梓宗和

もっといまを楽しく 書いて考える

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ドゥルーズ哲学と日常

(大層な題名ですが、酔いながらふらっと書く文章なのでさらさら読んでください。まる。) 小倉拓也の『カオスに抗する闘い』を先日、ようやく読み終えた。小倉さんの説明が凄く丁寧で、読み通るのに時間はかかったものの基礎的なドゥルーズ哲学の体系は理解した気でいる。若い頃から晩年までに至るドゥルーズ哲学の「秘密の一貫性」を「カオスに抗する闘い」を主題におきながら論じていくという、観客席からはドゥルーズ哲学のPromotion Video(略してPV)を見ているような本だった。 ドゥル

    • 2024/6/5

      今日もお疲れ様。1日が終わった。疲れた。 ・死について 死という問題ほど人間にとって共通的で、なお主観的なものはないだろう。私たちはいずれ死ぬ。存在論が哲学における究極的な問いであるとしたら、その終局である死についても同様に論考される必要がある。 しかし、死ほど見ぬふりをされるものもない。なぜだろう。死をただ生の区切りとして認識するから、あまり日常において重要性を見出されないのか。それとも死の破滅性を恐れるあまり、日常から死への不安ごと排除されるのか。そのどちらもかもし

      • 無題1

        毎日日記をつけると言いながら、既に2日日記をつけていない。まあ、それでいい。気ままにやる。 6/2(日)に大阪大学の人間科学部で行われた合評会に参加して、本当に凄い体験をした。近藤和敬さんのオーラが会場を包み込んでいた。近藤さんの本いずれ網羅したい。『ドゥルーズとガタリの『哲学とは何か』を精読する』に手を付けられるのはいつだろうか。待ってね。 『カオスに抗する闘い』の第2部をようやっと読み切った。動的発生論における「器官なき身体」の位置づけがよく分かった。クラインの精神分

        • 2024/6/1

          6月がスタートした。快晴。こんなことならもっと早く起きたらと思う午前10時。頭がぼんやりとしている。 両親に進路予定表を作れと言われたので、Excelをいじるが、未来のことなど自分にもわからない、そもそも全てが必然のうちなので、どうでもよい、などと思いながら、無駄に時間が過ぎた。気づけば昼過ぎ。 気分転換に祖父母の家に向かった。コーヒーを3本飲んで、ようやく考えがまとまってくる。適当に作った予定表を家族LINEに送信した。 友達と音声電話をつなぎ、ようやく『カオ抗』を読

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        • 日記
          3本

        記事

          他者と自己の線引きを明確にして、表現することって大事ですね。自分の感覚を他者に押し広げて、自分優先で語ることは倫理的によろしくないけれど、他者が自己に流れ込んできて、自分を見失うことはすごく勿体ないことです。 ある程度相手が納得できる形で表現する。そのためには経験が必要。

          他者と自己の線引きを明確にして、表現することって大事ですね。自分の感覚を他者に押し広げて、自分優先で語ることは倫理的によろしくないけれど、他者が自己に流れ込んできて、自分を見失うことはすごく勿体ないことです。 ある程度相手が納得できる形で表現する。そのためには経験が必要。

          2024/5/31

          今日からできれば毎日、日記をつけていこうかなと思います。 5月も最後の日を迎えた。早いなあ。僕は先週から風邪をひき、内科でもらった一週間分の薬を服薬し続け、今日、飲み切りました(何故か数錠残ってる)。体調にはお気を付けください。満員電車内のマスク。面倒だけど大事ですね(風邪をひくたびに実感するが、)。 ゼミで発表。輪読会。経済思想史の本で謎にヘーゲルを担当した。自分の直感で大幅に編集した、自信のないレジュメを片手に喋り、その後の先生や先輩からのコメントでハラハラドキドキの

          私の「メンヘラ学」と精神分析学という処方箋の提示:共感/特異とドゥルーズ

          0. はじめに  「社会がクリーン化に向かっている」という話は社会学においても哲学においてもよく議論されるものです。善かれの精神が人々の意志・行動といったものを一元的に管理する方向へと働く。予測可能性の高い「合理的なもの」を「正常」、予測可能性の低い 「不合理的なもの」を「異端」扱いし、二元論的に区別することによって更なる「合理性の圧」が高められる。このような議論は特に「自己家畜化」という文脈においてよく 語られ、社会批判的なニオイを醸し出している。  筆者は敢えて、

          私の「メンヘラ学」と精神分析学という処方箋の提示:共感/特異とドゥルーズ