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終戦75年目に思う、歴史を学ぶ意義【歴史の扉#5】

連日暑い日が続く。75年前も今日のような暑い日だっただろうか。

日本が大東亜戦争で初めて外国に負けた日から75年が経った。今のところ戦後に日本は「戦争」に巻き込まれてはいないが、決して今の日本が「平和である」とはいえないだろう。

ロシアによる北方領土の占領、韓国による竹島の占領はいまだに続く。

中国が連日尖閣諸島付近に侵入するようになって久しい。最近に至っては日本最南端の島、沖ノ鳥島付近で資源を採掘しようとしている。

また、北朝鮮に拉致された方々はいまだに日本への帰国が叶わない。日本政府が手をこまねいているうちに拉致された横田めぐみさんの父、横田滋さんはお亡くなりになってしまった。

自国の領土・国民を守ることもできず、ただ「戦闘行為を伴う戦争をしていないこと」のみに焦点を当て、「日本は平和だ」ということは、故郷を追われた方々や拉致被害者とその家族への冒涜だ。

真の平和を手に入れるため、戦後に生きる我々はどうすれば良いのか。歴史を発信する者としての私の考えを、75年目の終戦の日に書き記しておきたい。

1.英霊の死を「犬死」と称することへの違和感

先日、私が何気なくNHKの朝のニュースを見ていると、おばあさんがインタビューに答えていた。どうやら親族が軍人として出征し、亡くなったようだ。

そのおばあさんがこういった。「かわいそうに。戦争で犬死したんや。」

果たして、祖国を守るために命を落とした軍人の死は「犬死」なのだろうか。

彼らが護ろうとしたのは、近代に作られた「国家」という概念では決してない。故郷であり、家族であり、実態を伴ったかけがえのないものだ。英霊となった方々のおかげで存続した日本国に生き、豊かさを享受している我々が決して口にして良い発言ではない。

なぜ「軍人の死=犬死」という発想になるのか。そこには、当時の世界情勢や歴史に対する無理解があるのだろう。帝国主義国家が跋扈する20世紀前半のアジアで植民地化されずに独立を保っていたのは日本とタイだけである。そして、それ以外のアジア諸国民は欧米諸国に奴隷のような扱いを受けていた。日本も敗戦すれば、同様に欧米諸国の植民地にされ、日本人が奴隷とされていた可能性も十分ありえたのだ。

しかし、当時の日本人が奮戦してくれたおかげで結果的に日本国は存続し、復興することができた。

このある種の成功体験から、「もっとはやく降伏すれば被害が抑えられた→軍人として死ぬ必要がなかった→犬死だった」という思考回路になるのかもしれない。

2.戦前と戦後の歴史教育の違い

歴史への無理解と同時に、戦後の私たちは「日本国がどんな国家なのか」、言い換えると「日本国の国体」について理解する機会を与えられていないことも大東亜戦争を正しく理解できない一因となっているのではないか。

戦前は日本史のことを「国史」と呼んでいた。自国語の教科名が「国語」であって「日本語」ではないのと同様である。戦前の国史教科書では日本人が主人公の物語を描いていたのだが、GHQの手により、戦後は「日本史」という教科になった。この「日本史」教科書では日本のことを第三者目線で描いているように思えてならない。

例えば、皆さんは日本史の教科書の記述がどこから始まったか覚えているだろうか。

私は大学受験を終えてまだ5~6年しかたっていないが、母校で使用していた山川出版社の『詳説 日本史』を読み直し、冒頭部分を要約するとこんな感じだ。

「更新世や完新世といった地質学的な記述から始まり、アウストラロピテクスという猿人から原人→旧人→新人と人類が進化し、旧石器時代、縄文時代、弥生時代の出土物などが淡々と記され、稲作が伝わり、クニが分立し、その中の一つが金印をもらい、どこかに邪馬台国ができ、大和地方を中心とする政治連合:ヤマト政権が形成された。」

