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海外一人旅に出ても自分は簡単に変わらない。でも必ず意味はある

「海外へ一人旅に出ようとしている若者を応援していきたい」

そんな思いから、この記事を書くことになりました。

……僕もかつて、海外一人旅に憧れる若者の1人でした。
期待と不安を胸に抱きながら、海外一人旅への第一歩を踏み出したあの日のことを、今でもよく覚えています。

気づけば僕も、22の国を訪れるまでになり、海外一人旅が大好きになりました。
マレーシアで見た夕陽とか、スペインのバルでの出会いとか、ブラジルでのワールドカップ観戦とか、数えきれないほどの旅の思い出があります。

海外を旅する素晴らしさを、今度は自分が伝える番なのではないか。

この記事は、そんな思いを込めて書いたものです。
僕が海外へ旅に出たきっかけ、それを好きにさせたエピソード、そしてそれをオススメする理由……。

「海外一人旅に出かけたいけど躊躇している……」
もし、あなたがそう悩んでいるなら、この記事を読んでみてください。

海外一人旅に出れば、そこでは必ず、あなたの心にずっと残る「なにか」に出会うことができるはずです。

1.日本の最果ての島が、「世界」への扉を開けてくれた

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「海外へ一人旅に出てみよう……」
そう心に決めたのは、23歳の夏、日本の最果ての島でのことだった。

「旅」は元々好きだった。でも僕にとってその舞台は、いつも日本の国内だった。
青春18きっぷを手に東北や瀬戸内を巡ることもあったし、北海道のフリー切符を使って道内をぐるりと一周することもあった。
海外への興味はあったが、英語も大してできず、心配性の自分にはとても海外へ旅に出る勇気はなかった。なにより、日本国内を旅しているだけで十分に楽しかったのだ。
わざわざ海外へ旅に出る必要なんて、まったくなかった。

やがて23歳の夏を迎え、僕は沖縄の八重山諸島へ旅に出た。ずっと憧れていた、日本最南端の波照間島へ行きたかったのだ。

「日本の最果ての地には、どんな風景が広がっているのだろう?」

果ての果てを目指す旅、というロマンを抱きながら、僕は沖縄へと飛んだ。

梅雨明けしたばかりの沖縄には、鮮やかすぎる青空が広がり、眩しい太陽の光が降り注いでいた。
石垣島を起点に、小浜島、竹富島、そして波照間島へ。僕は民宿で自転車を借りると、島の最南端、つまり本当の「日本最南端」の地を目指した。

さとうきび畑の中の道を突っ切って、長い坂道を下っていくと、目の前には広大な青い海。「日本最南端」を示す小さな碑が建っているほかは、なにもなかった。

美しい群青色の海を眺めながら、ここが最果ての地なんだな……、と思った。間違いなく、これより先に日本はない。

そのとき、民宿のおじいさんが言っていたことを思い出した。

「天気が良ければ、海の向こうに台湾が見えるんだよ」

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僕は海の彼方に目を凝らしてみた。天気は良かったが、この日は台湾の姿は見えないようだった。

でもそのとき、僕は初めて「実感」することができた。確かにこの大海原の向こうには、台湾があるのだ、と。
そしてその先には、ユーラシア大陸がある。中国があって、その大地は遠くヨーロッパまで続いている……。

だから、この島は最果てでもなんでもなかったのだ。ここはあくまでも日本の最果てであって、この海の向こうにこそ「世界」は広がっているのだ。

そして僕は思った。
この海の向こうへ行ってみたい、と。

日本の最果ての島が、「世界」への扉を開けてくれた。

その年の暮れ、僕は人生で初めてのパスポートを手に入れると、翌年には海外へと一人旅に出ることになった。

2.海外一人旅を好きにさせた、3つのエピソード

・世界の素晴らしさを知った韓国での出会い

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初めての海外一人旅の舞台は、初夏の韓国だった。釜山からソウルまで、いくつかの都市に寄りながらバスを乗り継いで縦断するという1週間の旅だった。

何もかもが未知の経験だったから、不安でいっぱいだった。でもそんな緊張を解してくれたのは、行く先々で出会う韓国の人たちだった。

釜山から慶州、大邱を経て、安東に辿り着いた僕は、河回村という小さな村へ向かった。緑の田んぼに囲まれて藁葺き屋根の家が点在するのどかな村だ。

その村を散策していると、東屋で昼食をとっていた若い夫婦が声を掛けてきた。
「イルボン?」
それが韓国語で「日本」を意味することは知っていたので頷くと、夫婦は手元にあったドーナツを差し出して、一緒に食べないかと勧めてくる。あまりに熱心なので、ありがたく頂くことにした。
すると旦那さんが立ち上がって、ボールを蹴る真似をしながら、「イルボーン!」と叫ぶ。この前の日、サッカーのワールドカップで日本代表がカメルーン代表に勝利を挙げていて、どうやらそれを祝福してくれているらしい。
韓国の人が日本代表の勝利を喜んでくれているということが、僕には新鮮な驚きだった。

