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「淋しい」を紐解く① その正体に気づいた時の話(前)

成長段階で大きく開いてしまった心の穴が癒えないまま(隠れ子供のまま)大人になった「わたしたち」にとって、「淋しさ」というのは、根源的な恐怖であり支配力です。そして、最大と言って過言ではないラスボス級なトリガーです。

わたしも、「淋しい」という感情に何十年も支配され続け、そして、それに対して無自覚でした。「自分は淋しかったんだ」と気づいた後でさえ、さらに何年も、淋しさゆえに自分が取ってしまっている行動とそのパターンについては、依然無自覚なままでした。

「淋しい・淋しかったということに気づいたからもう大丈夫🎶」
って安心してしまって、淋しい仕様の思考・感情・行動パターンは、見事にそのままでした。

というわけで、この「淋しい」という感情については、いろいろと語りたいことがあるので、何回にも分けてお伝えすることになると思います。自分のヒーリングのレベルが変わるのと連動して、何ヶ月、何年かして、また同じトピックに戻ってくることも容易に想像されます。

さて、最初は、とっかかりとして、私が自分の淋しさについて、その本質を見たり!と閃いた時のことをお伝えすることにします。

自分で自分を癒す!と決めて間もなくして、メンターと出会い、発達性トラウマやヒーリングについて深く学んで、自分で毎日実践し始めて丸2年とちょっと経った頃のことです。

ある日、自宅で仕事が一段落して、一人で食事をとっていました。
「ああ、おいしい・・」
そうしみじみ思うと同時に、心から「満足」を感じたんです。

そして、まだ半分近く残っていたのですが、ふと、「また後で食べよう」と思いつきました。

その瞬間です。
今までの自分と違うなと実感したのは。

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あ、わたし、今、満腹じゃないけど、満足してる。
I am not full, but I AM satisfied.
そう、満腹(FULL)じゃないけど、満たされてる(FULFILLED)。

ああ、なんかいいなあ。
ありがたいなあ・・・

わたし、今、満腹にはなってないけど、ここで食べるの一旦止められる。
これって、今までの私とは真逆の行動!!

あー、これ、こんな風に感じたの、生まれて初めてじゃないかな・・・
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思い返せば、小さい頃は、親が決めた量で「ごちそうさま」でした。
母は、(今思えば、自分の生い立ちに対する劣等感などが、子育てへのプレッシャーになっていたのかもしれませんが)だらしのないことが大嫌いで、質素で健康的な「清貧」みたいなものを理想としてるかのようなところのある人で、食事やおやつに関しても、かなり渋〜いテイストを貫いていました。

そのせいか、私は、いつも口さみしい思いをしてました。

いつもどっか口さみしいのは、決して「もうすこし食べたい」という食欲のせいだけではありませんでした。

常に、母の顔色を伺い、自分の欲求を抑圧していたので、淋しかったんだと思います。

小学校低学年になると、家の中のおやつを盗み食いするようになり、中学や高校では、部活や習い事の後は、小遣いで菓子パンやスナック菓子を爆買いして、それを隠れ食いしていました。

「口さみしい」は、いつの間にか、味覚を刺激したり食欲を満たしたりするだけでは、どうにも治らない慢性的な「淋しさ」にいつの間にか変わっていってしまったのだと思います。

根底に淋しさがあったから、口さみしい子供だったとも言えます。

思春期以降の私は、常に「太り気味」でした。

ーーー(中)に続きますーーー


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