祿壽應穩、って知ってる?

こんにちは。

「祿壽應穩」(禄寿応穏)、読み方は「ろくじゅおうおん」
相模国の小田原城(神奈川県小田原市)に本拠地を置いた戦国武将、北条氏綱が印判に用いた単語です。
「禄(財産)と寿(生命)がまさに穏やかであるように、人々が平和で暮らす」という意味。五代目・氏直までの歴代当主が使いました。この言葉に表されているように、北条氏は税を軽くするなどの善政を敷いたことで有名です。1590年の小田原合戦で豊臣秀吉に滅ぼされるまで、五代100年にわたって繁栄を続けました。

ちなみに、結論が出ない長い会議を「小田原評定」という言い方をしますが、小田原合戦はその由来になった合戦です。この後、秀吉は東北を平定し「全国統一」が完成します。

ここからは少し、北条氏について説明します。

北条氏は鎌倉時代に執権を務めた北条氏と区別して、後北条氏とも言われます。初代・北条早雲は岡山にルーツを持つ備中伊勢氏の出身と言われ、実際に北条と名乗ったのは氏綱の代からです。

初代 北条早雲(伊勢新九郎宗瑞)
二代目 北条氏綱
三代目 北条氏康
四代目 北条氏政
五代目 北条氏直

ちなみに、最後の当主・氏直の妻は徳川家康の娘・督姫。このつながりがあったおかげで、氏直は切腹を免れ、高野山に流罪となります(父・氏政は切腹)。しかしその一年後に、氏直は病により30歳で死去します。
督姫は後の初代姫路藩主(姫路城城主)となる池田輝政の元で再婚。また、北条家は氏直のいとこの系譜が跡を継ぎ、河内狭山藩(大阪府狭山市)として幕末まで存続しました。

本日はこれにて。

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