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平和学をゆるーく説く。こんな感じ。

広島で平和学してました、なんてかっこつけて言うと

じゃあ平和ってなんなのよとよく聞かれるので

平和学ってどんなもんなのか、

そこで言われる平和ってなんなのか、

どんな風にかんがえていくのか、

ゆるーく書いてみる。


「平和」をgoogleにきいてみると

① 戦争もなく世の中が穏やかである・こと(さま)
② 争いや心配事もなく穏やかである・こと(さま)

(大辞林より。本当は株式会社平和というパチンコ屋さんが最初にでてきた)

ふうん。

戦争がなくなったら世界って平和なのかな。

自分の心配事がなくなったら、世界は平和なのかな。

逆に、私にとっては「よし、平和」って思っても

誰かにとっては脅威だったりすることもあるんじゃないかな。

とても極端だけどいい例が、昔

インドから来た子が、

「核兵器は、私たちの暮らしを守っているとおもう。

それがなければ、パキスタンに攻撃されてしまう。」と

広島という土地で、言う。

どう思う、これ。

平和学は、こんな感じで

うーん、じゃあ平和ってなんなんだろ?って

問うところからはじまる。


逆説的に考えてみる。平和を妨げるものは?

こうやって、これって平和なの?

じゃあこのパターンはどうなのよ、

こんなのもありえるよ、なんて考えだすときりがないので、

じゃあ逆に、平和を妨げてるものって何だと思う?

それを少なくしていったら平和に近づくんじゃない?

っていう順序で考えていくのが平和学。

妨げているものたちを、「暴力」と呼んで。

じゃあ、世界にはどんな暴力があるのかな、

それをどうやって減らせるかみんなでやってみようぜ、っていう。

暴力はいくつも種類があって、例えば

戦争とか紛争とかの目に見える直接的な暴力だったり(直接的暴力)、

この産業は遠い国の誰かを搾取してます、みたいな

世界全体にはびこる目に見えない暴力だったり(構造的暴力)、

でもそれらってもうしょうがないよ、

私たちじゃどうしようもできないよ、みたいな

暴力をあきらめて正当化したり、無視したりする

思想的な暴力だったり(文化的暴力)。

平和を妨げるものを一つ一つ分解して

それが解決されたときのイメージを

できるだけ鮮明に描いてみる。

平和を鮮明に描けなくても、

それにできるだけ近いなにかを、イメージする。


3つのレベルに分けて思考を整理

あらゆる暴力について考えていくと、

世の中が本当に暴力で満ち溢れているように見えて

わたしが生きているこの世界を嫌いになって

あー、消えたい。みたいな

思考停止になってしまうので

どんな規模で平和を考えたいのか、先に整理。

1 - 地球規模(全人類・生命・環境レベル)

2 - 集団規模(国・民族・宗教レベル)

3 - 個人規模(わたし・あなたレベル)

じゃあこの問題は、このレベルで考えてみようか。的に

思考のスタートラインをそろえるときに役に立つ。

たとえば、さっきのインド・パキスタンの核開発は

2(国レベル)でいったら平和をつくってる

ようにみえるかもしれないけど、

1(生命レベル)でいったら暴力になるから

1レベルで、全人類でとりくんで考えていく問題だね。

みたいな。

(この例えはちょっと繊細で語弊を招くな、ごめんなさい。)


自分の今いるところにおきかえる

暴力の種類と、考えるレベルが整理できたら、

もっと具体的にするために、

自分のやっていること・興味のあることに置き換えてみる。

わたしはたとえば旅行業をやっていたので

旅と平和について、そこから考えてみる。

まずは、考える平和のレベルは3かな。

個人規模(わたし・あなたレベル)。

で、軽減していきたい暴力は、文化的暴力、かな。

旅産業は、社会システムを変えることはできないし

(これは例えば、行政とか、司法とか、教育とかかな、たぶん)

地球規模の変化を起こすことはできないから。

(これは例えば、国連とか、国際会議とか)

でも一人ひとりの価値観を、変えることはできるし、

地球の裏側で起こっている遠い国の誰かのできごとを、

その人の悲しみや痛みを、

自分ごとのように想像できるようになる。

もしそこを自分が旅していればね。

共感力・想像力を育てる旅。みたいな文脈で

文化的暴力に働きかけができると。

あとは、どういう人たちに

どんなフィールドワークをすればいいのか、

どんな数字で実証できるのかな。

海外旅行にいった1000人の高校生に聞いてみた、とか

帰国後の変化に関するアンケートとかだろうなあ。

特定の人物の人生を追って、

旅に出る前と後の変化を分析するとか。

そんなかんじで、

自分のいる立場から、実践にうつしていく。


いま平和学は、必要とされているのか

こんな要領で平和学を考えていくことができるのだけど

でもそもそも、そんなことを研究して

その結果がほしいと思う人っているんだろか。

論文を書くことはできるとおもう、

でもそれを必要としている人はどこにいるんだろう。

必要とされてない、というんじゃなくて

だってどんなに旅が平和に貢献してます、っていったって

それを論証したいと思っている企業なり、

団体なりがなくっちゃ、研究は続けていけないから。

世の中との接触を断って、学問をしていたって

社会を変えていくことはできないし、

それは平和学の本質じゃない。

紛争地帯以外に、平和学を求める人が、どこにいるのか。

いま平和学は、そこが問われてるんじゃないかなあ。

きっと必要とされてるとは思うんだけど。

それが見えてきたら、

趣味レベルじゃなくって、私もまた学問を始めたい。



でもすこしでも

世の中に平和学の概念がひろまって

平和が、みんなにとって身近になったらいいなあ。


おやすみ、かしこ。

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