(7/9)初の九州横断に狂喜乱舞し、広島まで足を伸ばす。 2015年11月28日(土)-12月2日(水)
宮崎の友・イグチさんの導きのもと、イクヤさん、ツッチさん、わたしの3人は、いよいよ九州旅の終わりに近づきます。焼酎蔵4つを巡ったあとは、宮崎県から一気に鹿児島市を目指し、イグチさんとの最後の夜を過ごします。
注)2015年11月の記事になります。
◾️最高の酒場「たか(鷹)」へ
鹿児島は大きな街でした。道路も広く車も多い。すると、「せっかく鹿児島まで来たから、夜景でも見ましょうか」とイグチさん。
このあたりになって気づきます。「せっかくだから」が合言葉になっていることに。九州まで来たんだから、「せっかくだから」見て食べて呑んで、いろいろ体験してから帰ろうよってことでした。
さて、男4人で見る鹿児島市の夜景です。小高い丘から見る夜景は美しく、遠くにうっすらと暗闇に桜島が浮かんでいました。だがしかし、次の瞬間、誰か腹が「ぐう」と鳴り、われわれはそそくさとイグチさんの車を目指して丘を降りました。
渋滞の中、鹿児島の街に入り、ホテルにチェックインしました。その後、路面電車で、鹿児島市役所そばにある「たか」という大衆酒場の暖簾をくぐります。カウンター5、6席に三畳間の小上がりひとつという、小さな小さな店でした。
カウンターの先客たちはご機嫌で、初対面のわれわれを「おう、よく来たよく来た」と笑顔で出迎えてくれました。ものすごいフレンドリーさでした。
イグチさんが予約しておいてくれた三畳間は男4人が座るには少々狭く、しかも小さな冷蔵庫がひとつ置かれていたので、実質的には三畳間にテーブル・冷蔵庫・男4人という具合で収まることとなりました。
しかしまあ、これがまた実に落ち着くのでした。昔々盛岡にも、高松の池そばに「想い出」というちっさな大衆酒場があったのですが(カウンター席5、6席程度のみ)、そのときのことが思い出されました。
なにはともあれ、焼酎湯割りで乾杯。旅のコーディネーター・イグチさんとの旅もこの晩で終わりです。少し早いがお別れの酒です。
「ある意味最高峰の焼酎の湯割りですわ」とイグチさんがいっていましたが、なるほど確かに旨い旨い。柔らかな口当たりに、ほんのり漂う甘い香りがたまりません。
「まずはビール」「とりあえずビール」は、この店では野暮です。ぐいぐい湯割りを呑って次々にお代わりといきましょう。
ここで振り返ってみると、福岡市~高千穂(200kmぐらい)、高千穂~諸塚(60kmぐらい)、諸塚~宮崎市(130kmぐらい)、宮崎市~日南市大堂津(60kmぐらい)、日南市大堂津~宮崎市(50kmぐらい)、宮崎市~都城市(35kmぐらい)、都城市~鹿児島市(80kmぐらい)と2日間で600km超を走破していました(というか、イグチさんが運転してくださったのですけど)。
そんなイグチさんに運転してもらう旅も鹿児島が終着点となったわけなのです。ほっとしたような少し寂しいような気持ちを抱きながら、おでん、キャベツ千切り、焼きそばなどなどが黙っていても出てくる酒肴を食べ進めます。
おでんの大根と牛すじが美味しく、おでんはお替わりをしました。どれだけ呑んで喰ったでしょうか、徐々に酔いもまわり先客の常連さん同様われわれもだいぶ機嫌良くなり、旅の思い出などを語り合います。
それでも長っ尻は野暮だよな、と思い頃合いをみてお会計。すると女将さん「一人1,000円ね」とひと言です。酔いがさめそうなほど驚いたわれわれの顔を見て、「しめしめ」と笑うイグチさんでした。
◾️絶滅危機にある「軍国酒場」へ
つづいて、イクヤさんたっての希望で訪れた「軍国酒場」。聞くところによると、同様の店は福岡や四国にも何店舗かあるものの全国的にはこの手の酒場は減りつつあるらしいです。
カウンターに張り付いて楽しそうなイグチさんとイクヤさんをよそに、雰囲気に圧倒して、なかなか雰囲気に馴染めないツッチさんとわたしは小上がりで「ずずずっ」と焼酎湯割りを呑むことにしました(実はこの湯割りが絶品だったのです)。
カラオケで軍歌を唄う二人、それを横目にツッチさんは店内の写真を撮りまくっていました。カオスといっていいのでしょうか、戦時中の雰囲気を表す品々(軍服とか武器とか当時の新聞とか軍歌の歌詞とかそういうもの)が所狭しと入り乱れ、完全にわたしの頭はオーバーフロー状態でした。
