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オリンピックに反対していた人が観戦や応援をするのは、手のひら返しなのか?

東京オリンピックの開催に反対していたはずなのに、いざ始まった途端、熱心に観戦したり選手を応援したりしている人がいる。それは「手のひら返し」なんじゃないか?

こんな意見を耳にしたので、僕なりの見解を書いてみます。

まず前提として、オリンピック開催に反対していた人は、大きく2つのタイプに分かれると思います。

ひとつは、コロナ禍にかかわらず、元々オリンピック開催に反対だった人。

もうひとつは、元々はオリンピック開催に賛成していたけど、コロナ禍の中での開催には反対な人。

おそらく、「手のひら返し」だと言われている人たちは、後者のタイプの人が多いのではないでしょうか。

かくいう僕も、実は後者のタイプです。

2013年9月、東京オリンピックの開催が決まったとき、本当に嬉しかったことを覚えています。

「TOKYO!」と高らかに宣言された瞬間、思わず拳を突き上げて飛び跳ねてしまったほどです。そしてなにより、アスリートでもなんでもない僕にとっても、2020年の夏がひとつの確かな「夢」になりました。

7年後の夏には、どんな楽しい日々が待っているんだろう。あの瞬間から、「東京オリンピックまでの日々」が始まったのです。

リオ五輪のときは、「4年後には東京でこの光景を見ることができるんだ」とワクワクしたし、2019年になって観戦チケットの争奪戦が始まったときは、夢中でいろんな競技のチケットに申し込みました。

でも2020年。もうすぐオリンピックがやって来るというときに、コロナ禍が始まったのです。そして、1年延期の決定。

それでも僕は、オリンピックの開催に賛成でした。1年後にはコロナも落ち着いてくれるはずだから、と。

けれど2021年になり、コロナは落ち着くどころかさらに感染が広がって、この夏の開催に疑問を持つようになりました。

真摯な説明をすることなく、国民の不安な声を無視したまま開催を強行しようとする政府やIOCにも、不信感を覚えました。

そして僕は、できることならこの夏のオリンピック開催は延期か中止をしてほしい、という考え方に変わりました。

コロナ感染の拡大リスク、医療従事者への負担、フェアとは言えない試合環境……、それらを踏まえれば、この夏の開催はすべきではない、と。

しかし、僕のような延期や中止を望む声は聞き入れられず、「ほぼ無観客」という形でオリンピックは開催されることになりました。

さて、ここからが本題です。

オリンピックへ向けて世の中が一気に動き出し、延期や中止はもうあり得ないという状況になって、僕の心は揺れ動きました。

コロナ禍でのオリンピック開催、そしてそれを強行した政府やIOCには、間違いなく疑問がある。

でもその一方で、オリンピックが開催されるからには、無事に成功してほしいという思いがある。そしてなにより、そのオリンピックを自分の目で見届けたいという気持ちもある。

なぜなら、それは開催が決まった8年前の秋の日から、ずっとずっと楽しみにしてきた、あの「夢」の東京オリンピックなのだから。

当たり前ながら、開催に疑問を抱いた数ヶ月間よりも、開催が楽しみで仕方なかった約7年間の方が、はるかに長い年月です。

そしてどちらの日々も、決して無駄にしたくない、「東京オリンピックまでの日々」であることに変わりはありません。

その東京オリンピックが開催されたいま、自分はどういう選択をすべきなのか。

少しでも開催に疑問があるなら観るべきではない、という考え方もあるでしょう。でもそれなら、開催を心待ちにしてきた7年もの日々はいったいなんだったんだろう、ということになります。

もしもオリンピックが延期や中止になっていたら、「東京オリンピックまでの日々」はまた未来へ続いていったのかもしれません。

けれど、こうして開催されたことで、「東京オリンピックまでの日々」がいま終わろうとしているのです。そしてもうすぐ、「東京オリンピックからの日々」が始まろうとしているのです。

そうであるならば、いま自分がすべきことは、この東京オリンピックの成功を願いながら、それをしっかりと自分の目で見届けること。それだけではないか、と思っています。

「東京オリンピックまでの日々」にピリオドを打ち、「東京オリンピックからの日々」の1ページ目を捲るためにも。

きっと今回の東京オリンピック、僕と同じように、複雑な気持ちを抱きながら見守っている人は多いはずです。

開催に賛成だった人も、日々の感染者が増えている状況に、一抹の不安を覚えているかもしれない。あるいは反対だった人は、意外に楽しくテレビ観戦を楽しんでいる自分に、戸惑いや罪悪感があるかもしれない。

でも、と思うのです。そういう矛盾を抱えてるからこそ、人は魅力的なんじゃないか、と。

それは確かに「手のひら返し」なのかもしれない。でも僕は、頑なに手のひらを返さない人よりも、ときに思わず手のひらを返してしまう人の方に、より自然なものを感じます。

たぶん大切なのは、賛成だったとか反対だったとかではなく、テレビの向こうにいま流れるオリンピックの光景に、自分の「心」がどう動くのか。ただそれだけだと思うのです。

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