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Africaを一年間旅する

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2002年から2004年まで、約一年かかけて旅したアフリカ旅行のアーカイブ
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2018年5月の記事一覧

伝説のトゥンブクトゥへ

ガンビアのジャンジャンブレからマリ共和国の首都、バマコへは目一杯移動して、丸3日かかる。うぉ~、長~! バマコは首都だし、ちょっとした都会を期待していたのに、何もなかった。どっかの西洋人が「街じゃなくってただの大きい村だ」と罵声を吐いてたっけ。 アフリカの都会は本当に何もない。トホホだ・・・イランやパキスタンの都会で何にもないなーと嘆いていた自分はかわいかったのだなと今になって思う。 バマコからアフリカのベニスと呼ばれるモプティへ。期待するまでもなくベニス感はゼロだった。

セネガンビア

モーリタニアからセネガルへ入ると景色は一変した。砂だけだった大地から緑の連続。ああ木々がなんと心に安らぎを与えてくれることだろうか。大地が生命でみなぎっていた。サハラ砂漠は終わったのだ。 フランスの植民地時代の町サンルイを経て、首都ダカールへ。 物価が高い高いと噂の西アフリカだが、残念ながらそれは事実で一日目の夜は一室22ドルの部屋しか見つけられなかった。 翌日、娼婦宿を除けば、おそらく街で一番安いであろう部屋を見つけたが、それでも一室2,000円もした。 この西アフリカの

サハラ砂漠を超えて南下する

モロッコのマラケシュから4日かけてサハラ越え。 マラケシュから西サハラのダクラへは2日、西サハラは今もモロッコからの独立を主張している紛争地帯で今も地雷が多数埋まっていて、外務省からも渡航自粛勧告が発令されている。モロッコの警察や軍による取り締まりも厳しく、検問の度に外国人である僕や、アルカイダと勘違いされた現地のヒゲモジャの男などはバスから下ろされて、尋問を受ける。なんとこの検問は7回も行われた。ゲンナリ・・・ ダクラから南は公共の交通機関は皆無に等しい。このサハラ砂

さらばモロッコ

モロッコに船で入国後、タンジェからは首都ラバトへ。ラバトでモーリタニアのビザを取り、メクネスへと向かう。世界遺産に指定されているメディナ(旧市街)はたいしたことないが、ムーレイイスマイルの廟は美しかった。モロッコのイスラム遺跡はイランやシリアのそれと比べると栄華にかけるが、モロッコならではの黄色やピンクの色使いがポップでいい味を出している。 メクネスからはモロッコ最古の都市、フェズへ。なるほど、世界最大のラビリンスと謳われる、フェズのスーク(バザール)はでかいでかい。こ

北アフリカ最高峰に登る

モロッコの最高峰トゥブカル山に登ることにした。 マラケシュから登山のベースとなる街、イムリル(Imlil)へと向かう。ここにもボリ男たちがいて現地人の1.5倍くらいのお金を請求された。モロッコはどこへ行ってもそうだ。5円10円でもボッテくる。毎日ダンコとしてボリ男と戦っているが、それでも毎日ぼられている(笑)。 今回の登山は地図もなし、ガイドもなし。日本の常識ではそんな状態で4,000m峰に登るなんて無謀だが、まあ簡単だってガイドブックに書いてあったし大丈夫だろう。 イムリ

スペインからアフリカへ

スペインの港町アルヘシラスから3度目となるジブラルタル海峡を渡る。左手にはイギリス領ジブラルタル、右手にはヨーロッパ最南端タリファを望む。どちらも5年前に訪れた町だ。港を出るとすぐに、遠くにアフリカ大陸が霞んだ。イルカが僕のアフリカ行きを歓迎するかのように、ジャンプをしながら船に併走していた。 3時間後、船はモロッコの港町タンジェへと入っていった。忘れもしない Shit City。5年前、偽ガイドに危うく睡眠薬を飲まされそうになった町。船から一歩出るとそこには大勢のアラビア

シベリア鉄道に乗ってアフリカへと向かう

2002年8月27日早朝、列車でピレネー山脈を越えた。すると急に車窓から光が差した。目をやると、そこには朝日に輝く地中海が見えた。 今日地中海と再開した。あの向こうにはアフリカ大陸が横たわっているのだ。またスペインに戻ってきてしまった・・ モンゴルから僕はモスクワへと向かった。シベリア鉄道である。モスクワまでモンゴルから101時間、4泊5日。ステップの大地を走り、世界一大きい海のようなバイカル湖を過ぎ、タイガの森を突き抜けた。 なんて贅沢な時間なのだ!と最初は思った。5日間

日本から中国、そしてモンゴルへ

2002年7月18日、自宅を出発した僕は大阪行きの夜行バスに乗っていた。大阪から中国行きの船に乗船するためだった。行き先は上海。本来なら天津行きの船に乗るはずであったが、予定の船が台風に計器をやられてしまい、急遽行き先を上海に変更せざるをえなくなったのだ。上海まで船で50時間。そこから1200キロ離れた北京へ。 北京からはシベリア鉄道でモンゴルのウランバートルへと向かう。 あまり知られていないかもしれないがシベリア鉄道には3つのルートがある。 どれもモスクワを目指すことは変