して読み取ることができる。

 大統領は、迫り来る「皆殺し」の危機に狼狽し、博士に助言を求める。単なる温厚な老人でしかなくなったリーダーは、優秀な男と性的な魅力にあふれた女を選別し、10:1の男女比で地下に避難させよ、という博士の「陰謀」に抗うすべなく、それを実行しようとする。英国軍大佐も、計画を遂行しつつも最後までことごとく詰めの甘い官僚として、仕方なくリッパー准将に従い、止めるすべなく戦闘を見守り、あっけなく准将が拳銃で自殺するのを見送る。

 彼らは、ヒトラーを首相に任命した大統領であり、ヒトラーのもとで、違和感を感じつつも淡々と業務を遂行して戦闘に加担した官僚である。彼らは、敗北が決定的となるやいなやすべてを放り出して拳銃自殺してしまう指導者に見捨てられて茫然とするほかなかった。

 ファシズムの種はすでに蒔かれている。無自覚なファシストの兆しを持った人間は、「西側」にいる。そして、冷戦という大国の壮大な空中戦の足下から、ふたたびナチスは現れ出てくる。アンダーグラウンドからの呼びかけに、無邪気で温厚なる人々は、すすんで呼応し、死の灰で荒廃した地表の下で、選ばれし者たちの楽園を築く。

 滑稽なる米ソの争いの地下に刻まれつつある裂け目が、その下にある闇を現出させる。ブラックユーモア的な低い笑い声の陰で、この映画が示唆しているのはそのような認識である。

 したがって、博士が「心配するのを止めて水爆を愛するようになった」のは、水爆の開発競争と使用の応酬の果てに、彼の切望するファシズム帝国復活への契機を見出したがゆえなのである。

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