そして天皇の名前が初めて登場するのは、「仁徳天皇陵」という古墳の名称の一部として、である。当然、仁徳天皇がどんな天皇であったかも描かれていないし、初代天皇の「神武天皇」の名前も全く出てこない。大方の読者の皆さんもこのような教科書で歴史を学んだのではないだろうか。読んでいて全く面白くない。

それに対し、戦前の歴史教科書はどうだろうか。ハート出版から発行されている『[復刻版]初等科国史』は、昭和18年(1943)4月から国民学校(現・小学校)第5学年、第6学年で使用された教科書の復刻版である。この本の冒頭の記述を引用する。

「大内山の松のみどりは、大御代の御栄えをことほぎ、五十鈴川の清らかな流れは、日本の古い姿をそのままに伝えています。

 遠い遠い神代の昔、伊弉諾尊・伊弉冉尊は、山川の眺めも美しい八つの島をお生みになりました。これを大八洲といいます。島々は、黒潮たぎる大海原に、浮城のように並んでいました。つづいて多くの神々をお生みになりました。最後に、天照大神が、天下の君としてお生まれになり、日本の国の基をおさだめになりました。」(ハート出版『[復刻版]初等科国史』p.10)

伊弉諾尊・伊弉冉尊の国産み・神産み神話に始まり、その後、天照大神の孫:瓊瓊杵尊の天孫降臨と神武東征、そして初代神武天皇の即位が抒情的に描かれている。まさに"History"の語源が"Story"であり、国史の本質が民族の物語であることがわかるよう設計されているのである。

そして、「万世一系の天皇を最高権威として戴き、そのもとで国民が一致団結してきた」という日本の国体が歴史を通して理解できるようになっているのだ。

この国体が損なわれたとき、日本国は日本国ではなくなるということを戦前の日本人はよく理解していた。敗戦すれば国体が失われるかもしれない、すなわち2600年以上続く日本国が滅亡するかもしれないことを十分理解して、当時の日本人は戦っていたのだ。

3.まとめ:戦後を生きる我々の使命

では、日本を平和国家とするために我々は何をすれば良いのか。

その答えは、「国民一人一人が歴史に向き合い、思考し続けること」だと思う。

たとえば、大東亜戦争について考えるのであれば、「日本が悪かった」「戦争を起こしてはいけない」というワンフレーズの前に思考停止するのは、本当の意味での戦争の反省にはならないだろう。

〇そもそも戦争とは何か、なぜ起きるのか

〇なぜ日本は戦争を起こさざるを得ない状況にまで追い込まれたのか、外交努力で開戦を回避できなかったのか

〇戦争はやるからには勝たねばならないが、出口戦略はあったのか

〇なぜ外国の地で戦死ではなく餓死や病死で亡くなった方を多く出してしまったのか

〇陸軍と海軍の派閥争いや、軍内部でのいじめ、暴行など、組織のマネジメントに問題はなかったのか

〇当時、朝日新聞をはじめとする多くのメディアが戦争をあおったが、現代もマスコミのいう事を鵜呑みにして、フェイクニュースに騙されていないか。当時も今も日本国民は本当に自分の頭で政治や社会について関心を持ち、考えているか

今パッと浮かんだだけでも、上記のような疑問を持ち、考えたり、知る努力をすべきではないか。

難しい政治や社会の問題にも真摯に向き合い、個々人が自分なりの意見をもつこと。その思考の材料として、国民一人一人が歴史について、知ろうとすること。その努力の結果、自由主義と民主主義のリーダーとして、世界平和に貢献する日本。これこそが、英霊が戦後の日本に託した理想的な国家像であって、英霊の死を「犬死」にしないための我々の義務ではないだろうか。

英霊が護り伝えてくれた日本。全国の神社仏閣を巡ると、この国の美しさや魅力を存分に味わえます。戦後75年目の終戦の日に改めて先人に感謝し、冥福を祈ります。

そして、偉そうにつらつらと記事を書いてきましたが、私もまだまだ歴史について知らないことばかりです。願わくば読者の皆さんも私と一緒に歴史について学んでくれないでしょうか。

歴史の扉へ、ようこそ。

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