若夫婦と別れて食堂へ入ると、今度は後ろのテーブルで食事をしていたおじさんグループの1人が話しかけてきた。
「日本人ですか?」
それが流暢な日本語だったので、びっくりした。
「昨日は日本、カメルーンに勝ててよかったですね!」
そう言うとおじさんは、何県に住んでるんですか、いつ韓国へ来たんですか、と次々に質問を投げかけてくる。僕が答えると、それを韓国語に訳して他のおじさんたちに伝える。

「よかったら、一杯どうですか?」
そう誘われて、おじさんに頂くことになったマッコリは、気持ちがホッとするような優しい味だった。

……もしもその韓国の旅で、優しい人たちに出会えていなかったら、僕のその後の「旅」はどうなっていただろうか。
あるいは、海外への旅に夢中になっていくことはなかったかもしれない。

あの初夏の旅で、韓国の人たちが教えてくれたのは、世界はこわい場所なんかじゃなくて、素敵な出会いがたくさん待っている場所なんだ、ということだった。

・海外一人旅が与えてくれる「行動」と「心」の自由

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海外一人旅の素晴らしさを一言で語るなら、それはやはり「自由」ということだと思う。海外一人旅ほど、「自由」を実感できる日々を僕は他に知らない。

たとえば、僕が海外へ旅に出て好きな過ごし方は、こんな1日だ。

……朝、ベッドの中で目を覚ますと、自分が今どこにいるのかが一瞬わからない。でもすぐに、クアラルンプールの小さなホテルにいることに気づく。

近くのマクドナルドで簡単に朝食を済ませると、モノレールに乗って、チョウキットと呼ばれるローカルな市場へ向かう。
肉や魚、野菜、果物と、ありとあらゆる物を売っている市場を、のんびりと見て歩く。店の軒先からは色鮮やかなブドウやバナナが吊り下がり、あちこちから店員の威勢のいい掛け声が飛んでくる。

市内で最も歴史があるというモスクに立ち寄ったあとで、バスターミナルへ向かい、イポーという町へ行くバスのチケットを買う。町の名前の美しい響きに惹かれて、そのイポーへ行ってみることにしたのだ。

ターミナルの中の食堂で昼食をとると、バスに乗る。やがて窓の外には滝のような激しいスコールが降ってくるが、その音をBGMに僕は眠りに落ちていく。

起きると、バスはイポーに着いている。歩いて町の中心部へ向かい、あまり値段の高くなさそうなホテルを見つけると、そこに泊まることにする。
しばらく部屋で休んだあとで、イポーの町を散策する。ほとんど地図を見ることもなく、勘に従って歩いていく。朽ち果てた建物が並ぶ、時間が止まっているかのような静かな路地に、夕暮れの光が淡く射し込んでくる。

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いつしか夜になり、地元の人で賑わうレストランに入って夕食とする。屋外に設けられたテーブルに着き、イポー名物の鶏肉ともやしの料理を、生温いビールとともに口に運ぶ。周囲からは人々が笑ったり叫んだりする声が聞こえてきて、その中を涼しげな風が吹き抜けていく……。

圧倒される絶景を見たわけでも、ドラマチックな出来事に遭遇したわけでもない。でもこんな何気ない1日の中でこそ、旅人は自分自身を見つめ直すことができる。
街を歩きながら、バスに揺られながら、夕食をとりながら、日常では考えないようなことに思い至り、不思議と気持ちが前向きになっていく。

海外一人旅の「自由」とは、どこへでも行くことができる、という行動の「自由」だけでなく、自分のことを様々に思い巡らすことができる、という心の「自由」でもあるのだ。

・僕とブラジルを繋ぐ父娘との写真

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人は海外へ旅に出ると、いろいろなものに出会うことになる。美しい風景だったり、未知の食べ物だったり、予期せぬハプニングだったり。でもやはり、旅人にとって最も印象に残るのは、「人」との出会いかもしれない。

僕にとって、たくさんの人と出会うことができたのは、なんといってもブラジルの旅だった。海外へ行くようになってから4年が経ち、サッカーのワールドカップを本当に観戦するため、地球の裏側のブラジルへ旅に出たのだ。

世界中から集まったサポーターとの交流も楽しかったが、なにより嬉しかったのはブラジルの人々との出会いだった。

日本代表の青いユニフォームを着て歩いているだけで、街の人々が次々に僕に声を掛けてくる。

「ジャポーン!」
「ニッポン!」
「ホンダ!カガワ!」

リオデジャネイロの旧市街では僕を見るなりお祭り騒ぎの若者たちに会い、コパカバーナビーチでは『NARUTO』と『ONE PIECE』が大好きだという少年たちに会った。
自分が有名スターにでもなったのかと錯覚してしまうくらいに、彼らは羨望の眼差しで見つめながら、僕を取り囲んだ。