「一緒に歌おうぜ」とイクヤさんにいわれたものの、まったくもって軍歌がわからないのです。有名な軍歌なのだろうが本当にわかりませんでした。わたしと同い年のイグチさんは気持ちよさそうにマイクを握っているので、好きな人は好きなのでしょう。
「ううむ、わからん」と改めて思い焼酎湯割りをぐいぐい呑みつつ、当時のおやつを再現したのでしょう、落花生と乾パンのお通しを、ツッチさんのお通しのアルミ皿に、「こらこらやめなさい」と言われながら、ふざけてたくさん乗せる作業に興じてみたりしました。
あとから、「まさかイクヤさんがそっちの主義だとは思いませんでしたよ」と冗談めかして言ってみたら、「違うって、断じて」と笑って否定しながら、イクヤさんはなぜ軍歌を覚えるに至ったのかという昔話を語ってくれました。
それは、ユーモアあふれているけれど、どこか物悲しさ漂う、イクヤさん自身の体験でした。
店の人々にとって戦争は終わっていないのでしょう。戦後70年でありますが、まだ終わっていないのでしょう。
そのことが心を打つのだと。そのことが、一人の人間として看過できないのだ、と。
イクヤさんは語りました。軍歌は、以前知っていたある老人がよく歌っていて自然に覚えてしまったのだと。可愛らしいお爺さんだったといい、きっと戦争を経験したのだろうけれど、そのことを話すことはない人だったとのことでした。この、イクヤさんの話は、わたしの心を静かに打ちました。
鹿児島の次にわれわれが目指すのは広島でした。戦後70年のタイミングに訪れる広島。こんな風に、戦争・平和・戦後日本を考えるにはふさわしい酒場を訪れたのだと、この時はじめてわかりました。
◾️「菜菜かまど」で念願キビナゴときて、「のり一」の塩トンコツ
鹿児島といえばキビナゴ。この新鮮なところを食べないことには鹿児島を後にはできないと考えていました
そしてたどり着いたのが「菜菜かまど」という酒場でした。イグチさんも「ここはけっこう有名な店です」とのことで、嬉しくなって入店します。
こちらに念願のキビナゴがありまして、鮮度抜群ぴちぴちのキビナゴにイクヤさんも「うまっ!」と声をあげています。
生ビールをぐいぐい呑りつつキビナゴを堪能していると、ツッチさんがバイトの女の子に「キミ、ここの店、何年目?」と声をかけているではありませんが。隅に置けませんね、ツッチさんも(笑)
現在、若者を相手にする仕事につくツッチさん。若いバイト店員ということでいろいろ聞いてみたかったのでしょう(たぶん 笑)
さてさて〆のラーメンにいきましょうか、と機嫌良く「菜々かまど」を後にしました。そして、鹿児島の夜の街にも精通するイグチさんに連れられてきたのは、「のり一」というラーメン店。
店名を目にし、「のりー(のりい)」だろうか、いや「のり一(のりいち)」でしょうか、そうです「のり一(のりいち)」です、いやいやもしや、ワンチャン「のりー(のりい)」もありえるのでは、とくだらない議論をしながら、われわれは塩トンコツを待ちました。
小上がりというには高すぎる小上がりに腰下ろし、「この店はのりーかのり一か問題」について、酔っ払った頭でぐだぐだ議論を続けました(もちろん最初からこの店が「のり一(いち)」だということはわかっています)。
それをイグチさんが苦笑しながら眺めて、ビールをくいくいと呑っていました。
そしてラーメンが届くと、なぜこんなに高い小上がりなのかということがわかりました。ずばり、店員があまり屈まなくてもラーメンをテーブルに置けるという店側からすると楽な造りにしているようなのだ。
なるほど合理的、と思いつつスープをすすると、これが呑んだあとのラーメンスープとしては、もう無性に欲しくなるあっさりしつつしっかりコクのある中毒性の高そうな味わいでした。
九州に来て何杯かラーメンを食べましたが、どこで食べても本当に美味しかったですね。
美味しい美味しいとラーメンをすすります。九州の夜、最後の最後も至福の味わいに出会うことができました。心も腹具合も最高の仕上がりとなった。
ホテルに戻り、各々の部屋へ。ここまでわれわれ3人を徹底的にコーディネートしてくれたイグチさんとは、廊下でお別れ。少し寂しさ残る、鹿児島の夜でした。
(8/9へつづきます。)
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