「車でお遍路」第58番札所 仙遊寺(数々の伝説に思いを馳せる)
こんにちは、旅いこかです。
四国八十八箇所巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、58番目のお寺は、
作礼山 千光院 仙遊寺
57番札所の栄福寺から約3.2㎞、車で約10分の場所、
57番札所栄福寺から3㎞強とほど近いが、若干急な山道で作礼山の山頂まで登っていく。
仙遊寺は比較的参拝しやすい今治市内の6ヶ寺のなかでも約300mと最も標高が高い札所で、境内から今治市内を一望する眺めは最高。
今治市内では、弘法大師は、56番札所泰山寺では蒼社川の氾濫、そして57番札所栄福寺では瀬戸内海の海難事故、とともに水難から救った伝説があるが、ここ仙遊寺では水脈を掘り当てた「お加持の井戸」から出た湧水で村人を諸病から救ったという伝説がある。
今治市の札所では、いずれも人と水との関係の物語がひしひしと伝わってくる。
また、仙遊寺という名の通り、寺号は阿坊仙人という仙人の伝説によるものであり、山門をくぐると空からの災難を守ってくれるという雲に乗った一如観音像がお出迎え。
では、数々の伝説の札所「仙遊寺」へ参りましょう。
ご詠歌
お参りする前に知っておいた方が良い知識
歴史
天智天皇(在位:668-672年)の勅願により、伊予の国主である越智守興が開基 天智天皇の守護仏として千手観世音菩薩を御本尊として本堂に安置
養老2年(718年)、阿坊仙人が雲と遊ぶかのように突然姿を消したという伝説(下記参照)
弘仁年間(810-824年)、この地を巡錫中の弘法大師は、病に苦しむ村人をみて水脈を掘り当て井戸を掘りそこから出た湧水で多くの村人を諸病から救い七堂伽藍を再興
江戸時代(1603-1868年)、荒廃
明治時代(1868-1912年)初期、宥蓮上人が再興
明治4年(1871年)、日本最後の即身成仏として入定
昭和22年(1947年)、山火事により全山焼失したが、御本尊と大師像は難を逃れる
昭和28年(1953年)、本堂を昔の姿のまま再建
数々の伝説
寺号について
山号について
・・・御本尊の千手観世音菩薩は「竜女一刀三礼の作」であるという伝説から命名
因みに、山門の扁額は「補陀洛山」となっているが、「補陀洛」とは観音菩薩が降り立つとされる伝説上の山のことだからなのでしょう。寺号について
・・・阿坊仙人の伝説、仙人のような生活をした阿坊僧侶が約40年間諸堂を整えてこのお寺を守ってきたが、雲と遊ぶかのように突然姿を消したということから命名
ご利益
御本尊の千手観世音菩薩
・・・災難除け、病気平癒、長寿、夫婦円満、恋愛成就などの現世利益と後世利益お砂踏み霊場
・・・弘法大師像の周りに四国八十八ヶ所の御本尊石仏が祀ってあるのでお参りするとお遍路と同じご利益がある
御本尊・ご真言
見どころ
山門の仁王像
・・・車でのお遍路だと、山門を通り過ぎて駐車場があるので注意する必要あり 仁王像は白くて珍しい本堂
・・・御本尊に千手観世音菩薩を祀る 平成16年(2004年)より公開お加持の井戸
・・・弘法大師伝説の井戸を見ることが出来るお砂踏み霊場
・・・弘法大師像の周りに四国八十八ヶ所の御本尊石仏が祀ってあるのでお参りすると多大なご利益があるという境内からの景色
・・・今治市を一望する眺めは最高
写真
次は、第59番札所国分寺へ参ります。
2022年6月30日投稿
2022年10月9日改訂
合掌
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