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アルゼンチンとスイスの一戦を見た、サンパウロのスタジアム帰りもそうだった。夕暮れ時、地下鉄の駅へ至る道に、周辺に住む人々が集まって、サポーターたちの姿を物珍しげに眺めている。
なかでも日本人である僕は注目の的で、あちこちから僕を呼ぶ大きな声が飛んできた。

「写真を一緒に撮ってほしい!」
「ユニフォームを交換してくれないか!」

その端の方に、小太りのお父さんと、中学生くらいの娘さんがいて、2人が熱心に手招きしてくる。
行ってみると、お父さんが安っぽいカメラを構えたので、娘さんと僕が並んだ姿を写真に撮らせてあげた。
2人はすごく嬉しそうな顔をして、こう言った。

「オブリガード!」
ありがとう、と。

……あの父娘は、あの写真を、残しておいてくれているだろうか。

ブラジルの旅は僕の中で遠いものになってしまったし、次にいつブラジルへ行けるのかはわからない。

でも、もし、父娘が写真を今も大切に持ってくれているとしたら、僕とブラジルとの繋がりはまだ切れていないということになる。

そのささやかな繋がりは、ときに悩んだり悲しんだりする僕の人生を、ほんの少し勇気付けてくれて、彩りを与えてくれるように思えるのだ。

3.どんな「旅」にも、あなたの財産となる「なにか」が必ずある

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「海外一人旅なんかに出たって、人はなんにも変わらない」
そんな意見を、たまに目にすることがある。

確かに、そうかもしれない。海外を少し旅したくらいで、一人の人間が大きく変化するなんてことはあまりないだろう。

もちろん、小さなレベルでの「変化」ならある。僕自身、日本の常識がときに非常識になることを中国の旅で学んだし、経済的な豊かさと精神的な豊かさは必ずしも比例しないことをスペインの旅で知った。

しかし、それらの旅を通して、自分自身が大きく成長できたのかと考えると、正直ほとんど成長はしていないように思う。深い考え方ができるようになったわけでも、精神力が強くなったわけでもない。海外へ行くようになる前と変わらず、英語はできないし、心配性のままだ。
たぶん、海外一人旅に出たところで、人はそんなに簡単に変わることはできないのだ。

では、海外一人旅に出る意味なんて、まったくないのだろうか?
わざわざお金と時間を使って、危険なことも多い海外へ、ときに寂しくもなる一人旅へ出る意味は、はたしてあるのだろうか?

そんな疑問にだけは、僕は自信を持って、それでも海外一人旅に出る意味はある、と答える。

なぜなら、それがどんな「旅」だったとしても、そこには必ず「なにか」があるはずだから。

それは煌めくような風景かもしれないし、笑顔に溢れた人々かもしれない。穏やかに流れる時間かもしれないし、不思議に満ちた出来事かもしれない。
たとえどんなに短く小さな旅だったとしても、そこでは「なにか」が待っているのだ。

そして旅先で出会った「なにか」は、その旅が終わったあとも、自分の心の支えとなり、やがて人生の大切な財産になっていく……。

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これまでに僕はいくつも海外一人旅を経験してきたけれど、たったひとつとして、行く意味のなかった旅はない。
すべての旅で、今も心に残る「なにか」に出会うことができたからだ。

だから、大義名分を掲げて旅立つ必要はないし、壮大なスケールの旅をしなくてもいい。
たまにはちょっと海外へ行ってみようかな、という感じでふらっと旅に出るだけでいい。それだけで十分に価値はあるし、その旅でしか出会えない「なにか」が待っていると思う。

個人的には、これから初めて海外一人旅に出る人がとても羨ましい。

僕はかつて、初めてパスポートを取得すると、韓国を縦断する旅に出た。
その旅はまさに、毎日が感動の連続だった。目に映るすべてのものが新鮮で、美しく、輝いて見えた。好奇心が溢れ出し、夢中で街を歩き回った。上手くいかないことも多かったけれど、それすらも刺激的でたまらなかった。
あんなにも心震える日々を送ることができたのは、何もかもが「初めて」のその旅だけだった気がする……。

そうした感動に満ちた旅ができるのは、海外一人旅への第一歩をこれから踏み出す人たちだ。

もし、その一歩をまだ踏み出せていない若者がこれを読んでくれているとしたら、こんなメッセージを添えてこの記事を終えたい。

これから海外一人旅に出るあなたこそ、きっと素晴らしい旅ができる、と。

旅の素晴らしさを、これからも伝えていきたいと思っています。記事のシェアや、フォローもお待ちしております。スキを頂けるだけでも嬉しいです!