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手軽な「おすすめ」をほしがる人たち

あちこち旅行していると、さして親しくないひとにも「おすすめ」を聞かれることがある。
 「おすすめの観光スポットはありませんか?」
 「レストランのおすすめはどこでしょう?」
 「人気のある、おみやげのおすすめは何ですか?」

自分の要領が悪いのはわかっているけれど、わたしはこの質問がとても苦手だ。短い日程の観光旅行を「効率的に」楽しむために、失敗したくない気持ちが伝わってきて、少し息苦しくなる。

「失敗」を楽しむ余裕

初めての土地に出かけるときには、わたしもガイドブックを読むことはある。でも、書いてあることを手がかりに、自分でも本を読んだりして調べるし、モデルコースの通りに歩こうとは思わない。修学旅行やパッケージツアーのように、他人に動線を引かれたくないからだ。

どんなに大勢で食事をしようと、おいしいかどうかを決めるのは自分の舌だ。それと同じで、旅を楽しむのは自分の感覚だと思う。

地図が手に入らなかった小さな町で、道に迷ったこともある。 
 ―でも助けてくれる親切な人に出会った。
感じのよいレストランに入ったけれど、口に合わないこともあった。 
 ―だから自分は何が好みなのか、真剣に考えるようになった。
観光地に行ってはみたが、人が多いだけで楽しめなかった経験もある。 
 ―しかし地元の人に教えてもらって、バスを乗り継いで出かけた個人美術館で、素敵な作品に出会えたこともある。

一年を超えて長旅をしたときのことを思い出すと、その試行錯誤こそが旅の本質だと思うし、自分の無知や無防備が招いた失敗さえもが懐かしい思い出だ。少なくともそのときのわたしは、自分が知っている安全圏から一歩踏み出したのだから。

検索するための個人的なキーワード

会社のように大勢の人がいるところへのおみやげには、駅や空港の売店で売っている名物のお菓子を買うこともあるだろう。でも、自分にとって大切な人への贈り物は、どこででも手に入る無難なものではなく、その人の好みを考えながら、本当に喜んでもらえそうなものを探して選ぶはずだ。

旅の計画もたぶん同じで、友だちに頼まれれば、限られた時間のなかで旅先を満喫できるように、いろいろと相談にものるし調べもする。自分が知っている範囲で、詳しそうな人に新しい情報を教えてもらったりもする。

でもそれは、日頃のやりとりで友だちの関心や好みを知っているからできること。その人が好きなことのキーワードをわたしが知っているから、「おすすめ」の検索を手伝える。

そして、わたしが気に入っている場所や店の雰囲気を壊したりしないという信用があるから、安心して教えてあげられる。たぶんわたしの友人たちは、隠れ家のように出かけているところを、不用意にツイートで拡散したりはしないだろう。

一方、会ったばかりで、ほとんど知らない人の好みなんてわからないし、どんなものが食べたいのか(食べたくないのか)、まったくイメージがない人に自分の好きなものをすすめても、はずれる度合いが高そうな気がする。旅の食事に時間やお金をかけたい人なのかどうかも判断できないから、便利な場所にあって、そこそこの予算の、万人向けのお店をいくつか挙げて、反応を待つことになる。

たいていは、それでおしまいだ。「たとえば、こんなところはありませんか?」「こういうものを探したいんですが」「〇〇という料理を食べられるお店はないでしょうか?」といった、より掘り下げた質問が来ることはまずない。たぶん、ちょっと聞いてみただけ、なのだ。

インターネットでいろいろ検索できるようになっても、本当の「おすすめ」は、コンビニエンスストアでものを買うようには手に入らない、とわたしは思っている。

それはたぶん、不特定多数にばらまかれるものではなく、親しい間柄で手渡しで届けられる贈り物のようなものだから。


*写真 タイ、バンコクのプラトゥーナム

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