【東京】(5/5)初夏の東京にて東京三大酒場「鍵屋」「シンスケ」で酒場の底力に触れる旅 2019年7月5日(金)-6日(土)
「神田まつや」で昼酒モードになったイグチさんとわたしは、粋な酒肴に囲まれながら、くいくいと燗酒を呑み進めます。その後、イグチさんと別れ、わたしはひとり東京駅で呑み直して盛岡へ帰ることになったのでした。
注)2017年9月の記事になります。
⚪︎盛岡の近代化に尽力した三田義正の話
しかし、ここで東郷平八郎の名前が出るとは思いませんでした。東郷平八郎といえば、薩摩藩士であり、日露戦争連合艦隊司令長官です。
岩手・盛岡の南部盛岡藩士であり、盛岡市の中心市街地形成に尽力した企業家・三田義正は、日露戦争の折に火薬商として財をなしたことから、地元では「死の商人」とも言われてきたことを思い出しました。
そんな風に言われてきたものの、三田義正をはじめてする三田一族は、その財を投じて、前述のとおり盛岡の市街地を民間主導開発で発展させ、学校や病院を建て、盛岡の近代化に多大な貢献をしてきた人物だと、わたし自身は信じているところです。
日本海海戦におけるバルチック艦隊の撃破は、東郷平八郎の武勲として知られていますが、このときの砲撃戦には、三田の火薬も含まれていたのだろうかと想像すると、どこか熱い思いが湧いてきます。
なお、あらためて三田商店のHPを確認すると、日露戦争において三田が輸送したのは、火薬ではなく、ダイナマイトのようでした。参考まで経緯を貼っておきます。
いずれ、日露戦争において、日本の勝利のために貢献したということは間違いないようです。
⚪︎一心不乱に喉越し抜群の蕎麦をたぐる
・・・と話が横道に逸れに逸れましたが、そんな歴史を「神田まつや」で思い返しながら肴をつまみつつ、イグチさんとぐいぐい呑んでいくわけです。
「イグチさん、昨晩はあのあと呑みにいったんすか?」
「えへへ、実はもう一軒。。。」
「わははは、やっぱり」
「なもんで、朝起きれずに朝顔市は断念しました、、、」
「午前中に行くって言ってた神保町の古書漁りはできたんですか?」
「いや、それもできませんで、よろしかったら蕎麦のあとどうですか?」「おお、いいですねー、楽しそう」
などと話しつつ、ビールから燗酒「菊正宗」二合にスイッチします。
「この蕎麦味噌、よくないですか?」
「いや、旨いす。甘みもいいし、蕎麦味噌の食感もたまらんです」
「600円でお土産としても買えますんで」
「お、では、帰りに買い求めることにしましょう」
その蕎麦味噌もとても良いものでしたが、かまぼこもにしん棒煮もとても良かったです。派手さはないですが、地力がしっかりとしている酒と肴です。さすがの老舗です。
店内は混んでおり、われわれは、4人掛けテーブルの真ん中に立ててある品書きを挟む形で他の二人組の客と相席となっていました。イグチさんとわたしは、そのテーブルに二人横並び、つまり、カウンター席に二人並んでいるような形で、燗酒をちびちび楽しみました。
目の前の二人組の客も、同じようにカウンター席で隣り合っているかのような雰囲気で、われわれのことを気にせず旨そうに酒を呑んでいました。
甘くジューシーな焼鳥もとても良く、ほんのり甘い「菊正宗」に合いますこと合いますこと。
〆にもりそば(650円)をそれぞれ注文し、一心不乱に手繰って、蕎麦湯をいただいたら蕎麦呑み終了です。いい気分になって店を後にしました。
⚪︎神保町古本屋巡りから東京駅呑み
さてさて、「神田まつや」を出たわれわれは、神保町の古本屋巡りに興じます。イグチさんが、「酒と料理の古本に関しては随一です」という一軒の古本店は、何時間いても飽きがこなさそうな品揃えで、どれもこれも欲しくなってしまい困ります。いや、これだから、古本屋にはあまり近づきたくないのです(笑)
さてさて、そろそろ帰路に着かねばならないイグチさんと別れ、わたしは一人東京駅へ向かいました。
帰りの新幹線の時間まで少し時間があったので、北町ダイニングにある「本家 あべや」にて、「新政 No.6 S-Type」を呑みつつ比内地鶏のソリレスをいただきました。
新幹線に乗り込み、ちょっと呑み足りないので、ハイボールを一本空け、iPadで映画を観つつ盛岡を目指しました。で、いつしか寝落ちしており、盛岡駅に到着したのが夕方6時近くでした。
すっかり酔いが醒めたので、「神田まつや」で買い求めた蕎麦味噌を手土産に、旅の仲間の一人・ユッキーさんの店の暖簾をくぐり、日本酒を呑みつつマンボウの酢味噌乗せをいただきます。
「で、東京はどうでした?」とユッキーさんに訊かれたわたしは、「も、最高でしたね」とにんまり笑ってみせ、盛岡で一番旨い燗酒をぐいっと呑ったのでした。
(おわり)
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